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2008年10月

2008.10.06. 金木犀の香りに包まれて〜長女との二人旅Ⅰ

2008.10.06. 一日中雨

東海道五十三次 六日目 三枚橋(箱根湯本)~畑宿~箱根関所

雨の旅立ち

長女と三日間、東海道五十三次を歩きます。今日は箱根湯本から箱根関所プラスアルファ、合計21.9km歩きました。

朝、6時に出るつもりでいたら、何だかんだと時間がかかり(雨音がしていたので、少し遅く出たら止むかな、なんてちょっとは期待したけれど、だめでした)、さらに、さあ出よう、としたら、長女の荷物がトートバックで、おいおい、それじゃ箱根越えは出来ないよ、と驚いたら、高校生の時に使っていたリュックはもう壊れている、と…結局土壇場でお父さんのリュックを借りて、荷物を詰め直して…

6:39発の電車で出掛けました。6時台でも電車、混んでますね。藤沢で座れました。電車の中で、今日のコース研究。

小田原駅前(2階)には、二宮金次郎像、越中おわらの衣装を着た小便小僧がいました。

越中八尾のおわら風の盆を小田原に招いて、小田原城址に胡弓の音が響くのだそうです。今年は10月11日(土)18時30分スタート。

朝食を食べられる店を探しに雨の小田原の町に出て行きましたが、まだ開いていない店が多く、結局ドトールに入りました。

箱根登山鉄道に乗ったら、キャラバンシューズにリュックの女性が5~6人乗っていたので、雨でも箱根を歩く人は他にもいるんだな、となんだかホッとしました。

金木犀が香る街

9時過ぎに箱根湯本を出発。

先日、暗い中、箱根湯本にたどり着いたときにも感じたのですが、箱根湯本は金木犀の香りがほのかに漂っていました。

私は今日は「歩くたすけ」という靴下を履いています。地下足袋とテーピングの良さを併せ持った優れもので、なるほど、確かに歩きやすい。

快調に歩いていたら、長女に速すぎる、と怒られました。確かに今日は上り中心だから、最初は抑え目にしておかないと、上り坂でバテることになりかねないから、ゆっくり歩かないとね。

三枚橋を渡り、旧東海道の、バスが走る道をゆっくり上りました。

私は今日は「歩くたすけ」という靴下をはいています。地下足袋とテーピングの良さを併せ持った優れ物で、成る程確かに歩きやすい。

快調に歩いていたら、長女に速すぎる、と怒られました。確かに今日は上り中心だから、最初は押さえ目にしておかないと、上り坂でバテることになりかねないから、ゆっくり歩かないとね。

三枚橋を渡り、旧東海道のバスが走る道をゆっくり上りました。

早雲寺を見て、左に弥坂湯という日帰り温泉がすでに営業していたので、見てみたら、朝9時からオープンしていて、650円でした。

以前よく行っていた日帰り湯の天山温泉、湯本から遠いと思っていたのに、歩いてみると案外近い。

旧道に入ってから、ますます金木犀の香りが濃くなってきました。

葛原坂の碑を見て、はつはな滝を見て、長女に初花が足の悪い夫を助けて、夫の親の敵をとった話をしてあげました。さっき本で調べたばかりの知識です。

坂がきつくなって来たので、景気付けに「箱根八里」を歌いました。長い歌で、上り坂で歌うのは結構大変です。学生時代は峠越えで熊防止に「ハレルヤ」をワンコーラスきっちり歌いきったこともありました。

暫く後、長女が「箱根八里の半次郎」のサビ部分だけ歌いました。

天狗神社という神社があり、日本唯一幼神神社というので、長女が見てみたがり、入ってみました。幼神を祭ってあるせいか、飾りが七夕みたいだったり、天園界を再現しているという不思議な空間には、おもちゃやお菓子でゴテゴテ飾られていました。

箒で掃除していたおばさんに、「こんにちは」と声をかけられ、「歩いてらしたんですか。初めてですか」と聞かれ、「今度お話を聞きに来てください」と言われたので、私たちはファジーに笑っておきました。

その先に女転ばし坂。昔、ここで馬に乗った女の人が落馬して亡くなったことからついた名だそうです。

道は車道から離れて石畳の道へと入りました。雨の日は石畳が滑るので、かなり気を遣います。

江戸時代の石畳が残っているところと、新しく復元されたところがありました。

関東大震災で、かなり崩壊したり陥没してしまったのだそうです。

石畳は表面(歩くところ)が大きな石、地面の下側にもう少し小さめの石、と二重構造のため、水捌けがよいのだそうです。

旧道には、ところどころ看板が出ていて、豆知識が書かれていました。

その中で勉強になったのが、雲助です。雲助は弥次喜多などで悪い奴、というイメージが作られてしまいましたが、実は小田原の問屋場で雇われた人足で、きちんとした人たちばかりだったのだそうです。雲助になれる条件は厳しく、3つありました。1つめは力が強いこと。2つめは荷造りがうまいこと。ここまでは当たり前ですが、3つめは、ちょっとびっくり。歌がうまいこと、なんだそうです。馬子歌やかごかき歌を歌わねばならなかったから、だそうです。

山々は雲か霧か、襞々につらなって、「これぞ箱根」のイメージなので、私は久々に「もののけ姫」を歌いました。

割石坂は曽我兄弟仇討ちゆかりの坂。(仇討ちに向かう途中、刀の切れ味を見るために、石を見事に割ったそうです)

急な石畳を下りた後、木の橋を渡る辺りに大沢坂があります。

畑宿には思ったより早く着きました。11時15分。

この頃、一旦雨がやんだせいか、観光客の姿を結構見るようになりました。

畑宿でトイレに行ったら、トイレの裏に紫式部の木がありました。

畑宿の一里塚を見て、また暫く石畳を歩いていたら、車道に出て、ここで2回目の「箱根八里」を歌いました。

車道は七曲がりに入り、すごいヘアピンカーブ。歩行者は階段を上ります。

西海子(さいかち)坂、橿木坂、猿滑り坂と、急坂が続き、長女バテ気味。私はここのところよく歩いていたので、そこまで疲れませんでした。

ただ…何故こんな所に?と思う途中に自転車が乗り捨ててあり、それを見た途端に怖くなってしまいました。

長女は「熊が出るのではないか」と不安で、手で腿を叩いたり音をたてながら歩いていました。

でも、わたしは動物よりも幽霊よりも人間が怖い。

この箱根の山道、一人だったら怖かったろうな。長女が一緒に来てくれて、本当に感謝です。

さて、もうそろそろ上りは終わりかと思っていたら、追い込み坂、という急坂があり、長女はかなりがっくり来てました。

でも、その坂を上りきったら平坦で、甘酒茶屋はもう一息。

甘酒茶屋は工事中で、今は隣にプレハブで仮営業していました。

私はシソジュース、長女は味噌おでん、力餅(いそべ、きなこ)を分けて食べました。私たちは歩いてきたのでジュースでしたが、他の客は車かバスで来ていて肌寒いらしく、みんな甘酒を頼んでいました。

