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2008年9月

2008.09.12. 東海道初めの一歩

東海道初めの一歩
2008.09.12. 晴れ 暑い日。

旅立ち

今日はふっと休みが入ったので、ふっと五十三次の冒頭を一人で歩いてこよう、と思い立ちました。五十三次の本は何冊か用意してあるので、よく読んで、小さい本と東京23区の地図を持っていきました。

家を朝6時40分頃に出て、電車の中で、持ってきた五十三次の本の、日本橋、品川、川崎、神奈川をよく読みました。

江戸時代は歌にも歌われているように、

「お江戸日本橋七つ発ち」午前4時、暗い頃に出立して、「こちゃ高輪夜明けの提灯消す」…高輪あたりで夜が明けて提灯を消したそうです。

品川宿、川崎宿と進み、足弱の女性でも一日で神奈川宿までは行ったとか。

私も目標としては神奈川まで行きたいけれど、日本橋を七つ立ちはできないまでも、せめて朝4時に起きて始発で出たかったのに、夕べは諸事情で27時まで起きていたため、今朝6時に起きて、東京に着いて日本橋まで行き、旅の第一歩を踏み出したのは朝8時17分頃。

また、今夜は子ども会の会議(市民祭りで作るおもちゃについて)があるので、歩き終わりのリミットは夕方5時。行けるところまで歩いて、電車で帰ります。さて、今日はどこまで行けるでしょうか。

初めの一歩、日本橋

東京駅八重洲北口から日本橋に向かい、何度か架け替えられた後、明治44年に今の石橋になった日本橋へ。横浜開港当時の建築物と趣が似ているなあ、と思いました。

つい先日、日本橋Mデパートに来たばかりだし、今までもこの近辺には来ているのに、こうして日本橋を見るのは初めてです。

東海道だけではなく、五街道の起点はここなので、ここからの距離がいろいろ書かれていました。

いよいよ歩き始めます。通勤の人波の中で、私だけがTシャツとキャップ、ペットボトルホルダーを首からぶら下げて、かなり異質。周囲のみんなの足早なこと。私は今から飛ばしたら20キロもちませんからね。歩き始めはややゆっくりとね。

日本橋を背にして銀座方面へと歩を進めていくと、私の場合は一生見えないかもしれない京の三条大橋へと着実に一歩一歩近づいていっているんだな、と旅心が掻き立てられます。

京橋~銀座~新橋

京橋はすぐに着いてしまいました。京橋は既に川は埋め立てられていますが、擬宝珠だけは記念碑として残されていました。

歌舞伎発祥の地の碑を見て、銀座の街を進みます。開店前の銀座は、各店、ガラスケースに布が掛けられていて、暗くて怖いイメージ。

ティファニー、プラダ、バーバリーなど、高級ブランドが軒を連ねています。

すごい快晴。昨日の秋の風とはまた一変して、夏の日差しに逆戻り、と天気予報で言っていましたが、高いビルに囲まれた銀座はとても涼しい。このままずっと日陰であってほしいなあ。

新橋跡も川はないけれど、柱が碑となっていました。目の前に未来の町のような高架の通りがあると思ったら、ゆりかもめ(新都市交通)でした。

その先、JRの高架を潜るとき、ちょうどのぞみ号が通っていました。

何年か前…2005年12月14日でした…に、赤穂義士討ち入り帰りのルート12km(両国〜泉岳寺)を歩いたことがありますが、新橋の線路をどうやって越えたらいいかで道に迷って時間がかかってしまいましたが、なんだ、国道15号をそのまま進めばよかったんだ。

東海道というと、国道1号線をずっと歩くのだと思っていましたが、今日のルートは国道15号を歩くか、15号の平行線の旧道をずっと歩きました。

赤穂義士ルートの日は道の右側をずっと歩いていましたが、今日は日陰の関係で左側を歩きました。

芝~三田~札の辻~高輪大木戸跡

右側に芝大神宮があったので、寄ってみることにしました。ちょうど祭りの準備をしていて、提灯が飾られ、御輿が3基置かれていました。狛犬の足元には「め組」の文字。

日陰を歩きたいので、また道の左側に戻り、暫く歩くと金杉橋。橋の手前が公園になっていて、小休止しました。オフィス街は禁煙が多くなって公園で煙草を吸う人が多いので、私のように煙草を吸わない人は、お茶だけ飲んだらそそくさ退散。

橋の上から川を見たら、屋形船や釣り船などが沢山係留されていました。

R15が大きく右にカーブしている辺りで、機能訓練中なのか、障がいのある若者の一団の散歩と一緒になりました。暫くはまるで一団の仲間みたいに一緒に歩いていましたが、いつの間にか抜かしていました。

右側に御田神社が見え、そこから少し行くと人が多くなったな、と思ったら、田町駅、三田駅前。勝海周と西郷隆盛の会見の碑がありましたが、あまりの人の多さに写真も撮らずに、でも、形や字体が面白いので、一瞬立ち止まって眺めました。

札の辻は歩道橋で渡るようになっていて、振り返るとビルの合間から見える東京タワーが青空に映えてきれいでした。080912_095801

男の人が年老いた母をおぶっている像があると思ったら、案の定、笹川記念館でした。

その先で店の名前は忘れましたが、ドトールやタリーズみたいな店に入り、タンドリーチキンサンドとアイスコーヒーを頼んで休憩をとりました。朝6時におにぎりを1個食べただけでおなかがすいてきたので。ちょうど10時でした。

休んだ後は足取りが大分軽くなりました。今日の歩き疲れよりも、夕べのロシアンエクササイズの筋肉痛が足に来ていてヤバイです。

暫く行くと高輪大木戸跡。ここまでが江戸だったそうです。必殺シリーズで、大木戸がよく出てきていましたが、ここだったんだ。今はこんもりした石垣が残っています。

そこから少し先に、右側に泉岳寺。

品川駅が近くなると、左側のビルがなくなるので日差しが強く、暑くなってきました。

品川駅前は人が多くて大変。

暫く行くと、高架下に品達ラーメン街と品達丼街があり、11時開店なのでまだ鉄柵が閉まっていましたが、もう並んでいる人がいました。

また暫く行くと、道はR15と別れ、八ッ山橋で線路を渡り、北品川の品川宿へと入ります。

品川宿

商店会が町起こしで案内板などを整備し、お休み処を7箇所設けているとのことでしたが、なんだか入りづらい所が多く、10円で町案内マップを売っているという場所はどこか分からなかったし、駄菓子屋のようなおもちゃ屋は休憩する雰囲気ではないし。

街道松が所々植えられていて、広場になっていました。街道松があると東海道らしくていいなあ。

松の広場が3箇所ぐらいあって、ベンチやトイレがありました。

目黒川に架かる品川橋(境橋)を渡ると南品川。

点在する寺社を少し覗きました。

080912_121101

長寿寺、諏訪神社、青物横丁商店会に入ってから品川寺(ぼんせんじ)。品川寺には入り口に大きな地蔵菩薩座像がありました。

南品川と東大井との境の大通りを渡ったところにある、ミニストップに入ったら、弁当類を持った人がズラリと並んでいました。

足休めにちょうどいいので、並んで待ち、白桃パフェを注文しました。

待った甲斐あって、白桃パフェは美味しかった。

この後の話は午後の部へ続く。

コーヒーブレイク

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208.09.12-2 東海道初めの一歩 午後の部

2008.09.12

東海道五十三次、初日、初心者マーク、午後の部です。

ミニストップで白桃パフェを食べたのが正午頃。

世間では昼食の時間だったんですね。私は朝6時におにぎり一個を食べ、お十時にタンドリーチキンサンドを食べ、正午に白桃パフェ!・・・変則的!