店の裏に「猪に注意」と書いてあったため、長女がビビっていたら、ちょうど親子連れ4人が私たちの前を露払いしてくれたので、暫くは優雅に歩けました。

道がまた車道とぶつかった所で、親子とはお別れ。

また石畳に入りましたが、長女は猪を怖がって、腿を叩いて歩いていたので、私も「箱根八里」を手拍子で打ったりしました。

人の声がすると思ったら、フルムーン?の上下白っぽいスーツの男女、どう見ても、滑る雨上がりの石畳には不似合いで、観光客が迷い込んでこんなところまで来ちゃった、風でした。「こんにちは」と声をかけたら、「まだまだ遠いですか」と聞かれたので、車道まではすぐだけれど、甘酒茶屋はさらにその先、と説明しました。二人連れはお礼を言って、「こちらもこの先、ずっと遠いし、誰もいませんよ。気を付けて」と言われました。

長女は、大分めげかけていたので、「人に会ったら元気が出た」と言ってました。私も、「気を付けて」の一言に、かなり元気付けられました。

この先、大分歩きやすくなり、「山の人気者」「おおブレネリ」を歌いました。

暫く行くと、お玉が池への分岐(関所破りのお玉が斬首され、その首を洗った池)、箱根馬子歌の碑などを見ていきました。

また観光客と会い、「まだまだ遠いですか」と聞かれ、「まだまだ遠いです。石畳が滑るから気をつけてください」と見送りましたが、どこまで行くつもりなのかな?遠いと聞かれても、どこまでかでかなり、違うけど。

みんな普通の格好で気軽に入ってきちゃうけど、雨の日は、山だと思った方がいいよお。

ケンペル&バーニーの碑を見ると、もう芦ノ湖畔はすぐ。13時半前に着きました。

土産物屋で寄せ木細工などを眺め、私は洒落で通行手形を買いました。

賽の河原を見て、湖畔の店でお昼を食べました。長女はなめこおろしせいろ、私は山菜せいろを食べました。

その後は箱根神社へ行き、また街道に戻って、杉並木を歩きました。

今日はずっと雨だったけど、涼しかったし、昔の旅を偲ぶには、雨は最高かも。

箱根関所資料館入り口の役人に通行手形を見せている写真を長女に撮ってもらいました。資料館では、人見女の取り調べの人形と、大名行列の人形と、箱根関所の復元工事の映画が印象的でした。他のお客さんは映画をチョコッと見ると、「大変なんやね」とすぐに席を立ってしまうのですが、私はずっと見ていたので、長女が「こういうの、好きなの?」と聞きました。好きなんです。前に、飛騨高山の祭の山車を50年ぶりに新調した時の職人の記録映画も面白かった。今日も、大工だけでなく、石工、屋根職人、渋墨を塗る職人など、たくさんの職人たちによって何年もかけて、昔の技術を使って関所を復元したことに感動。復元なんて、とあだやおろそかには出来ません。

おかげで、この後の関所見学も感動ものでした。

資料館でもうひとつ心に残ったのは「薮入り」。箱根で関所破りで捕まったのは5組6人と意外に少ない。それは、多くの場合、道に迷ったということで小田原宿に追い返すことで不問にふしていて、それを薮入りと言うそうです。

土産物屋で黒玉子を食べて、今日の宿、ペンション芦ノ湖グリーンハウスへと向かいました。

お風呂が広くてジェットが出ていて気持ちよかったし、夕飯も美味しかった♪

本日の歩数は31155歩、21.9km歩きました。

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2008.10.07. こわめし坂の攻略法〜長女との二人旅Ⅱ

2008.10.07.

東海道五十三次七日目  元箱根~箱根峠~三島~沼津

朝8時に出発。少し元箱根方面に戻って、コンビニ風の酒屋でパンを買いました。

公園で朝食。

曇りの予報でしたが、雲は多いながら、思ったよりも晴れました。

ペンション入り口の芦川バス停のところで、道はY字になり、私たちは国道と別れて右側の道へ。左に駒形神社を見て、そのすぐ先に旧箱根街道への入り口が…あるはずが、工事中でトラックとミニパワーショベルが通せんぼしていました。

脇を通してもらって、石畳へと向かいます。

今日は降ってはいないものの、昨日の雨で石畳はツルツル。ズッコケ二人組は、「ワーッ」「キャア」言いながら、小股でよちよち上っていき、喉元過ぎて大胆になった頃に、「キャア」…懲りないバカなヤツ。

向坂、赤石坂、釜石坂、風越坂、鋏石坂と名前が変わっていき、似たような石畳の坂でも変化を楽しみました。立て札や石の標がある度に、名前を読み上げたり写真に撮ることで、単調になりがちな気持ちをその都度新たにすることもできるし、昨日の歩き始めは私が写真ばかり撮っているので呆れて「またあ」とうんざり気味だった長女も、一瞬でも足休めになるので寧ろ歓迎していました。

500メートルほど上りが続いた後、空が明るくなり、国道に出ました。

道を右側に渡って、国道1号の坂を上って行くと、右下に芦ノ湖が見えました。

暫く上ると、箱根峠。9時過ぎに到着。

峠には現代の地蔵が新しく立てられていました。箱根八里にちなんで、8人の女性の言葉が書いてありました。向井千秋、黒柳徹子、杉本苑子、橋田寿賀子、宮城まり子、橋本聖子…さんたちでした。

「ようこそ静岡へ」と書いた看板があり、あれ、どこが県境だったんだろう…峠には休憩所とトイレがありました。

晴れていたら富士山がきれいに見えるはずだったんだけど、今日は一日とうとう見えませんでした。

峠の先は、国道と別れ、静かな道を行きました。車道だけれど、全然車は来ません。

遠くでドオン、ドオンという音が絶えずしていて、まさか雷?とちょっと怖かったけれど、どうやら鳥威しらしい。

暫く行くと、左手に篠竹に囲まれた道があり、江戸まで二十五里、京都まで百里、の石標と、箱根3km、三島11kmの道標。

道標に従って篠竹の道に入ると四阿(あずまや)と兜石の説明(豊臣秀吉が兜を置いた石)の看板。その左奥に井上靖の箱根八里記念碑。(「北斗闌干」ってどういう意味だろう?箱根から見える北斗七星が橋の欄干みたいってこと?)

そこから、篠竹のトンネルの道を行き(ここもひとりじゃ怖いね)、暫く行くと、国道に出て、接待茶屋跡。

右側にまた旧道に入りますが、入ってすぐの所に手作り風の絵看板…箱根峠から三島までの双六でした。

その先に何故か車があって…張り紙がしてあり、この車は平成20年7月25日からここに放置されています。10月10日までに移動しなければ撤去します、とありました。なんだか怖いなあ。犯罪?自殺?