北品川から旧東海道に入り、北品川、南品川、青物横丁、鮫洲と商店会の通りを辿っていきました。

立会川で、浜川橋(涙橋)を渡ると、町外れらしい静かな感じへと変わってきます。そうか、いよいよ鈴ヶ森か。

左手に公園があり、ちょうどトイレに行きたかったので、やれ嬉し、と公園へ。

公園入り口は細長いので小さな公園かと思いきや、奥に噴水のある、随分大きな公園で、キャンプ場まであるそうな。しながわ区民公園という公園です。080912_123201

噴水は「くじら噴水」。品川沖にくじらが現れたことを記念して作られたそうで、三頭の黒い背中からピューッと三本吹き上がって、暫くすると周りがモヤモヤッと霧状になり、吹き上がりがなくなると、今度はモヤモヤがたちこめ、小さな虹も出ました。

疲れが癒されました。

そこから、鈴ヶ森刑場跡はすぐ。

八百屋お七の磔の杭を立てた土台の石などが残っていて、生々しい。小さな林ですが、冷気が漂っているような一角でした。

ここで旧東海道の静かな道は終わり、国道15号線に合流。歩道橋で道の右側に渡りました。右側の方が日陰が多いので。

少し行くと、右に磐井神社という立派な神社がありました。またもう少し行くと、左手にしながわ水族館のモニュメントが見え、道路には、しながわ水族館行きの、可愛くて涼しげなバスが走っていました。

平和島の駅で、ちょうどジョギングの人とすれ違いました。ジョギングの人は、「もう平和島だ。」と言っていましたが、私は、まだやっと平和島か、と、この先の道のりの遠さを思ってしまいました。

京急と並行して歩いているので、平和島の次は大森町駅、次は梅屋敷、と歩いていきました。京急の駅と駅の間隔は、この辺り、結構短いんだろうな。

京急と並行しているこの道は、京浜国道の車がビュンビュン通る大きな道で、単調で疲れてきました。

こういう時、二人連れなら馬鹿話でもして気が紛れるんだろうな。ひとりだと、この足の痛みは、今日の疲れなのか、それとも昨日のジャズダンスレッスンでの特別メニュー、ロシアンエクスサイズによる筋肉痛なのか、なんて考えたり、コンタクトレンズがゴロゴロしてきて、目が痛くなると、頭もボーッとしてくるし。

右手に神社があったので、手を清めるところ(手洗鉢)でコンタクトレンズを洗わせてもらい、ホッとしました。

建物があると日陰があるのですが、工事中の場所が増えてきて、日陰が激減。歩行者迂回路は勘弁してほしい。遠回りをしなきゃいけない上、狭くて曲がりくねったところを、自転車がビュンビュン走ってきて、危なくて仕方がない。

梅屋敷跡って何があるのかな、と、ちょっと楽しみにしていたら、池のある公園でした。今は小さな一角ですが、昔は、あの吉野梅林と並び称されるほどの、梅の名所だったとか。「日本橋三里十八丁」と書いた石碑がありました。

その先、だらだら歩いていると、人が増えてきて、手にカフェのテイクアウトのコーヒーを持っていたりするので、もしや大きな駅の近くでは?と思っていたら、やはり、京急蒲田駅前でした。

蒲田から雑色駅までが一番辛かったかな。目標物もなく、工事の迂回路ばかりで、日はカンカン照って私の頭や首や腕を攻めてくるし。

朝と、しながわ区民公園付近と、2回腕や首回りに日焼け止めを塗りましたが、そのせいで腕がパールラメ入りみたいにキラキラして、ザラザラして、嫌な感じ。

雑色駅を過ぎると、次の目標の六郷神社が左側なので、どこかで左に渡りたいけれど、信号のタイミングがいいところで渡りたいな、暑いのにジッと待っていたくないし、信号が変わりそうだからと走ったりしないタイミングで、と見計らっていたら、グッドタイミングで渡れる信号と出会えました。

六郷神社には幼稚園があって、14時半なので、ママ達が自転車でお迎えに来ていました。

そこからすぐ先で、車道は多摩川大橋に向かって上っていくのですが、上っていく道に歩道がない。歩行者はどうするんだろう。まさか渡れないってことはないよね?と不安に思いつつ左側の細い道を進むと、やがて自転車用と歩行者用に分かれて、橋へと上っていく階段と坂道がありました。

ガイド本ってこういうところが不親切。歩行者は素朴な疑問や不安をもつと思うのに。そのとき、心のどこかで、自分が体験したことをブログに書くことで、後から東海道を歩く人のお役に立てないかな、と思い始めていました。まだ、今日歩き始めたばかりな上、東海道を全部歩こうなんて思っていなかったはずなのに。

多摩川大橋を、山のような空き缶を入れたビニールゴミ袋をくくりつけた自転車が、何台も川崎方面へ向かって走っていくのが印象的でした。

多摩川大橋は、最高に気持ちがいい!

遠くに見える、ベイブリッジ風の橋もきれいだし、羽田空港から飛び立つ飛行機も見えます。

080912_144901_2

河川敷は緑で、テニスコートもあります。河川敷にバラックみたいな家が沢山建っていて、あれは・・・・違法なんじゃあないのかなあ?あっ、「シーッ」の話なのかな。

川崎が近付いてきました。川崎は大きな町。東京より空気が悪いのか、けぶって見えました。ウミネコがニャアニャア鳴いて飛んでいきました。

ここから神奈川県、という看板は感慨深かった。多摩川はきれいでした。

橋を渡りきると、「旧東海道」の矢印に導かれて川崎に入り、案内に従って、川崎稲荷を見たり、田中本陣跡の看板を見たりしました。

暫くは案内通りに歩けば問題なかったけれど、砂子交差点辺りで道が分からなくなり、(実際は、そのまま直進すればよかったのに、ふと不安になって曲がってしまったのが失敗)仲見世通りや平和通り、国道15号などをうろうろ。

疲れているせいだ、と思い、どこか店に入って遅い昼食を食べようと思ったけれど、界隈、韓国料理の店ばかりで、ランチとディナーの間の準備中の店ばかり。ラーメンは食べたくないし。

川崎駅方面へ行ってみることにしました。

オープンの札が出ていたのに、今はランチとディナーの間だから、とインド料理店にふられ、急にドッと疲れが・・・やばいよ、どこかで休まないと、命に関わるよ。只今の時刻、15時25分。真剣に店探し。

そこからすぐのところに、鰻と天ぷら、と書いた小さな店があり、ランチタイム4時まで、うなぎ丼、親子丼、天丼が850円と紙が貼ってあり、とにかく入りました。

客席でテレビドラマを見ていたおじいさんが店主&料理人で、お茶を出したり注文をとってくれた女性が奥さん?

ボーっとして思考力が落ちていて、お品書きを見ても目に入ってこないので、さっき見た、うな丼を注文しました。

お手拭で手を拭き、お茶を飲んだら、人心地つきました。

料理が出るまで、五十三次のガイド本で道を確かめました。京急川崎駅まで行って総合案内板を見るのが早そうで、そうすることにしました。

鶴見までは行けそうだけれど、神奈川までは時間的に無理みたい。昔は日本橋から神奈川まで、女性も一日で歩いたそうで、私も神奈川まで行きたかったけれど、19時から会議があるから、歩き納めのリミットは17時。鶴見駅まで着かなければ、17時半までなら何とかなる。

うな丼は、安い理由が分かりました。鰻が通常のうな丼の半分、半身というのかな。丼のご飯が露出した部分には、細長い卵焼きが乗っていました。味噌汁と漬物が美味しかった。

頭がボーっとして、850円のランチうな丼にしてしまったけど、せっかくなら1600円ぐらい出して、もう少し大きな鰻が食べたかったな。

待て待て。歩く旅であって、グルメ旅行じゃあないんだし、お茶を買ったり、タンドリーチキンサンドや白桃パフェも食べたんだし、ここはランチうな丼で少しは安く上げてバランスを取らないとな。

でも、ゆっくり休憩も出来たし、道が分からなくなって焦っていたのも落ち着いたし、よかった。

トイレが2階なのが玉に瑕。旅人の足につらい。

店を出て、京急川崎駅に向かう途中、歩道の脇に地図看板があったので見てみたら、旧東海道も載っていました。

さっき、道が不安になり、仲見世通りに曲がったのが失敗。あのまま砂子通りをまっすぐ進めばよかったことが分かり、さっきの鰻屋の前を通って次の信号まで戻りました。そこが砂子通りの反対側の入り口。本来はここに出てくるはずだったので、この先は横断歩道を渡ってそのまま真っ直ぐ行けばよい。

休んだ効果で足もよく動き、八丁畷駅前の芭蕉句碑はすぐでした。

「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」

元禄7(1694)年5月に故郷伊賀上野に旅立った芭蕉が詠んだ句で、この年の10月に大阪で亡くなったので、芭蕉が関東で詠んだ最後の句なんだそうです。

さっき、遅い昼食を取って外に出たら、すっかり夕方らしくなっていました。大分涼しくなってきたし、日差しが夕方を感じさせます。

八丁畷で踏切を渡ってからは、市場一里塚を見逃さないように左側を歩いていましたが、途中で歩道がなくなり、車も時々通るので、気をつけて歩きました。デイケアの送り車が利用者の高齢者を一軒一軒送って回っているのとちょうど一緒になり、それが危なかったのですが、家の前で別れる人は、すぐに車が出るため、私の歩きと前後して一緒になってしまいます。スタッフが一緒に降りて玄関まで付いていって、鍵を本人に開けさせる世話を焼いていたとき、やっと私はデイケアの車から解放されました。

080912_163302 市場一里塚を見て、暫く行くと鶴見橋。

橋の手前左側に町内会が植えたコスモスがきれいに咲いていました。

橋を渡り、一路鶴見へ。

鶴見は川崎と神奈川の間の宿(あいのしゅく)で賑わい、名物よねまんじゅうを商う店が40軒もあったそうですが、鉄道が敷かれて東海道を歩く人がいなくなると、鶴見宿はすたれて、よねまんじゅう屋も次々潰れ、1軒もなくなってしまったそうです。

鶴見名物よねまんじゅうを復活させようと、菓子舗「清月」がよねまんじゅうを作るようになったとのことで…

「清月」を探して、よねまんじゅうを買いました。

よねまんじゅうは3色あり、緑が普通の餡、白は白餡、ピンクは白餡に食紅か何かで色をつけていて、餡もピンクでした。

周りの餅は、ぎゅうひみたいな食感で、もちもちして柔らかい。

京急鶴見で電車に乗ったら、ちょうど17時でした。

今日歩いた距離は、約23km強。実際には迷ったり、寄り道したり、工事で迂回させられたり、やや多く歩いていると思います。

それではまた、東海道でお会いしましょう。

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2008.09.16. 二日目は、快適スニーカーと、狐に化かされて?見た夜景

二日目は、快適スニーカーと、狐に化かされて?見た夜景

2008.09.16.

鶴見〜神奈川〜保土ヶ谷

昨日の天気予報では、今朝は早朝まで雨で、午前中には上がるようなことを言っていたけれど…昼になっても降ってるよ〜。

9月12日に東海道を初めて歩いた日以来、腿と脹ら脛、というより足の前側、弁慶の泣き所の筋肉痛が激しく、しゃがめない、走れない。

これは靴が悪かったんだ、と思い、スニーカーを買いました。長女と一緒に二泊三日歩くまでに、いろいろ準備しなくちゃね。

毎晩、足の痛い所に冷えピタやら休足時間などをペタペタ貼ったおかげで、筋肉痛はほぼ完治しました。

一旦雨は上がっていたのに、私が銀行に行って、用を済ませて外に出たら、かなり降っていました。

今日は先日の続きで、東海道五十三次歩きの二日目決行。

雨上がりを待っていたせいもあり、京急鶴見を出て歩き始めたのは、もう15時を過ぎていました。

鶴見駅からは暫くは商店街を歩くので、店店をキョロキョロ見ているうちに国道にぶつかり、これを渡った先が分かれている。どっちに行けばいいの?地図を持ってきてよかった。いつの間にかすっかり晴れて、左側の眩しく明るい方は橋を渡ってしまうから不正解。右側の細くて日陰の路を進みます。なんとなく旧街道の面影を感じます。

080916_151801

鶴見線国道駅のガード下を潜りますが、道の左右、ガードの下が昔のトンネルだった形をしていたので写真に撮りました。

この先、もう夕方なのでシャッター通りになっていますが、少し開いている店から想像がつきました。ここは魚河岸通りだ!

気になるお稲荷さんをパチリ。

家を出るときは傘と上着が必要だったのに、晴れて暑くなり、帽子が欲しい。濡れた折り畳み傘を広げて、乾かしがてら、日除け用にさして歩きました。傘をさすと日差しが楽。

普通の民家の壁に忽然と歴史案内板が貼られていて、「おっと!」と足を止めたら、ここで生麦事件が起きた、と書いてありました。生麦事件の碑はもっとずっと先なんだけど。

暫く歩くと、左手にキリンビールの大きな建物が見えました。今日は休館日。ちょうどよかったかも。歩き始めにビールを飲んじゃったら、すぐに今日の旅は終わってしまうところだった。

道が国道15号と合流する左手に、生麦事件の碑がありました。「碑文が磨耗しているので、お線香を炊かないで下さい」と注意書してありました。

車の多いR15(第一京浜)を歩いていたら、トイレに行きたくなりました。しかし、公園もコンビニもない。これは駅を狙うしかない、と探しながら歩いていたら、子安駅があったので行ってみると…京急子安駅は改札に入らないとトイレがない。JR子安駅へ移動しようとしたら、この近辺の歩道橋が複雑で、エレベーターに乗らざるを得なくなりました。

右往左往させられたけれど、無事にトイレにたどり着けました。

今日は足取りが軽い。スニーカーのおかげだね、やっぱり。

ガイド本によると、この辺りは国道15号をずっと歩くことになっていますが、覗いてみると国道と平行している裏道があり、あっちの方が東海道のイメージがするので、とにかく裏道に入ってみました。

ほら、東海道っぽい。と思ったのですが、暫く行くとマンションが建っていてイメージダウンなので、また国道に戻りました。

バス停名が浦島町というところがあり、近くに浦島太郎の墓があるそうです。

気付いたら良泉寺がありました。しまった、オランダ領事館跡&神奈川土居跡の神奈川東通り公園を見逃してしまった。既に神奈川宿に入っているってことだな。

国道から裏の路へと入り、芭蕉句碑のある能満寺を見付け、神明社を見付け、その先に市立神奈川小学校の壁に東海道分間延絵図があるのを見ました。

080916_16310101

一旦R15に戻り、仲木戸駅辺りから、国道15号に平行する旧東海道に入りました。

金蔵院を見つけて、そのすぐ先に神奈川地区センター。入り口左手前に実物大の復元の高札場があります。(本日の冒頭の写真)

この通りは、整備されたのが最近なのか、等間隔に植えられた松が若くてまだまだしょぼいけれど、でも東海道らしくていいなあ。

少し先の右側に成仏寺。アメリカ人宣教医師ヘボンの宿舎跡だそうです。一昨年の夏、神奈川区民ミュージカル「ヘボンクラブへようこそ」を見ましたが、ここが舞台だったんだ。

滝ノ川沿いの道にぶつかり、寄り道になるけれど、右に曲がって暫く行くと慶運寺(浦島寺)。浦島太郎が竜宮から持ち帰った品?などが保管されているそうです。寺の名を記した石碑の足元が亀になっていて、中に入ると手洗鉢も亀でした。

滝ノ川沿いに戻り、土橋を渡って右に入ると浄瀧寺。イギリス領事館跡があります。横浜開港当時、神奈川は各国の領事館として寺や神社が使われました。さっき神奈川新町の近くで見た良泉寺は、寺の屋根を剥がし、改修中であることを理由に領事館を断ったそうです。

滝ノ川沿いの道に戻り、滝ノ橋へ。この橋の付近に神奈川本陣跡や高札場跡があるそうです。遠回りになるので、確かめずに進みました。

暫くは高速の高架の下の15号線を歩き、右に宮前商店街の大きな看板を見つけて斜めに入っていきます。この商店街が旧東海道です。

商店街の真ん中に洲崎神社。夕暮れになってきたとは言え、真っ暗な神社で、一瞬中に入るのがためらわれましたが、逆にパスするには惜しい雰囲気で、鳥居をくぐって階段を上がりました。昼なお暗い杜という感じです。本殿は倉みたいで、普通の神社と違うイメージ。左手に溶岩を利用した?ようなモニュメントがあり、大きい唐獅子が2体、小さい唐獅子が1体。私は勝手に、獅子が我が子を千仭の谷に突き落とす儀式、だと解釈しましたが、果たして?

宮前商店街を抜けると京急神奈川駅があり、その脇に青木橋。線路を渡る陸橋です。

ここでまた道が分かれましたが、地図で確かめて、少し左へ行ってから右斜め前の細い道へ。

少し行くと右に大綱金刀比羅神社。(金と羅の間の字は、上が刀、下が比の1文字ですが、変換できないので、金刀比羅と書きました)以前は社前に、神奈川一里塚があったそうです。

080916_172001

ここから道が上り坂になります。広重が台の坂道を描いていて、すぐ脇まで海が来ていて(今のJR線路は海の底)、茶屋が立ち並んでいました。今はマンションばかりですが、料亭滝川と田中家が往時を偲ばせます。滝川は写真を撮ったのですが、田中家はちょうど二匹の犬を散歩させていたおばあさんがいて、なかなか移動しないので、写真を撮らないで先に進んでしまったのですが、暫く進んでから、やはり写真を撮るべきだったな、と後悔しました。夕暮れの薄暗い玄関先を灯す明かりがとてもきれいで、また来ることがあったとしても、あの瞬間のあの美しさは二度と手に入らないでしょう。でも、肉眼で見たものと写真ではイメージが違ってしまうことはよくあり、案外撮らなかったことで瞼の裏にいつまでも残っているかもしれません。