気を取り直して歩きました。石畳は気を抜くと滑る。

その先、兜石がありました。さっきの説明板の先の篠竹の道の甲石(かぶといし)坂にあった物をこちらに移転したそうです。

石原坂を下ると凄い大岩があり、それが念仏石でした。

その先、明るい薄の原に出ると、眼下に国道が見えました。大枯木坂を下っていくと、初めは石畳だったのが、草の生えた下り坂となり、花がたくさん咲いている場所に出たと思ったら、農場でした。物置になっている建物が以前は牛舎か馬舎だったのだろう、と、小屋を見ながら右に曲がったのですが、これが失敗でした。素直にまっすぐ国道に下りていれば…

小屋を回り込んでから国道に出て、昨日たくさん見た石畳風の歩道を下りながら「三島市に入った」と喜んでいたのですが…

あれ、道の反対側に旧道の入り口らしきものが見える。ガイドブックを出して読んでみたら、やはりさっき農場から出たら、国道を渡らねばならなかったことが分かり、坂を上り返し…弥次喜多が横断歩道を渡っている看板がありました。この弥次喜多には、この先ちょくちょく出会います。東海ルネサンス作成の案内板らしいです。

農場前まで戻ると、ちゃんと横断歩道がありました。再び函南町から三島市に入り直しました。農場前のバス停の近くにコミックスが2冊捨ててあったので、私が「誰だ!『がんばれ元気』を捨てたのは。元気を捨てちゃいかん」と言ったら、長女が「さすが、漫画好きのおかあさん」と言うので、「漫画好きってこともあるけれど、元気を捨てたらだめだよ」と言ったら、長女、「その人、生きる気力をもうなくしていたんじゃないの?」

なんだか、さっきの車を思い出して怖くなりました。

小枯木坂を下り、徳利と杯が描かれた雲助徳利の墓を見て、少し行くと「竹屋」という茶屋の看板が出ていて、この先で営業しているらしい。「あっ、雲助だんごだって。これ、食べよう」

石畳は歩きにくいし、足が痛くなってきた二人には、横に見えてきた林道が歩きやすく見えて、あっちを歩こう、と長女が林道に行こうとしたら、結構越えづらい溝が続いている。「ほら、浮気しちゃダメってことだよ」

笑っている内に車道に出ました。旧箱根街道は歩道橋を渡らねばならないのですが、その前に竹屋で一休みしましょう。

まだ、暖簾が出ていませんでしたが、ちょうど男の人が出てきて、「いらっしゃい」と招き入れてくれました。暖簾を出そうとしていたところみたいです。

私は雲助だんごを、長女はところてんを食べました。お茶の他に、しそジュースを少しサービスしてくれました。おばさんが、「しそジュースは元気になるよ」と言ってました。山中城跡のマップと、三島夢街道という、箱根峠から三島までのマップもくれました。三島までのマップは随分役立ちました。

店に来たお客さんたちが一言ずつ書いているノートがあったので、私も一言書いて、娘と私の似顔絵?も添えました。

店の前の駒形諏訪神社から山中城跡に入りました。まともに見学していたら2〜3時間かかりそうなので、適当にはしょって見ましたが、芝生のよく整備された公園風でした。豊臣秀吉に一夜で滅ぼされた北条氏の城ですが、栄枯盛衰を偲ぶというより、きれいな公園でリフレッシュしてきた感があります。

宗閑寺の豊臣、北条両軍の将の墓を見て、その先の芝切地蔵堂を見て、道を渡り、その先にもまた山中城跡があったのですが、パスして右側の旧箱根街道に入りました。司馬遼太郎の八里記念碑を見て、その先、少し国道を歩き、また石畳を歩くと、富士見平に出ました。晴れていれば、富士山と駿河湾が絶景、のはずなんですけどね。芭蕉の句碑がありました。「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」…そうだ、そうだ!でも、ちょい、負け惜しみじゃないですか?芭蕉翁。でも、カンカン照りより、曇りが楽なのは本当です。

長女が「芭蕉は年寄なのに、よくあちこち歩いたね」と言うので、「『おくのほそ道』の旅に出たのは45歳だよ」と言ったら、「そんなに若かったんだ」と驚いていました。

上長坂を下った後、暫く国道を歩き、廃墟のようなホテル横を左に入っていくと、牧歌的な歩きやすい坂。人参畑や生姜畑(たぶん)の写真を撮っていたら、笹原一里塚を見付け、上ってみたら、大岡信の八里記念碑がありました。

道を渡ると下長坂。別名こわめし坂。あまりに長くて急な坂なので、汗と熱で背負っていた米が炊けて強飯になった、というところからついた名だそうです。ガイドブックによると、「下ると爪先に体重がかかり、痛い」そうで、箱根は上りの東坂より下りの西坂の方が辛い、と多くの先人たちが言っているので、長女も私も、このこわめし坂を恐れていたのですが、とうとう来ちゃいました。見た目も勿論の急傾斜ですが、郵便配達のオートバイのブレーキのかけ方がすべてを物語っている。

この時、長女が攻略法を発見。後ろ向きに坂を下るのです。成る程!今日の貼付はこわめし坂の長女です。顔は花ピンで隠しました。

しかし、長い坂だ。栗のイガがたくさん落ちている横道で暫し海を眺めながら休憩。

そうそう、膝に来る下り階段も長女がよいことを教えてくれました。「階段はヒップホップだね」とアップのリズムで降りているので、私も体重を落とす瞬間に腹を引き上げながら降りたら、膝が楽でした。

国道に出て、坂公民館が見えたら右の道に下って旧道を行き、題目坂(私にとってはヒップホップ坂)を降りて、国道を歩いて、六地蔵を見て、臼ころげ坂を通って。

その後は暫く国道を歩くのですが、次の旧道を入る辺りで工事していて迂回を余儀なくされ、箱根路の石碑は遠目にしか見られませんでした。

初音辺りでやっと旧道の松並木と石畳に戻れました。錦田一里塚を見て、長い石畳をポクポク歩いていたら、長女が足の痛みを訴えました。筋肉痛でも膝でもなく、足の裏のマメです。

松並木が終わり、愛宕坂に入り…愛宕坂が最後の石畳でした。

小さい子を連れた若いママに「こんにちは」と声をかけられ、とても嬉しくなりました。

東海道本線の踏切を渡ったところで有線放送が入り、子どもたちの下校時刻なので、みんなで見守りましょう、と言っていたので、胸が熱くなりました。

新町橋を渡り、三嶋大社に着いた時は、思わず万歳!

お参りしてからうなぎを食べ、もう一本。夕暮れも迫ってきた道を沼津に向かって歩きました。

沼津から東海道線に乗り、清水までワープ。

夜は清水の居酒屋で美味いもの、食いました。

本日の総歩数43,232歩。歩いた距離は30.6kmでした。

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2008.10.08. ワープする少女〜長女との二人旅Ⅲ

2008.10.08.