右に神奈川台関門跡の碑があり、ここで坂はなだらかになり、下に道路が通る陸橋を渡ると、下り坂になります。

この辺りは軽井沢という地名。この先に浅間神社もあるし、長野県の軽井沢と関係があるのかなあ。

車道にぶつかり、目の前は坂の土手(壁面が右上がりに高くなっていく車道)で、壁に壁画が施されていました。東海道五十三次関連かと思ったら、横浜港のイメージ図(開港当時を描いているのかな?)でした。

この車道をどうやって渡るのか、右から回るのか左へ行くのか…壁に沿って右へ行ってみました。車道の下をくぐるトンネルがあったので、入ってみました。トンネルの壁にも、絵が描いてありました。一番下の青地が海で、魚やイカやイルカがいました。真ん中緑地が陸で、車や動物がいました。一番上が空で、ヘリコプターなどが描かれていました。

しかし…

この道が失敗。道に迷いました。帰ってから調べたら、さっきは右に来たけれど、車道を左側から回って渡るのが正解だったようです。

18時ぐらいになると本も地図も見えないぐらい暗くなってきて(9月中旬でもうこんなに暗いんですね)、商店の前や自販機の明かりで地図を見ました。

宮ヶ谷小学校というところを通り(すでにこの時、正規のルートの北東に行ってしまっていました)、路地で子どもたちが「上か下か」というゴム跳びの変形の遊びをしていました。私も、この遊び、よくやったなあ。

鎌谷町という町内会掲示板があり、おかしいと思い、自動販売機の明かりで地図を見たら、かなり北に来てしまっていたので、南下しなくてはいけない。

とりあえず左へ。すごい急坂で、階段と手すりがついています。私は自分のペースで上る限り、平気でしたが、私の前を青息吐息で手すりにすがって上っているおばさんを追い越したところ…なんだか、この道、人家に入ってしまって行き止まりのような気がして(うちの方の谷戸に多いんですよね)、反対側に抜けられるかどうか、青息吐息のおばさんに聞いてみました。疲れているだろうに、にこやかに答えて下さいました。一番高いところまで行かないとあちら側には下りられないこと、てっぺんには宮田中があるとのこと。

息が辛いだろうに、ありがとうございました。私との会話が息苦しさを増長させてしまったのではなく、気が少しでも紛れてくれたならよかったのですが…。

胸付き八丁の階段からは解放され、ややきつい坂の中の住宅街を歩いていたら、中学生に「こんにちは」と挨拶されました。もう暗いけれど、「こんにちは」には「こんにちは」で返しました。宮田中では道で人に会ったら挨拶するように教えているのかな。気持ちがいいものですね。

てっぺんに着きました。横浜方面の夜景がきれいで、得した気分になった上、ランドマークタワーのおかげで方向も分かりました。

宮田中前を通り、坂を下りていき、出会った車道を右に行ったら、洪福寺松原商店街の歓迎アーチが明るく出迎えてくれて、これでもう大丈夫、とすごく嬉しくなりました。なんだかんだ、30分強遠回りして山登りしたけれど、正規のルートに戻ってきました。万歳!

松原商店街は暖かい灯りの色の町で、なんだか現実感がない祭りみたいにホワホワした気分で、もしや狐に化かされてるのでは?と思ってしまいます。

その先、天王町駅前通りは気になるお店がいろいろあって、飲んでみたい町です。

12215766454324 LAWSON 100があったので、冷えピタみたいなものを二箱買いました。

橘樹(たちばな)神社はほのかにライトアップされていました。18時18分。

ちょうど神社前で次女からの電話を受け、お腹が痛くて動けないから、と買い物を頼まれました。

自分の町に帰ってからでは面倒なので、天王町の薬のセイジョーで頼まれた物を買いましたが…すごくかさ張る。なんだかもう旅は終わった気分なんだけど、まだこれから保土ヶ谷駅まで歩くんだよ〜…

天王町駅の高架下をくぐると、目の前の小さな公園が帷子(かたびら)橋跡なんだそうです。

保土ヶ谷駅へ向かう道に、「保土ヶ谷宿場祭り」の幟が立っていました。10月に祭をやるらしい。

保土ヶ谷駅に着きました。19時ちょうどの電車に乗りました。

車内では30分近く立ってましたが、それほど疲れていないのは、歩く距離が短かったのと、やはり靴のおかげかな。今日は道を間違えなかった場合は12キロ強でしたが、実際にはかなり余計に歩いています。

今夜はごはんが美味しいぞ!

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2008.09.18. 遠回りも旅のスパイス、歩いた所が私の東海道

080918_171101 遠回りも旅のスパイス、歩いた所が私の東海道

2008.09.18

東海道五十三次 3日目  保土ヶ谷~戸塚   雨

朝、出勤したら、私は今日は休みになっていたことが分かりました。早朝はかなりの大雨だったものの、私がとんぼ返りで家路についた9時半頃は小降りになっていました。

実は昨日、ついに万歩計を買ったので、試しにズボンのウエストに付けて歩いていました。この万歩計は、身長から歩幅を計算して登録することで、歩いた距離も出てきます。時計も付いています。今日の歩数と歩いた距離を、後で書きます。

一旦家に帰り、買物をしてから、急遽、東海道五十三次ウォーキングの続きに出かけることにしました。

買物の時、リュックも買いました。昨日、東洋整体で足を施術してもらった時、左ばかり張っている、と言われました。人は誰でも歩き方に片寄りがあるそうで仕方ないかもしれないけれど、私はいつも鞄を左肩に掛けているのも関係しているかも、と思い、リュックを買うことにしました。いずれ、10月には長女と2泊3日で歩くから、その時には必要になるし。

昼食後、買った物や、今まで持っていたバッグをリュックに詰め込み、電車に乗って、一昨日の続きのために、保土ヶ谷に向かいました。

東海道五十三次歩きは今日が3日目。本日は、保土ヶ谷から戸塚まで行く予定です。

保土ヶ谷駅に着き、今朝からここまでの歩数を見たら、10,128歩。既に6.5km歩いていました。

トイレをすませ、飲み物を買って、歩き始めたのは14時半。

雨は小降りで、やんだかと思って傘を外すと案外降っていて、ずっとさしたままで歩きました。

保土ヶ谷西口商店街を歩くと、「保土ヶ谷宿場まつり」のポスターが貼ってあり、10/10と10/11の二日間。ゴザ市の出店者、その他もろもろ募集していました。

商店街の真ん中辺りに、問屋場跡と高札場跡がありました。

商店街を抜けて線路を渡って、国道1号線に突き当たり、渡った向こう側が保土ヶ谷宿本陣跡。古そうな家ではありますが、昔の物そのままでは残念ながらなく、建て替えられています。でも、昔、本陣を経営していた軽部氏の子孫が今も住んでいるそうです。

東海道の案内板が整備されていて、本陣、脇本陣の意味が書いてあったり、本陣や脇本陣は制約が多いため、経営が楽ではなかったことなどの、東海道豆知識が書いてありました。

かなり古そうな家があるな、と思ったら、脇本陣や旅籠跡の家でした。

今井川と接する辺りに一里塚があったそうですが、「区民の手で一里塚を復活させようプロジェクト」を呼び掛けるポスターが貼ってあり、川沿いの公園が整備されつつありました。

元町で国道と別れて、右側、旧道に入ります。

樹源寺の階段を上っていくと、「檀家以外の方は社務所に断ってご参拝ください」と書いてあったので、山門をくぐらずに階段を下りました。

暫く歩くと、「旧東海道→」という案内があったので助かりました。

また暫く行くと、右に曲がるよう、指示があり、そこから坂が始まりました。

これが有名な権太坂。日本橋から歩き始めて、最初の難所だそうです。今は道が整備されて、かつてより楽にはなったそうですが、上り坂が延々と続くので、やはり大変です。

この辺りは学校が多く、まず右に県立光陵高校、すぐ先、左下に権太坂小学校。またもう少し先に行くと、境木小学校と境木中学校もあります。

権太坂小学校のすぐ近くに、東海道の案内板があり、権太坂という名前の由来について書いてあり、面白そうなので読もうとしていたら、下校の小学生たちがやって来ました。案内板をじっくり眺めると歩道を塞いでしまうので、案内板を見るのは諦めました。

後で調べたら、説が二つあり、ひとつは、坂の工事の責任者が権左衛門だったから。もう一つの説の方が、断然面白い。その話とは…

旅の侍(大名だったという説もある)が「この坂の名前は何と言うのか」と聞いたところ、耳が遠い老人が、自分の名前を聞かれたと思い、権太、と答えた、という話。

右手に眺望が開けました。晴れていれば、富士山が見えるそうです。

トイレに行きたくて困っていたら、コンビニがありました。トイレを使わせてもらい、リポビタンDを買って飲みました。

一旦なだらかになったので、坂は終わったのかと思った辺りに、境木小学校と、境木中学校がありました。

今まで歩いてきた道は静かな道でしたが、バスの通る道にT字にぶつかった辺り、急に賑やかになります。そのぶつかった正面辺りが境木小学校でした。「旧東海道→」の案内がなかったら、どう進んだらいいか、分かりづらい場所でした。

この賑やかな道に出たら、右に曲がります。渡る時、信号がない横断歩道で、車が全然止まってくれなくて困りました。

右に曲がってから少し進んだ右側に、堅牢な旧家の屋敷門が現れ、一気に東海道五十三次旅気分が盛り上がりました。今日の冒頭(2枚目)に載せた写真がその屋敷門です。

080918_153701_2 右の写真も、同じ建物です。

そのすぐ先が、境木地蔵。由来を読んでみると、鎌倉の海で拾われたお地蔵様が村人の夢枕に立ち、「江戸に連れて行ってほしい。願いを聞いてくれたら、村を守ってあげよう」と。村人達が大勢で一生懸命坂を上ってお地蔵様をここまで運んできたところ、どういうわけか、にっちもさっちもお地蔵様が動かなくなった。話を聞いたここの村の人達が、お地蔵様を引き取り、安置したところ、村は栄えた、という話。

境木地蔵があるところが一番高い所で、昔はここが、武蔵と相模の境だったところから、境木という地名が付いたそうです。

今の東京都が武蔵の国で、神奈川県が相模の国、と思いがちだけれど、神奈川県の中でも、川崎と横浜の一部は、武蔵の国だったんですね。

お地蔵様の境内はなかなか立派で、手水鉢に水を送っているのは、かわいいお地蔵様でした。よく見ると、お地蔵様が風呂桶に浸かっている形でした。

昔はこの境内で牡丹餅を売っていて、難所の坂道を上ってきた旅人の憩いの場として賑わったそうです。

この先、またどう進んで行ったらいいのか分かりづらく、ここでも、「東海道→」という案内に助けられました。

坂を降り始めてすぐの右側に、「焼き餅坂」の案内が出ていました。ここで焼き餅を売っていたので、この名前が付いたそうです。

もう暫く坂を降りていくと、品濃一里塚公園がありました。

その先、暫くは何の案内もなくなり、右の方から車の往来の激しい音が聞こえてきて、この車道をどこかで渡るはずなので、右の方に曲がらなくていいのかと不安になりますが、とりあえず、まっすぐ進みました。

田舎道で、萩の花、カンナ、彼岸花が咲いていました。彼岸花は、燃えるようにひと群れ、という咲き方ではないのが残念。今年はまだ、燃えるような彼岸花を見ていない。

やがて品濃坂。緩やかに下っていたのが、一気に急傾斜になり、車の滑り止めの丸い窪みを付けた坂(我が家ではタコタコ坂と呼ぶ)で、私の足がスリップ!おっと、と立ち止まり、辺りを見回したら、危ない危ない、足を滑らせなければ、そのまま勢いで車道を進んでしまうところでした。よく見ると、歩行者はこちらの階段を下りてください、と指し示す案内の「東海道↑」がありました。

その案内板は、今までのものとは違っていました。昔の町人風の親子の絵が描いてあり、神奈川ルネサンス協会というところが案内板を出していました。

急階段を下りて歩道橋で車道を渡り、また案内に従って、左側の階段を下り、すぐに右に曲がりました。

旧東海道、の矢印に助けられることが多かったのに、一箇所、この矢印でかえって分からなくなってしまった場所がありました。

川沿いの桜並木のバス道を行くのが多分正解だったと思うのですが、矢印は一本裏側の住宅街の道を行くように指し示しているよう思えて。

戸惑いながらも、なんとか国道1号線にぶつかり、右折して、暫くは国道1号線の歩道を歩きます。

何箇所か、どうも旧道は左の細い道を入るんじゃあないか、と思いつつも自信がなくて、そのまま国道の歩道を進んでいったのですが、後から、やはりあっちだった、と出口で反対側からの(京都から日本橋へ向かう人のための)案内が出ているのを見つけたりすると、がっかりしてしまいます。特に一箇所、車道の立体合流箇所、旧道を歩いていれば回避できたのですが、国道を歩いていた私は、何回も信号を渡ったり、遠回りになってしまったり、大変な思いをしました。

ポーラ前にコンビニがあったので、トイレを借り、ソイジョイブルーベリーを買ったのですが、固くてパサパサして…  歩く旅の途中では、柔らかめでしっとり感のある物がよいみたい。パサパサなものはダメ。教訓になりました。

暫く行くと、土地の真ん中に、ポツリと蔵が一つだけ建っている不思議な空間があり、とても気になりました。

その先、柏尾三叉路の手前に大きな石垣があり、木がこんもり茂っていました。凄い屋敷だな、と思ったら、ガイド本にも出て来ていた益田家で、モチの巨木が圧巻でした。

080918_171101

その先、国道1号線が、小田原方面へと進む道と、戸塚駅へと向かう道に分かれ、戸塚駅へと向かう道の左側に旧道がありました。旧道の入り口に、奉祝の桜と、奉祝の松がありました。

左側に、「史蹟への小路」と書いた石碑がありました。入ってみたけれど、どこがその史蹟か分からないまま戻ってきたら、さっきの石碑の裏側に、護良親王首洗いの井戸と書いてありました。

その先、右側に、斉藤家土蔵があり、塗りが剥げた風格は、東海道一ではないか、と思いました。左の写真が斉藤家土蔵です。

土蔵の手前には、赤レンガの蔵もありました。斉藤家の隣に斉藤肉店があり、そのまた隣が、ミートショップ斉藤という食料品店でした。

080918_17100101

ガイド本によると、この先で国道に合流、とあったので、自然に国道と合流すると思い、まっすぐ進んでしまったのですが、正しい道は、川に出たら、川沿いに右に曲がって数10メートル進むと国道にぶつかり、そこで国道を左に曲がって進む、のです。

でも私は、自然合流するまで進み続けるつもりで、橋を渡りました。

橋から川を眺めたら、水の中の草が育って髭ぼうぼう、といった凄い風景でした。

橋を渡りきると、その先工事の影響か、舗装が途切れて2メートルほど砂利道が続き、すぐにまた舗装道に戻りました。

公園があったり、のどかの夕暮れの風景を楽しみました。

気になったのは、やたらと高床の家が続くこと。そこで気付くべきでした。

山の斜面に家を建てたから、住宅部分が2、3階で、1階は車庫になっている家ばかり。新しく造成された土地だから、そういう造り方になっている。旧東海道ではない、と早く気付かなくちゃね。

122183449226156 水田に出たとき、これはおかしい、と地図を見ました。戸塚駅の近くで稲田を見られたのは、すごい収穫でしたが、駅に出なければならない。引き返すのが一番安全ですが、この住宅地の山を越えれば戸塚駅方面に出ることは分かっているので、地図で当たりをつけて、住宅地を上って戸塚駅を目指しました。

しかし、どうして毎回道を間違えるのかなあ。東海道を歩いた先人達は、間違えずに歩いたのだろうか。

でも、道を間違えたから、一昨日は夜景も見られたし、今日は黄色く色づき始めた稲田を見ることが出来ました。

発想を変えよう。間違えたのではなく、旅のオプション、旅のスパイスと考えればいいんじゃあない?その方が楽しいもの。ハプニングこそ、旅の醍醐味。ガイドブック通りに歩くことはないんだから。

私が歩いたところが道になる。私が歩いたところが、☆紗的東海道ルート、ドキドキお楽しみ付き、ということにしよう。

造成住宅地の階段を上り、てっぺんからは、坂を下りました。車道のカーブを縫うようにして、歩行者用の階段が付いていました。

吉田橋を渡りましたが、橋の途中に五十三次の絵が描いてありましたが、もう薄暗くて残念ながらよく見えない。次回の旅は戸塚からだから、その時じっくり見ようっと。

駅に曲がる角に銭湯があり、古い銭湯でしたが、温かい雰囲気を感じました。風呂、入りたい!でも、今帰らないと、夜はジャズダンスレッスン。東海道の一日旅の最後に、銭湯に入れたら、幸せだなあ。今日は無理だけど、今度、是非。

戸塚駅に着き、電車に乗ったのが、17時57分。

今日の万歩計計測は、朝から今までが27,424歩。そこから、今日の旅の最初の時点まで(朝から保土ヶ谷駅まで)の10,128歩を引くと…

本日、東海道で歩いた歩数は17,296歩。距離は9.9km

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2008.09.29. 東海道は今日も雨だった〜教訓;雨の日のマンホールの蓋は滑ります