東海道五十三次 八日目 江尻~府中~丸子

♪チャラチャラチャッチャチャーン!(ドラゴンクエスト宿屋の朝の目覚めのテーマで)

清水駅前、ホテルクエストで目覚めた長女と私。

あれ、外は雨が降っている…

8時15分頃出発。傘が必要な雨。

クエストのある大通りよりも、1本北側の道が旧東海道。

傘をさして歩き始め、そういえば、朝は駅前のマックと言っていたのに、二人でちゃっちゃか歩き始めてしまい、店はまだどこも開いていなくて、朝御飯にありつけないかも、という恐れが…

稚児橋の四隅には河童がいました。

清水銀座を通り(まだほとんどの店が閉まっていました)、追分羊羮の店横の「是より志三づ道」の追分道標を見て、清水次郎長の一家に殺された都田吉兵衛の供養塔を見て…

都田吉兵衛は「都鳥」と渾名されていた男で、次郎長の子分の森の石松を殺した敵として次郎長一家に狙われていました。

道は上り坂。幼稚園バスや、登校途中の中学生を見掛けました。

東海道本線と静岡鉄道が隣同士に並行している踏切を渡ると、平川地。そう言えば、平川地一丁目って、この辺の出身だったよね。あのデュオのユニット名は「ひらかわち」だけど、ここは「ひらかわじ」と読みます。

平川地のセブンイレブンでパンやサンドイッチを買って朝食。

歩き始めの頃は雨だったのに、晴れてきたので帽子を被りました。

頭のてっぺんだけ少し雲がかかっているけれど、ほぼ姿を現した富士山を見付けて、これからもっと晴れてきたら、もっときれいに見えるだろう、とこの時は写真を撮らなかったのですが、この後どんどん雲が増えてきて、また富士山は姿を消してしまいました。

時々姿を見掛ける静岡鉄道は、午後の紅茶電車など、カラフルなボディが多いみたいです。

道は静岡鉄道の近くを通ります。

昔あった狐が崎ヤングランドは、今はないそうです。

長女が「草薙って地名があるんだね」と言うので、ヤマトタケルの東征の時、伊勢斎宮の叔母が天の叢雲の剣(スサノオがヤマタノオロチ退治した時、尾から出てきた剣)を持たせてくれて、この辺りで敵の火攻めを受けた時、天の叢雲の剣で草をなぎはらって難を逃れたことから、その剣を草薙の剣と言うようになった話をしました。

草薙神社の大鳥居は見ましたが、草薙神社までは1kmと聞き、今回は諦めました。

草薙駅前からは、交通量の多い道から一本南側に外れた静かな道を行きました。

造園業者の多い通りでした。この前平塚で見た風船唐綿をまた見ました。

むこうから黒い集団がGメン歩きをしてくるので、怖い集団かと思ったら、黒い袈裟を着たお坊さんたちでした。それも、托鉢かと思ったら、寺の駐車場に停めてある車に分乗して消えて行きました。

運動場前で右へ行く辺りで戸惑っていたら、軽トラのおじさんが「東海道はこっちだよ」と教えてくれました。

しかし、その後がまた分かりづらくて…東海道線の線路脇の東海道の碑の右横のトンネルを潜って、東海道線を横切るのですが…狭いトンネルなのに、車や自転車が警笛やベルを鳴らしながら通るので、怖いし、トンネルを抜けてからどう進んでいいのか分からず、ガイドブックに「道なりに進む」というのを取り違えて、すごい遠回りしてしまいました。トンネルを抜けたら、左の方に(最初は線路際を進むように)行くべきだったのを、右に行ったため、遠回りになりました。

国道1号に合流し、長沼交差点で右斜めの静かな道に入り、長沼の辺りを通るとき、近くの小さな山の上の鉄塔に東海大学と書いてあるのが見えました。

道は一旦国道にぶつかり、その辺りの道が残っていないそうで、柚木駅から南に下ってトンネルをくぐってすぐに右折のはずが…

トンネル出口辺りで工事をしていて右に行けず、かなり南側の道まで行ってしまいました。曲金という地名でしたが…

遠回りしたおかげでファミレスがあったので、そこで昼食をとりました。

そこの店は、10月30日22時をもって閉店します、という紙が貼ってありました。

斜めに北西に上がっていく道を行って、東海道線をくぐり、春日駅のあたりで少しだけ国道を歩き、すぐに右斜めに入ったところが横田町。実はその通りは来たことがあります。

今回、長女が静岡に行きたい、と言い出したのは、長女が生まれたのは静岡だったからで…。

当時、転勤で2年間、静岡に住んでいました。

横田町のあの金物屋さんは、長男の幼稚園の同じクラスの子のお父さんの店。

旧東海道はそのまままっすぐ進むのですが、私たちは以前住んでいた場所を訪ねるために、寄り道をしました。

音羽町駅の踏切を渡って少し進むと、右側に大きな公園があります。清水山公園というのですが、当時よりかなりきれいにグレイドアップしていました。

そして、当時私たちが住んでいた喜〇〇寿ハイツは健在でした。焦げ茶の建物で、上から2番目の階に住んでいました。

長男が通っていた幼稚園の方へ行ってみましたが、幼稚園は移転して、もう同じ場所にはありませんでした。

日吉町から旧東海道に戻り、その先左折するところを敢えて真っ直ぐ進み、駿府公園に向かいました。

駿府公園は小さかった長男を連れてよく遊びに来た所ですが、すっかり様子が変わってしまっていました。当時は石垣しかなかったところに、一部復元された城の建物(東門あたり)が建っていました。

ところで、私はこの旅の間、見付けると喜んでこだわっていた花がありました。秋明菊(貴船菊)です。亡くなった祖父母にまつわる思い出の花なのです。

長女が好きな花は、ひまわりと彼岸花なんだそうで、駿府公園で彼岸花を見付けて激写していました。

駿府公園を出て、旧東海道に戻るために、目印の伊勢丹を探したら、すぐ見つかりました。伊勢丹脇に札の辻跡があり、そこから続く商店街が七間町という道幅の広い、昔ながらの商店街、旧府中宿の中心部です。

映画館などを通り越し、サッカー洋品店を右折。少し進んで写真屋を左折。新通りという道で、真っ直ぐ行けば安倍川に出ます。

昨日は長女は足裏のマメが痛かったのですが、今日は足裏は保護シートを貼ったおかげで大丈夫で、代わりに足全体が突っ張って動かしにくく、特に腿が痛いそうで、歩くより走る方が楽だとかで、時々アラレちゃんみたいに走り出します。

私が目印を探していたり、面白いものや気になるものを見ていたりして、ハッと気付くと長女は何メートルかワープしている。それも何度も。

♪空間を越える少女〜(「時をかける少女〜」の節で。by原田知世)

長女がかなり引き離しても、私がすぐに追い付くので、長女は悔しがってました。

安倍川の手前であべかわ餅で一休みしたい!と、有名な石部屋に入ったら、店のおじさんが、「悪いね。もう終わっちゃった」…そう言えば、売り切れ次第店仕舞いとガイドブックに書いてあったっけ。

結局3軒目の橋本屋で食べました。

出来るのを待つ間、サービスにとくれたでっかいオハギをいただきました。こんな大きなオハギを食べることになるんだったら、あべかわ餅、一人分だけ注文して分け合ってもよかったなあ。一人分が、きな粉4個、あんこ4個なんで。かなりおなかいっぱいになりました。

昨日、大きなリュックを背負った男の子が、日本橋から京都まで一気に行く、と、この店に立ち寄ったそうです。

うちの長男も去年3月に一気に日本橋から京都まで歩いたけれども、長男もここであべかわ餅、食べたかなあ。

店の隣には、安倍川義夫の碑がありました。川越で旅人が落とした財布を拾った人足が、岡部まで追いかけて財布を渡し、お礼金をどうしても受け取らなかったので、人足組合にお礼金を送っても受け取らず、とうとうお礼金は役所が受け取って、役所から善行として褒美金を出した、という話が書いてありました。

安倍川橋を渡る時、学校帰りの中高生の自転車が、川向こうからこちら側へ、こっち岸から向こう岸へ、交差して走っていました。

安倍川は静岡に住んでいた頃、花火を見に来たことがあります。学生時代の友達のご主人のご実家が安倍川の近くで、花火の日に小さかった長男と私と、招待していただきました。安倍川の花火は規模が大きく、きれいで感動し、ご馳走もたくさんいただきましたが、風邪気味だった長男が吐いてしまい、大騒ぎで申し訳ないことをしてしまいましたが…とにかく素晴らしい花火でした。

安倍川を渡りきると、間の宿の手越宿。平家物語に出てくる白拍子、千手の前のゆかりの地だそうです。

少し行くと、大きな街道松が数本見られます。

やがて国道1号線と合流。

また暫く行くと、沢渡交差点で左に別れます。

最初は歩道も広い立派な道でしたが、だんだん狭くなり、歩道もなくなり…

「丸子宿 〇〇や」と屋号の板書きをつるした家が何軒か見られました。

本陣跡、七間役所跡を過ぎると、今日の最終目的地、丁子屋の駐車場が見えてきました。

17時少し前に着いたおかげで、その時点では私たち以外に客がいなかったので、大広間の鴨居の上にズラリと並べられた額、安藤広重の東海道五十三次の版画の、私が行った所だけ写真を撮りました。日本橋、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根、三島、沼津(ワープ)江尻、府中、丸子

とろろ汁はたっぷり。ご飯もたっぷり。あべかわ餅が効いていると思っていたのに、ペロリとたいらげてしまいました。

資料室では、十返舎一九にも会えました。

外に出るともう真っ暗。バス停を探してうろうろしているとき、地元のおじさんに丁寧に教えてもらい、バス停ではバスの支払いシステムについて、並んでいたおばさんに教えてもらいました。

静岡駅で切符を買うのに並んでいるとき、前の女性が「後日の切符だから」と順番を譲ってくれました。

昼間はお巡りさんと中学生男子に「こんにちは」と声をかけられました。ふれあいもあった三日間の旅でした。

普通電車を乗り継いで、我が家へと帰りました。

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2008.10.17. 今日からまた一人旅〜穴埋め旅Ⅰの前半

2008.10.17.

東海道五十三次 九日目 前半 沼津~原~昭和放水路

家を朝5時半過ぎに出て沼津へ向かいました。

先日の長女との二人旅の時、ワープした沼津〜江尻(清水)間を埋める旅第1日目。

吉原までだと近すぎるし、蒲原までだとかなりきつい。歩いてみた結果、新富士川まで34km歩きました。

沼津着7:39。トイレに行ったり、コンタクトレンズを入れたり、「歩くたすけ」(足袋型サポートソックス)を履いたりして、沼津駅を出たのは8時過ぎ。電車も町も、通学の高校生の多い時間帯でした。

先日、長女と夜の沼津の町に着いた時は、なんて明るい繁華な町なんだ、と驚きましたが、早朝だとシャッターが下りているので静かです。でも、やはり大きな町だなあ。

歩き始めてすぐに町中に休憩所があったので、ちょっと寄りました。上着を脱ごうと思って。上着を脱いでリュックにしまい、持参のペットボトルのお茶を飲もうとしたら、目の前に「美味しい水です。ご自由にお飲みください」とあったので、飲んだらとても冷たい水でした。

上着を脱いだら、最初はちょっと寒かったけれど、歩いているとすぐにちょうどよくなりました。

沼津駅南口からまっすぐ大通りを来て、左に御成橋が見えたら右折。すぐ次の交差点を左折。それにしても自転車の高校生が多い。

本には250mで右折とありましたが、わりと早く右折したので、道が間違っていないか心配でしたが、右側に地図どおりに神社があったのでホッとしました。

暫く歩いたら左に郵便局があったので、地図で確認したら、えっ、まだこれしか来ていない?でも、そんなもんだよね。

地図上の目印を、今度はこれ、と目当てを決めて歩きました。

やがて左側に六代松入り口の表示。平家壇の浦滅亡後に残った、最後の平家嫡流生き残りの子、六代(平維盛の子)が一旦殺されかけ、文覚上人の嘆願で助かりますが、結局は処刑され、ここに埋められたのだそうです。

実は、六代が殺されたのは、私が通勤しているバスが通る川で、六代を記念する碑もあり、バス停名も「六代御前まえ」…なんだか仲間みたいな意識で、是非見たいと思い、東海道を外れてわざわざ見に行きました。碑の周りに何本かの松が植えられていて、公園みたいでした。

ついでに海辺まで出て、千本松原を見て、防波堤の上の道にも上がってみました。

以前静岡に住んでいた頃、私は沼津千本松原マラソン5kmコースを走ったことがあります。

小さい子も普段走ったことがない人も、歩いてでも参加できるファミリー向けマラソンで、この防波堤を2.5km走ると折り返し地点で戻ってきます。

参加賞として、チューリップの球根と、栗煎餅をもらいました。防波堤の上からは左に海、右下に松原や町工場や小さな家々、右上には富士山が見えました。今日の富士山は頭の上の方だけ冠雪していて、顔から下は夏仕立て。でも、てっぺんの白がなかなか効いていました。

防波堤から下に降り、ちょっと松原の中を散策気分で通って(先客の黒猫が、胡散臭そうに私を見ていました)、また東海道に戻りました。

歩道に置かれた花々の中に、風船唐綿があり、かなり膨らんでいて、今にも弾けそうな実もありました。

今日は、あちこちでエンゼルトランペットをよく見掛けました。白、黄色、ピンク。

家々の屋根の隙間から、富士山や愛鷹山が見えました。

太陽が背中を押してきて暑い。♪サンシャイン オンマイショルダーズ メイクスミー ハッピー… と口ずさみ、いやはや、首の後ろが日焼けするなあ…

本に「八幡神社(沼津藩領西境の榜示杭)」とあるのを見た時は、別にそんなもの、見なくてもいいや、と思っていたら…何故見なくていいかと思ったかというと、沼津から原まで、防波堤や千本街道が東海道と並行しているので、海や松林を見ながら歩くと気持ち良かろう、暫し東海道を離れてそっちを歩こうか、しかし、次の一里塚は見逃したくないから、この榜示杭は見なくてもいいや、と、こう思ったんです。

しかし、実際歩いてみると、防波堤も千本街道もすぐに飽きて、やはり東海道に戻ってきました。

そんな訳で、八幡神社では、かの榜示杭をしっかりと見たのでありますが…見てよかった。これ、大事ですよ。

石標が風化して、上も下も折れていて、残っているのは「従是東」の三文字だけ。でも、意識がタイムスリップするには十分な三文字。村外れの八幡宮前で、西からやって来た旅人は、この石標を見て、ああ、沼津へやって来た、と思ったことでしょう。私の脳内イメージでは、水戸黄門ドラマ仕立てメンバーが、うんうん、と感慨に浸っていると、うかり八兵衛がちゃっかり緋毛氈の縁台に座って団子を食べている、の図が繰り広げられたのでした。

ところで、前回、長女との旅の時、「歩くたすけ」という足袋型サポートソックスが多いに役立ちましたが、今日はどうもしっくり来ない。洗濯しちゃうと、効力を失っちゃうのかなあ。