東海道は今日も雨だった〜教訓;雨の日のマンホールの蓋は滑ります
10月29日(月)  東海道五十三次四日目 戸塚~藤沢~平塚 一日中雨

今週は月、火、水と休みなので、東海道五十三次ウォーキングの続きに出掛けることにしました。

子どもたちに、「どこまで行くの?」と聞かれ、「雨だから、その時次第。足まかせ。でも、少なくとも藤沢までは行くよ」

「じゃあ、TOTOを見てきて」
「それ、どこ?」
「茅ヶ崎」
「茅ヶ崎まで行くかどうか分からないし、もう真っ暗で見えないかもしれない。」

支度しながら、そうだ、と思い付き、「そこまでたどり着くかどうか分からないけど、もし、平塚まで行けたら、太古の湯に泊まってくる」と言うと、「がんばれぇ。太古の湯に入ってきて」と言われました。

戸塚駅に降り立ち、どこかにスポーツ用品店がないか探してみました。先日、母と上高地に行った時、熊笹の中で万歩計をなくしたので。

でも、駅の回りでは買えませんでした。駅からちょっと離れたところに西友があり、店内にスポーツ用品店がある、と地図にはあったので、そこで買おうと思っていました。

ところが、西友がない。建物ごと、がっつりない!更地になっている…(今年3月に閉店したそうです)

ところで、雨なのでなんだかぐずぐずしていて、家を出たのは11時半頃。昼食は駅ビル内のファーストキッチンで、大人のカレー味のドッグとサラダとコーヒーのセット。

雨の中、歩き始めたのは12時37分でした。戸塚駅周辺は、開発途上で工事だらけで分かりづらくなっていましたが、とにかく北大踏切を確認して東海道に歩を進めました。

西友跡地に何が出来るのか思い巡らしながら、そのすぐ先の郵便局に寄りました。

長女と東海道箱根越えをするにあたり、10月6日にペンション芦ノ湖グリーンハウスに泊まるのですが、先週水曜に電話予約し、一週間以内に内金を現金書留で送ること、連絡なしに入金がない場合は予約取り消しとなってしまうとのことで、諸々用事があったため、郵便局になかなか行けず、今日は絶対お金を送らないといけないので、戸塚の郵便局に寄りました。

戸塚の郵便局は、入るといきなりエスカレーターで2階へ行くしくみになっていて、びっくり。結構な雨で傘はビトビトだから傘袋を利用しますが、最近は入れて引けば袋に入れられる道具を設置する店が増えたので助かります。

さて、リュックの腰ベルトも締めて、本格的に歩きますか。

沢辺本陣跡、八坂神社の写真を撮り、戸塚の名の起源となったという富塚八幡宮に立ち寄りました。この辺りの地主が富塚(とみづか)氏で、この辺りを富塚郷と呼んでいたようです。神輿がガラス戸の社殿に入っていました。芭蕉句碑は神輿の反対側にありました。

道は上り坂。大坂、または戸塚の坂と呼ばれた急な上りです。

今日は、長距離歩くのに楽、という五本指の外反拇趾予防サポーターを履いた上に普通のソックスを履き、靴はスニーカー。外反拇趾サポーターは五本指ソックスの指先と踵を切り落として前3分の1しかない、みたいな小さな薄いものですが、指股を広げて、歩けば歩くほど、現代人に失われた横アーチが形成されて、歩きやすくなるそうです。

この組み合わせのお陰か、とても歩きやすく、歩幅も広く速く歩ける気がします。

坂を上りきると、国道1号バイパスと合流。

国道は上り車線と下り車線が平行してはいますが分離していて、並木の生え方から、下り車線(旧東海道的には上り。歩行者は左側歩道)が旧東海道のようです。雨なので歩く人もいないかと思っていたら、バス停ごとに年輩の方たちがバスを待っていて、みんな傘をさしているから、私が横切る時、傘がぶつからないように気を遣いながら、でも、歩調を緩めると巻き返しが大変なので、出来るだけ一定の歩調で歩きました。

「お軽勘平戸塚山中道行きの場」の碑はバス停横にありました。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」、昔見たなあ。

暗い山道、「お軽」「勘平さん」互いに見交わす顔と顔。テンテンツクツクと舞踊の一場。

原宿一里塚を見て、以前は横浜ドリームランドに行くのに通った原宿交差点(渋滞で有名)を横切り、道祖神や馬頭観音を見て歩きました。

右側に聖母の園という建物があって、気になったのですが…

カトリックの修道院があって、戦災で身よりをなくした老女たちの養老院でしたが、1955年2月に火災で全焼、足腰の立たない60歳以上の老女ばかりだったため、たくさんの犠牲者を出した事件だったそうです。

今は、修道院、医院、高齢者施設、保育園があり、矢口真里はここの卒園生だったそうです。国道から見えたカラシ色の建物がどの施設だったのかはわかりません。

今日は足ごしらえがよいせいか、かなりビンビン歩けました。

学生時代は歩いて旅をするサークルに入っていて、山も登ったし、平地合宿では、テントや炊事道具を背負って平地もガンガン歩き、民家の庭にテントを張らせてもらったりしていました。

当時は1km10分ペースで歩いていましたが、荷物も重かったし、50分なり60分なりの1本を同じペースを維持して歩いたのですから、かなりの体力が必要で、普段からトレーニングをして、旅のクラブというよりは、体育会系の乗りでした。

今はもう、あのペースは無理ですが、今日はかなり頑張りました。

そろそろトイレに行きたい、と思っていたら、マクドナルドがあったので、100円のシェイクで休憩。

これが14時半頃。

080929_142902001001 この秋は、全然彼岸花を見掛けないと思っていましたが、今日は結構見掛けました。白い彼岸花も。

道はバイパスから左に外れて道場坂を下ります。

工事をしていて歩行者用通路が指定されているところを、工事の人にお辞儀されながら通り抜けると、一里塚跡の看板が出ていました。

そろそろ右手に小栗判官の墓があるはず、と見ながら行くと、歩道脇の土手が何ヵ所か切れていて、奥に墓地が見えるのですが、どこに小栗判官の墓があるのやら。

大分坂を下ったところに遊行寺入り口があったので、寄っていくことにしました。

入ると右手に「小栗判官墓所↑」とあったので、矢印に従って墓地内の坂を上っていくとかなり上りました。さっき、坂を下ってきた、あの土手の内側がこの墓地で、土手を隔ててせっかく下ってきたところを上り返しているわけです。

今度来ることがあったら、一里塚を過ぎたら土手の切れ目から墓地に入ると、小栗判官墓所は近い、と思いました。

墓地の坂の突き当たりが小栗堂。中庭に、小栗判官の墓、照手姫の墓、愛馬鬼鹿毛の墓、小栗判官目洗いの池などがありました。

遊行寺境内には、踊り念仏の一遍上人の像、大銀杏などがありました。

緩く長い階段(坂道に段をつけた感じ)をおりて正門から出て、遊行寺橋を渡ると、見覚えある場所に出ました。

父が年末に亡くなり、母は4月にこちらに越してきましたが、それまで実家があった山梨に行くにはいつも藤沢橋を通って厚木〜愛川〜相模湖と一般道を使って行っていたので、何度も通った道。藤沢橋は遊行寺橋のすぐ隣で、覗くと遊行寺橋から見えました。

ここから暫くは、私が何度も運転して通った道を暫くは歩きます。この道が東海道だったなんて、知らなかった。

122269469529234 街道らしい家もいくつか見られました。

義経首洗いの井戸を見て…平泉衣川で殺された義経の首は持ち帰られ、この井戸で洗ってから、腰越で首検分された後、七里が浜に捨てられたとか…(;_;)

その先、橋を渡るので下を覗くと小田急江ノ島線の線路を渡る陸橋で、藤沢本町の駅が見えました。

旧東海道は右手にそれて静かな道を歩き、また国道に戻って引地橋を渡り、暫く行くと坂を上り始め、右に見覚えあるメルシャンの工場。ワインの匂いがしました。

もう暫く行くと、厚木への道は右手にそれて、私がよく通っていた道とはお別れです。

暫く歩くと、国道1号線と合流。

すぐ先の右側に大山道道標と大鳥居がありました。この辺りでは、下校の中学生をよく見掛けました。

080929_162401 松並木の歩道は、旧東海道を旅する者には嬉しいけれど、自転車の中学生には通りづらい道でした。

下校の中学生の一団から離れようと思い、道路の左側に渡り、松林を見ながらひたすら歩きます。

雨の日は暑くないので、歩きやすいです。ただし、マンホールの蓋は滑るので要注意。傘が重くなってくるので右手に持ち変えたり左手に持ち変えたり。ズボンの裾も濡れますが、今日ぐらいの大雨だと、お尻も、中の下着まで濡れちゃいます。