途中で歩を止めて、ググイと引っ張り上げてみたら、うん、今度はいい感じ。洗濯したせいで足にフィットしにくくなっていたようで、少し歩いたところで引っ張り上げるのは、いい作戦みたい。

この辺りの歩道は、溝に蓋をしてあるタイプで、蓋を開け閉めしやすいように手がかりの穴が空いていて、パンプスを履いていると踵が剥けてしまう嫌な穴。スニーカーでも歩きにくい。長男が、「沼津の先辺りの歩道は二度と歩きたくない」と言っていたのはこのことか。あとは、原までひたすら真っ直ぐなのも辛いかも。

民家の屋根の隙間から富士山が見えるのですが、駐車場などがあると、視界が開けてよく見えます。沼津では愛鷹山の向こうに富士山が見えるので、裾野は見えません。西へと歩いていく内に、だんだん裾野も見え始めました。電線が重なるため、なかなか写真に撮るベストショットポイントが見つからない。

やがて松長一里塚跡。

その先右側に、ハロウィンのカボチャが並ぶ、かわいいログハウスがあり、何の店だろう、まさか民家ってことはないよね、と思ったら、不動産屋さんでした。

少し先に、右奥へ入ると「神明宮古墳→」とあったので、寄り道してみました。

民家の間の細い道を抜けると、正面に神明宮が小高い丘の上にあり、階段を登って薄暗い神社の境内に着き、うろうろしてみましたが、この神社そのものが古墳らしい。

神社のすぐ後ろを東海道線が走っていました。

昇ってきた階段とは別の階段があったので、下りてみたら児童公園でした。最近では危険だからとブランコを取り外してしまうところが増えましたが、ここでは4つ、健在でした。

帰りがけに、神社の木陰に人の姿が見えて、急に怖くなりました。寄り道は一人の時は気を付けないとね。

東海道に戻り、さっき見た神明宮古墳の看板脇に、可愛い赤い花を見付けました。合歓木を小さくしたイメージなんだけど、何の花だろう?

東海道をまた行くと、冬桜が咲いている家がありました。

沼津から原辺りまで、立派な家が多いと思いました。農家らしい庭が広い家で、塀が大谷石だったり、黒渋塗りの塀だったり、瓦屋根が何層にもなっていてお城みたいだったり。

東海道線片浜駅を過ぎ、踏み切りを渡る手前が富士山を見るにはいいポイントですが、撮影には線路に人が入らないように危険防止のフェンスが邪魔になります。

線路を渡ると、セブンイレブン。トイレを借り、朝御飯は朝5時20分にパンを1個食べただけでお腹がすいたので、お十時ということで、五目おこわのお握りを温めてもらって食べました。これが味が濃かったみたいで、この後、喉が渇きやすくなりました。

太陽が頭の上に上がってきて、背中や首が暑いことはなくなってきたので、楽になりました。快調にとばして歩いていると、学生時代を思い出します。歩く旅なんて、学生時代にしか出来ないと思ったけど、またこうして歩いています。あの頃は、民家の庭や、川原、公園にテントを張って自炊して…そういうことは、学生時代にしか確かに出来ないけれど。

そこまで飛ばさなくても、いいといえばいいんだけど、富士山にだんだん雲がかかってきて、今日はせっかくの富士山ウォッチングコースだから、富士山が雲に隠れてしまう前に距離を稼ぎたい、と思いました。

少し行った右側に神社があり、原宿の見附跡(東木戸)の案内板。境内の参道にぎんなんがたくさん落ちていて、金色に光っているのがきれいなので、写真を撮ろうとしていたら、何やら黒っぽい服装の男性が不審な動きを…なんと袋にぎんなんをどんどん拾って入れている。まさかと思っていたら、なんと根こそぎ拾っちゃいました。それがですね、赤い郵便配達のオートバイを脇に停めて、ですよ。勤務中に何をやってるんだ?確か、神社の所有物であるぎんなんを勝手に持ち去るのは犯罪じゃなかったっけ?犯罪がらみじゃなければ、神社の銀杏を必死に拾う人って、面白いテーマで写真が撮れたかもしれないけど、遠慮しました。

そうか。一声かけて、銀杏の絨毯の写真が撮れるように、一瞬作業の手を休めてもらえばよかったんだ。でも、必死で拾ってたから、声をかけられなかったんだよね。食事中の犬にかまうと噛まれるしね。

その先左側に、白隠禅師誕生地の案内板。白隠は仏教界に新しい風を起こしたり、書画にも長けていて、500年にひとりの名僧と言われたそうで、「駿河の国に過ぎたるものがふたつある。富士のお山と白隠禅師」と歌われたほどだそうです。

白隠の墓がある松蔭寺は白砂の美しい寺だそうですが、寄り道になるのでパスしました。

また暫く行くと、高札場跡。原宿近辺の漫画図の看板がありました。

その先、左側に一里塚跡。

また暫く行くと、右側に愛鷹浅間神社があり、神社前に改称記念碑があります。ここら一帯の開拓、開墾に尽力した鈴木助兵衛にちなんで、助兵衛新田という地名だったのを、明治41年に桃里と改名したことに由来するそうです。

この先、左側の海は、万葉歌人の山部赤人にも歌われた(百人一首にも入っている)田子の浦ですが、私が歩いている道からは、全然田子の浦は見えませんでした。

この先の北側一帯は、浮島ヶ原という湿地帯で、湿地が朝靄にけぶり、その上に富士山が浮かんでいる様子は非常に美しかったそうで、広重の絵にも描かれています。

朝は快晴に近かったのが、だんだん雲が増えてきて、10時半にはクリアだった富士山が、10時40分には左脇から雲がわいてきて、10時50分には一旦雲に覆われてしまいました。その後、また変化があり、胸元にショールのように雲をまとい、富士山は頭を雲の上に出していました。

しかし、その内、ついに富士山は裾野の美しいラインだけ残して雲の中に入ってしまい、裾野は見えているので、絶景ポイントに出会うと、本当ならここに雄大な富士山があるはず、と想像しながら歩きました。

富士市に入ると、「見よう歩こう東海道」と書かれた説明板や道標が各所に設けられ、分かりやすいし道にも迷わずにすみました。実は何回か道を間違えたのですが、なぜ案内がないのだろう、と思うと、私の方が間違っていた訳で…

日本橋からここまで来た内、富士市内が一番安心でした。

東田子の浦駅を過ぎて暫く行くと、右側に立圓寺。境内に望嶽碑と、昭和54年10月19日に立圓寺の南方の沖で遭難したインドネシア船籍ゲラテック号の記念碑がありました。ゲラテック号の錨がモニュメントに使われていました。

立圓寺境内からは、それこそ美しい富士山が望めるはずですが、私が見た時は、頭が雲に隠れていました。

その先に、民家の塀をコの字型にへこませたところに常夜灯がありました。

暫く歩くと、昭和放水路という、川のようなものがあり、増田平四郎の像がありました。コの辺りは、度々水害に遭うため、増田平四郎が大工事を行い、スイホシと呼ばれる排水路を作ったのですが、たまたまその年に高波があり、スイホシは跡形もなく消えてしまったそうです。その後、増田の遺志を継ぎ、同じ場所に放水路が作られました。この同じ場所に江戸から三十三里の一里塚があったそうです。

後半に続く

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2008.10.17 今日からまた一人旅〜穴埋め旅Ⅰの後半

2008.10.17.