子どもたちが話していたTOTOが見えてきました。松林中学前のバス停がありました。ちょうど17時のチャイム「赤とんぼ」が流れました。子どもたちに、「今、この辺にいます」とTOTOの写真を添付して送りました。

だんだん薄暗くなってきました。日が暮れるのが早くなって来ましたね。

080929_170201 17時20分頃SATYとワーナーマイカルの建物が右手に見えたので、道を渡ってSATYに入りました。

トイレへ行って、ジャージーと靴下を買い、万歩計も買いました。

ミスドで汁そばセットで休憩。

18時半頃出発。平塚までのあと1〜2本で今さら万歩計をつけてもなあ、と思ったけれど、せっかくだからつけました。

もう暗くなったので、私はビシバシ飛ばしました。

しかし、自転車も多く、傘をさしている自転車も多く、危ない危ない。

鳥井戸橋の南湖左富士の碑、旧相模川橋脚を見て、馬入橋相模川の看板を見たのが19時03分。

馬入橋は雨と風でめげそうになる気持ちをささえてくれたのは、次第に近づいてくる平塚のビルの灯り。そして、向こう岸の右手にテーマパークみたいなきれいな灯りの場所があり、レストラン?と気になりながら歩いていたのが力付けてくれました。橋のたもとにホテルがあり、ホテルの裏手のチャペルとの間の空間に灯りの広場があったので、ホテルのチャペルのガーデンパーティ用の庭でしょうか。夢の国みたいでした。

平塚駅前に着き、トイレに行きたかったので、紅谷町のモスに入り、ストロベリーシェイクを頼みました。

まだ19時半。速かった。5.8kmを1時間で歩いてしまった。

そこからさらに、平塚駅北西口近くの太古の湯まで歩きました。

茅ヶ崎のSATYからは9,672歩。6.2km。

風呂に入って、21時半の、ロウリュウという、サウナ内で熱風を送ってもらう癒しの時間を体験し、さあ、ビールだ、晩御飯だ!

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2008.09.30. 五十三次五日目前半 隠された能力

東海道五十三次5日目 隠された能力

2008.09.30.  東海道五十三次 五日目 平塚~大磯~小田原~箱根湯本

降ったりやんだり、ほぼ一日中雨

太古の湯で朝食を食べたのが、8:15、。

お菊塚を探しに行ったのですが、15分ぐらい探したけれど見つかりませんでした。怪談「番町皿屋敷」の、あのお菊さんは、平塚出身だったんですね。

気を取り直して、再び太古の湯から旧東海道に向かいました。

平塚宿江戸方見附跡を見て、平塚小學校蹟の大樟を見て(手塚治虫の「アリと巨人」を思い出しました)、高札場跡、本陣跡(神奈川銀行)、平塚宿西組問屋場跡を見て、ちょっと道を外れますが、平塚の塚を見に行きました。

平塚の塚は、平塚という地名の起源になった塚です。昔、桓武天皇三代孫、高望王の娘、政子が東国へ向かう旅をした折、天安元年(857年)、この地でなくなり、墓を築いたところ、、上が平らな塚になったところから、「たいらづか」と呼んだのだそうです。

旧東海道に戻りために歩いていたら、風船みたいな実をつけた植物に遭遇。フウセンカズラより実が大きくて、トゲトゲがあります。

080930_090201 後で調べたら、風船とうわた(唐綿)という植物で、あのトゲトゲは痛くないそうです。晩秋になると、パカッと実が割れて、中からワタとタネが出てくるそうです。風船唐綿の実の花言葉は「隠された能力」なんだそうです。寄り道して出あった風船唐綿の実の花言葉が「隠された能力」って、なんだか象徴的な気がして、ニヤニヤしながら歩いちゃいました。

暫くは旧東海道の静かな道。気持ちよく歩けます。

このときは曇っていました。一日中降ったりやんだり。ほとんどずっと傘をさしていました。やんだかな、と傘を外すと案外顔に当たり、短い距離なら傘などささない程度でも、長時間歩くと、お尻などが結構濡れてしまうから、傘をさしておかないと、後が大変になります。

国道と合流した先に、平塚宿京方見附の碑がありました。

花水橋を渡ると、右折すれば湘南平、の標識。高麗山の頂上付近を湘南平と呼びます。

湘南平は夜景の名所。春には桜もきれいで、アスレチックもあるので、車で何回か来たことがあります。高麗山は、平塚からこんもり見える山で、広重の平塚宿の絵にも描かれています。

もうこの辺りは大磯町。右側に高来(たかく)神社がありました。境内にあった、力石と、風化しかけて読みづらくなっている石碑が印象的でした。石碑には「大磯八景其一 高来寺の晩鐘 云々」とありました。

化粧坂(けわいざか)の分岐点で、旧道は右に入ります。ここで、あの人も東海道を歩いている人ではないか、と思う女性とすれ違いましたが、声を掛けられませんでした。高麗山辺りのハイキングだけかもしれないし。でも、普通に気軽に、「こんにちは」と言えばよかったんだよね…

少し先、左側に、化粧井戸がありました。大磯出身の女性で有名な虎御前(とらごぜ)は、遊女だけれど、歌を詠む風流な女性だったそうで、虎御前はこの井戸で化粧をしたのではないか、と言われているそうです。

この旧道は、松の木の様が昔ながらの街道の面影を残していて、素敵な道です。

問屋場跡、江戸方見附など、手作り風の絵が描いてあるカラフルな説明版(高札型)があちこちにあって、探しながら歩くのも楽しみです。

その中のひとつ、小高い土手に絵札が立っていて、その横に高来神社にあったような、風化しかけた石碑。ちょうど石碑の回りに赤い彼岸花が咲いていてきれいでした。石碑には、「大磯八景其一 化粧坂の夜雨」とありました。

080930_094701 うちの地元でも、○○八景があり、同じように○○寺の晩鐘、○○の夜雨とあるけれど、○○八景は同じ言葉のマニュアルがあるのかな?

後で調べたら、八景物という、中国の北宋時代の画題から発したもので、元々は瀟湘八景という画題に倣った浮世絵だそうです。瀟湘八景は、中国湖南省洞庭湖の南、瀟水、湘水、二つの川が流れ出る辺りの風景を、四季、四時に応じた美しい画題で表わしたもの。だから大磯八景も同じ言葉が使われているというわけです。

京急に金沢八景という駅がありますが、まさにこの八景。広重の金沢八景の絵もあるそうです。

落雁、帰帆、晴嵐、秋月、夜雨、暮雪、晩鐘、夕照…の八景です。

左に線路が見えると、線路際にまっすぐ行く道と、右側に真っ直ぐ坂を下りていく道に分かれ、一瞬戸惑いましたが、地図を見たら、線路を潜らねばならないことが分かり、右側の下りへと進みました。

地下道は「落書き禁止」で、見事なまでに何も描いていない…ここまで何もないと、殺風景だなあ…

線路を潜ってからも、旧街道を偲ばせる静かな道を暫くは進み、やがて左側に国道が見えてきて合流します。

暫く行くと右に大磯駅入り口の道がありますが、駅までは少し距離がありそうなので、トイレはその角にあったコンビニで借りて、オロナミンCを買って飲みました。

少し進むと右に小島本陣跡。

もう暫く右側を進んでいると、説明看板が立っているお地蔵様がありました。やがて左に分かれ道が見えてきて、その分岐の股に何やら立っているのが見えたので、左側に渡ってみました。立っていた道標は、左が海水浴場発祥の地の照ヶ崎海岸、右が鴫立庵、という案内でした。

国道と別れて左側のカーブした旧道を進むと、すぐにまた国道と合流。そのまま左側を歩いていると、やがて「湘南発祥の地」の看板。

そこが鴫立庵でした。

080930_103101 実は隣町に以前、鴫立庵という名のケーキ屋さんがあったので、私は鴫立庵はケーキ店だと今の今まで思っていたのです。冗談ではなく本当に。伊藤博文所縁のそう滄浪閣が中華料理店になっているのだから、昔からある鴫立庵も今はケーキ屋さんになっているんだろうと思っていました。

入り口に鴫立庵の由来が書かれていて…

西行法師を慕う小田原の崇雪という俳人が、西行法師の歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」の鴫立沢に草庵を結び、旅人に清い水をふるまっていた、というようなこたが書いてありました。

入り口に入場料が大人100円、子ども50円と書いてあったので、「えっ」と思いました。100円の入場料を取るということは、ケーキ屋さんではなさそうだ。どちらかというと、茶室があって、和菓子とお抹茶でいくら、と別料金設定があるのでは…という雰囲気。