東海道五十三次 九日目 後半 元吉原〜富士川〜岩淵

しゃかしゃか歩き、道はバイパスと別れて静かな道へ。この辺りの道案内も、「見よう歩こう東海道」の案内で助かりました。

この頃、一旦富士山は頭を雲の上に出してくれたんですけどね。その先、毘沙門天に着く頃には、右裾が見えるから富士山の存在はよく分かりましたが、頭が見えなくなっていました。

毘沙門天は妙法寺という寺で、吉原駅の近くにあります。元吉原の地域です。吉原宿は、初め、この元吉原にあったそうですが、高波などの影響で2回も場所を移動し、元吉原の次は中吉原、そして、岳南鉄道の吉原本町駅近くの新吉原へと移動したそうです。

毘沙門天は旧正月にダルマ市をしますが、高崎と並ぶ二大ダルマ市で、静岡に住んでいた頃、小さかった長男を連れて来たことがあります。境内にも階段にまでビッシリとダルマの露天が並び、浅草の羽子板市みたいに、値切ったり、商談成立すると手締めをしたり。私は大人の手のひらに乗るような小さなダルマしか買えませんでしたが、お店の人が、長男に大きなダルマを持たせてくれて、記念写真を撮らせてくれました。そのとき、階段から振り返ると富士山がとてもきれいだったのが印象強く…だから、毘沙門天まで、富士山が見えてほしくて、結構飛ばしたんですけどね、ダメでしたね。

しかし、雲がかかっている以前に、富士山が見えにくいんですけど。この20年で木が育ったから?それとも、今は木に緑の葉が繁っているけれど、ダルマ市の冬には枯れ木だから富士山がよく見えるのかなあ。

この後、赤と白の太めのストライプの煙突にょっきりの大昭和製紙を通り、東海道線の踏み切りが右手に見えたらそこを渡り、沼川にかかる河合橋を渡ります。

その先、道路と新幹線を潜るのですが、ここで道を間違えました。

正規の道を行くなら、早めに道路の右側を歩いておくべきですね。左側を歩いていた私は、流れでそのまま、左側の道に進んでしまいました。新幹線を潜ると、道路は二股になり、右側へ進むのが正解です。私は間違って、左に行ってしまったのです。

しかし、しかしですよ。これが怪我の巧妙、間違えたお陰で、私は昼御飯にありつけました。

間違えて左の道に歩み始めた時、すでに12時45分は過ぎており、道の反対側にはうどん屋やら焼き肉屋やら韓国料理屋やらあったのに、こちら側にはバッティングセンターしかない。

道の幅って重要ですね。道幅が広くなく、車があまり来なければ、気楽に道を渡れたのに。

その先で「鐘音」というそば屋さんを見付けて入りました。桜海老揚げたて中、と書いてあったので。私は桜海老かき揚げそばとマグロの漬け丼ミニを頼みました。かき揚げが別添えで出てくるのは嬉しいね。

食べ終わって歩き始めたら、見えるはずがない線路が前方に見えたため、道を間違えたことに気付きました。

今日の場合は、来た道を戻って、間違いの原因となった二股まで戻りました。

二股の所は石屋だったので、後進の人たちが間違えないように、石屋のふくろうの写真を撮りました。

暫く行くと、左に左富士神社がありました。狛犬のあ、うんの内、口を開けている方は首に青い瓢箪をかけており、口を閉じている方は赤い瓢箪。もう一匹、小さめの狛犬は口に白い瓢箪をくわえていました。

また暫く行くと、左側に左富士の碑。東海道を江戸から京都まで西に向かって歩いていると、常に富士山は右側に見えているのですが、茅ヶ崎の鳥井戸と吉原のここら辺の二ヶ所だけ、珍しく左側に富士山が見えます。

また暫く行くと、平家越えの碑。和田川と浮島ヶ原の間に陣取った平家ですが、水鳥の羽ばたきの音に、源氏の奇襲と思い込み、戦わずして平家が退却したという有名な富士川の戦いは、実は富士川ではなく、和田川の湿地帯での出来事だったそうです。

平家越えの碑のところで道は大きくカーブし、和田川を渡ると新吉原。ここまで、こちら側ルートでは食べるところが全くなかったので、さっき間違えてよかった♪

やがて岳南鉄道の吉原本町駅を越え、富士市で一番繁華な町並みですが、金曜は定休日が多いのか、シャッターが下りている店が多く、町の規模はでかいのに、寂れた町の印象でした。

町の駅、というところがあり、トイレを借りたら、木の香りがする素敵なトイレでした。

その先、次郎長や撤収の常宿だったという鯛屋旅館。

その先の道標に従って左に曲がり、もう少し先をまた道案内板に従って右折。

暫く行くと大きな道に合流し、左に曲がって歩道を行き、大きな交差点で右へ。

曲がってすぐ、左に入る静かな道へ進みます。今日は大通りへ出ても、また静かな道に入ることが多く、静かな道は歩き旅の醍醐味ですね。

暫く行くと、大きな五叉路に出て、ここを右に行きます。

潤井川の手前で右に曲がります。例の「見よう歩こう東海道」の案内が役に立ちます。

また案内に沿って左へ。富安橋を渡ります。川の中に入って釣りをしている人がいました。

暫く進むと、民家のブロック塀がコの字にへこんでいて、袂の塞神(たもとのさえがみ)と呼ばれる、単体のユニークな道祖神があります。本で見た時、これだけは絶対見逃さずに見てみたい、と思ってきました。

その先、大きな道を渡るのに、真ん中に大きな中央分離帯があり、「迂回してください」と書いてあり、右側から迂回して来ます。

暫く行くと、左手の花壇の中に、一里塚跡の碑があります。

またもう暫く行くと、左に鶴芝の碑。ここら辺りから見る富士山は、中腹の雪が鶴が羽を広げているように見えたそうです。

間もなく県道にぶつかり、これを渡って南側の道に入ります。

また静かな道を進むと、小学校の下校時刻となり、地元の見守りのおじさんたちに挨拶しながら、低学年の子達が帰って行きました。

商店街を突っ切るところが札の辻。

ややカーブしながら道は進んでいき、身延線柚木駅のガードをくぐり、二つ目の交差点を右に入ります。この辺り、常夜灯などが多く、写真に写すものも多いのですが…

かなり疲れを感じて、ちょっと休みたい、と思っても、腰かけられるところがない。

曇ってきたので、帽子を脱いでリュックにしまうために、一回リュックを下ろしました。

こんな立ったままの短い休憩も、元気回復には役立ちます。

やがて県道に出て、富士川に向かって進みます。

昔は渡し場があった富士川は、今は車道と歩道が分離した鉄橋を渡ります。

11月1日に、富士市と富士川町が合併して、新「富士市」が誕生することを祝した横断幕が橋に渡して張ってありました。

富士川を境に、電気器具のワット数だかボルト数が変わって、静岡に引っ越した時、テレビ、電子レンジ、エアコンなどがそのままでは使えず、大騒ぎだったことを思い出しました。川を挟んだ二つの市と町が合併したら、電気製品はどうするんだろう。東海道の案内表示はどうなるんだろう。