しかし、全くの見学のみでした。靴を脱いで休みたかったのですが、庭からの見学のみでした。

鴫立庵は、崇雪が庵を結んで以来、代々俳諧道場だったようで、たくさんの句碑がありました。崇雪が西行の筆跡を真似たという「鴫立沢」の碑を見ましたが、その碑の裏に「著蓋湘南清絶地」とあることから、湘南という呼び名が生まれたと言われているそうです。

虎御前の歌碑もありました。小さな茶室もありましたが、中は見られませんでした。茶室の脇に石のつくばいがあり、「蹲踞(つくばい)」と書いてありました。

鴫立庵にはかなり長居してしまいました。俳句でも一句ひねりたいところでしたが、長居したわりには先を急ぎたい気持ちが起こって、俳句は浮かんできませんでした。

その先、伊藤博文の屋敷だった滄浪閣は中華レストランを…やっていませんでした。プリンスホテルが契約切れで昨年撤退。大磯町が買い上げを申し入れていましたが、予算が合わず、大磯町が断念。大磯町としては、ここを買い取る事業主に、歴史的建造物として残してもらえるよう、お願いしたい、とのことでした。

080930_105603 暫く国道1号線を歩いていると、右の方に旧道への分かれ道があります。

大磯城山公園の前を通るのですが、そのまま大磯城山公園を巻いて山側には入りません。普通に歩いていると、山側に進みたくなるのですが、途中でまた分岐があり、左の方、六所神社の方に進むのが正解。

私は東海道を歩こう系の本を数冊買いましたが、こういう細かいことを書いてくれている本はないので、誰か東海道を歩いた人のブログが参考になる、と既に東海道を京都まで制覇した長男が言っていました。私も迷った話や分岐で考えた話を書くことによって、誰かの役にたてば、と思います。

道祖神などを眺めて進み、暫くするとまた国道に合流します。

暫く行くと、右に大きな鳥居があり、「相模の国最古の神社 六所神社」とあるので、見に行って見ました。六所神社は線路を潜って行った向こう側にあるのですが、その線路を潜る道が狭くて、車が何台か通るのを待ってから潜りました。参道の太い幹に幣が巡らされている大木が気になりました。

080930_114202 また国道に戻り、左側に見えたえび家という店に昼食のために入りました。大磯と二宮のちょうど町境にある店です。私は日替わり大衆弁当にしました。

この後、午後の部へ続く。

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2008.09.30.-2 五十三次五日目 午後の部 雨の夜道をガンガン歩く

080930_195301_2 東海道五十三次歩き五日目  午後の部  雨の夜道をガンガン歩く

2008.09.30.  東海道五十三次 五日目午後の部 二宮~小田原~箱根湯本

食後、少し行くと右に塩梅の名残と書いた看板。何だろう?塩梅橋という橋があるから、昔の橋の一部が残っているってことかな。

二宮駅を過ぎた先に吾妻神社の鳥居が見えました。走り水で嵐を沈めるために入水した弟橘媛にまつわる神社だそうです。吾妻山にはアスレチックがあり、子どもたちが小さい頃には何回か行ったことがあります。今頃はコスモスがきれいに咲いていて、天気がよければ富士山や相模湾がきれいなのですが、今日はダメですね。

その先、右に旧道が逸れて、旧道では道祖神や大きな藤の木がある藤巻寺を見ました。

一旦国道に合流して、またしばらくすると左に押切坂があり、下って行くと、入り口の階段の両サイドの壁にサザエをたくさん埋め込んである家がありました。

080930_132201_2 栄螺に銀色に光る塗料でも塗ってあるのかと思ったら、サザエ本来の輝きでした。一種の螺鈿ですね。

その先に一里塚跡。

押切坂はかなりの急坂。下に見える国道に落ちていく感覚です。

国道と合流して押切橋を渡り、暫く行くと、左の西湘バイパスと平行したり、また離れたり。天気がよければ、西湘バイパスの向こうに広がる海がきれいだろうに。

この辺り、一旦小田原市に入り、「やった!」と思うと、また二宮町に入り、再び小田原市に入るという、市町境が複雑な場所でした。

休憩をどこかで、と思っていたら、酒匂川の手前のマックの広告看板が出ていたので、そこまであと何キロ、と楽しみに歩きました。

国府津駅を過ぎ、左側に勧堂の碑。親鸞の旧跡らしい。

酒匂川手前で予定通りマックで休憩。100円シェイクのチョコレート。ここまでで万歩計は1万歩を越えていました。万歩計はクリップ式なので、ズボンのウェストに挟んでいるのですが、それだとトイレの度に外さねばならないので、ウェストポーチのベルトに挟むことにしました。

ところが…この変更が不都合を生んでしまいます。それについてはまた後で書きます。

今日は携帯写真をたくさん撮ったため、空き容量がなくなったので、mixiのフォトアルバムに送る作業をしては、どんどん消していったのですが、酒匂川手前のマックは電波が悪い?電波マーク3本立っているのに時間がかかる。

どうせだから、平塚編と大磯編は全部送ってしまおう、と作業していたら、1時間もマックにいました。

でも、この大休憩のおかげで、この後すこぶる元気で、おかげで今日は箱根湯本まで行っちゃったので、正解でした。昼のえび家では混んできたので食べ終わってすぐ席をたったので、疲れがとれなかったので。

080930_161201_2

酒匂川は大きな川です。相模川や多摩川ほどではないけれど。河川敷の緑がきれいでした。昔は橋はなく、渡し場があったのですが、河川敷の形を見ていると、なんとか渡れそうな場所がありました。

新宿交差点で国道と別れて左へ曲がり、またその先で右に曲がります。

蒲鉾屋が何軒かある、旧街道らしい道。町名を書いた石碑(?)がところどころにあり、万町は「よろっちょう」と読むらしい。

青物町交差点から先が当時の宿の中心地だったそうです。

昔は関東髄一の大きな町だったという小田原。さすがに本陣もたくさんあったようですが、どこがその本陣跡なのか分からないままどんどん通りすぎました。

昨日は夕刻に歩道を自転車がたくさん走っていて危なかったのですが、今日はほとんど会いませんでした。

道の右側にういろう屋がありましたが、小田原城を真似た派手な外観でびっくり。

板橋の入り口で、旧道は右に分かれます。トイレが設置されていて、この先山道にはいるからと思い、用を済ませておきました。

旧道は昔の雰囲気を残し、車も少なく、昼間ならいい雰囲気でしょうが、暗くなってきたのでガンガン歩きました。

学校帰りの高校生らしい女の子を追い越した辺りが板橋地蔵。

国道と合流すると、右側に箱根登山鉄道の線路を見ながら行きます。

歩道が工事ではがされた上に緑のシートが張ってあるのですが、歩きにくい上に水がたまっていて、このままでは靴がグショグジョになって靴下まで染み込んでくると嫌なので、左側に渡りました。

しかし、そのせいで旧道に入らず、ずっと国道沿いを行くことになりますが、もう真っ暗なので、裏道より国道で正解かも。

かまぼこ博物館を右に見て、生命の星地球博物館を左に見て。

左を歩いていたら、その先歩道がないので右に渡って暫く行くと、今度は「この先歩道がないので、箱根湯本方面へ歩かれる方は歩道橋で反対側に渡ってお歩きください」とのことで、渡って暫く歩くとまた歩道がなくなって。

実は旧道を歩いていればこんな目に会わなかったのかな。

山崎あたりでとうとう歩道がなくなり、暫くうろうろした挙げ句、右側に渡ってENEOSのおじさんに「歩いて箱根湯本に行くにはどう行ったらいいですか?」と尋ねたら、ガソリンスタンドのすぐ裏が旧道で、そこを行くように教えてくれました。

真っ暗で怖かったけれど、仕事帰りのスーツ姿のおじさんが、えっちらおっちら坂を自転車で上っているのが視界に入っていたので、助かりました。

道は国道と合流し、三枚橋で左側に渡り、「ようこそ箱根町へ」の看板に着いたのが18時46分。

080930_195301_3 箱根湯本駅は工事中でトイレを探したり、どこからどう行ったらいいのか分かりづらかったけれど、かっぱ天国への道を見付け、急な坂と、もっと急な階段を上って、日帰り温泉かっぱ天国にたどり着きました。女風呂は私の貸し切り状態で、泳いじゃいました。

楽しみに万歩計を見たら…増えていない!

マニュアル通りにズボンのウエストに付けずにウエストポーチのベルトに付けたら…そういえば、いつもはカチカチ言うのに、カチカチ言ってなかった。

かっぱ天国を19時40分頃に出て、おなかはすいていたけれど、箱根湯本はシャッター街だったので、電車に乗って、今日歩いた道を逆にたどりながら(こんなにいっぱい歩いたんだ!と感激)家に着いたのは21時半頃でした。楽しかった!

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