富士川は橋の少し上流で一旦せき止められ、今の富士市側でゴウゴウ流れ出るようになっていて、乗り出すように写真を撮っていたら、気付くと手に汗をいっぱいかいていて、携帯がツルツルして取り落としそうで、慌てて携帯をしまいました。

突然、高所恐怖症。今まで、多摩川、相模川、酒匂川、安部川など、大きな橋を渡ってきましたが、今回初めて、怖い、と感じました。揺れるし、歩道は車道を見下ろす高さだし。

橋の真ん中で富士川町に入りますが、11月1日になると、境はなくなるんだな、と思いつつも、やたら怖い。早いとこ、渡りきってしまおう、と思ったら、反対側から小学生が漫画を読みながら歩いてくる。肝っ玉のすわった子だなあ。

本当は、この橋から見た富士山が、東海道中で一番大きく見えるそうです。すっかり曇ってしまいましたが、裾野だけは見えています。

橋を渡りきり、少し右へ行ってから左に入りますが、左斜めに入っていく細い道はいきなり急坂。権太坂より急な坂。こわめし坂よりはましかな。

こんなにいきなり急だと、本当に道が合っているのか心配になります。案の定、富士川町に入ってから、あの事細かな案内がなくなってしまい、不安になります。旧東海道はここらは河岸段丘の上を通っています。

やがて道標が現れ、ホッとしたものの、東海自然歩道とか、富士川バイパスコースなどと書いてあり、旧東海道については書かれていない。

やっと上りが終わり、平坦になった辺りが合の宿岩淵。

久しぶりに東海ルネサンスの弥次喜多に会いました。案内板の漫画図と、地面の下水口の蓋にいました。

その先に立派な黒塀と門の家があり、ここが小休み本陣常盤家。門に何か張ってありました。

今までは火曜から日曜まで一般公開していましたが、防犯上の理由から、平成20年4月からは、土日祝日のみの公開となったとのこと。ただし、平日であっても、事前に教育委員会を通して予約を入れれば見学できるとのことでした。

両脇に残る立派なエノキの一里塚を見て、暫く行くと小学校。

ここが運命の分かれ道。案内板にここで左へ折れて坂を下るように指示され、坂を下っていって気付きました。これは旧東海道ではなく、富士川町のバイパスコースの案内だったんだ。

上り返して蒲原を目指すかどうか…もう16時15分で、やや薄暗くなり始めている。

万歩計を見たら、この時点で33km歩いていました。これだけ歩けば十分。それに今から蒲原は遠すぎる。今日は新富士川駅から帰ろう。

17:07の熱海行きに乗り、熱海で乗り換えて、平塚で降りました。太鼓の湯で汗を流してから帰ろう。

ついでに、この前見付けられなかったお菊塚を見付けました。

たっぷりお風呂を楽しんだ後、この前、平地かのTRという居酒屋が美味しいと聞いていたので、行ってみました。うーん、私の主観では、あまり好きではなかった。

平塚から電車に乗って、今度こそ家路へとつきました。

本日の総歩数は52,116歩。歩いた距離は37.2km。

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2008.10.28. 東海道一の富士山〜薩た峠はいくつもある?

2008.10.28.

東海道五十三次 十日目 岩淵~蒲原~由比~興津~江尻

長女との二人旅でワープした所を埋める旅の二日目。

ひとり旅に戻り…長女を誘ってみたけれど、もうコリゴリなんだそうで、これからはずっとひとり旅かな。

今日は晴天であることを確かめての旅立ち。前回見られなかった、富士川からの、東海道一の富士山を見たい、というのが本日の第1目的なので。

前回より30分遅く家を出て、6時16分の電車に乗りました。

30分の差で、前回より高校生が少ない気がしました。代わりに小学生が結構いました。

こんな早朝でも混んでいて、沢山降りるとまた沢山乗ってくる。

沼津で浜松行きに乗り換えたら、乗り換えた電車はロングシートでした。車窓の富士山は背中側なため、富士山を見ることが出来ないけれど、富士川までのお楽しみにとっておきます。

富士川駅に降り、歩き始めたのは8時45分。

朝5時半にパンを1個食べたきりでおなかがすいたので、セブンイレブンでパンを買って食べました。

前回の続きなら、駅からわりとすぐに坂道を上って岩淵へ戻るのですが、東海道一の富士山をどうしても見たくて、富士川橋まで戻るのに1時間半ぐらいかかってしまいました。

他は雲ひとつない快晴なのに、富士山の辺りにだけ雲があるので、富士川橋に着くまで富士山が雲に隠れないで!と必死でした。

東海道一の富士山、見えました。胸の辺りに雲を棚引かせていたけれど。

その後は前回と同じルートで岩淵宿へ。これはグングン歩きました。

小休み本陣、一里塚を見て、小学校のところで前回は下りてしまったので、今日はそこを下りずに小学校の先を左に曲がり、秋葉山常夜燈の先、郵便局より手前の小さな四叉路を右へ。

急に静かな道になり、山里といった感じです。

上り坂になり始め、振り返ると富士山が見え、東名道をくぐる手前に中之郷の看板がありました。

東名道を潜って左に折れ、ぐいぐい上っていくと農村みたいな風景になり、その内、道が二股に別れます。

蒲原は左、と札が出ていました。

新幹線の線路をくぐり、暫く下るとまた上りになり、東名道を左下に見下ろします。後ろに富士山も見えます。

東名道を陸橋で渡るとき、富士山がよく見えました。

その先、急な下り坂。バイクが結構来るので、普通にしか下りられません。こわめし坂攻略法みたいに後ろ向きで下りたりも出来ないし、長男はこわめし坂をシュテムボーゲン風に下りたそうですが…普通に下ると、急坂は大変です。

やがてT字路。右へ暫く行くと、北条新三郎の墓、と書いてあったのでひょいと見に行ったら、すごい坂でした。墓は薄暗いところに建っていました。

道に戻って暫く行くと、右に諏訪神社があり、その先、大きな送水官が山の斜面に沿って下りていました。

その先辺りから蒲原宿に入ります。

入ってわりとすぐに渡辺家の三階建ての土蔵があり、見学したい方は奥へどうぞ、と書いてあるわりに何もなく誰も出てこないので、いいや、とパスしちゃいましたが…

思えばそこが「今日って月曜日?」と思った初めでした。

行く前に本で読んだら、いろいろ公開している場所は、大抵月曜が休み、と書いてあります。今日は火曜日だから休みじゃないと思ったのに。

その先に、「イルカのすましあります」と書いた看板。長男にイルカのすましを買ってきて、と頼まれたので、買いましたが…高い…10切れほど入っていて1000円。

1つだけ食べてみたけど、ロバの耳みたいに臭くて、口直しが欲しくて飴かなにかを探したけれど、売っていませんでした。

安藤広重の「雪の蒲原」の記念碑を見て、なまこ壁の佐藤家、塗り家造りの吉田家を見ました。

旅籠和泉屋跡、本陣跡を見て、その先の洋館を見るのを楽しみにしていたら、そこも休館…。

浄土真宗の寺の入り口前で鍵之手に曲がり、県道に出ます。

右折して進みますが、県道沿いにも宿場風の古い格子の家などが結構ありました。

なかなか蒲原駅に着かないなあ、と思ったら、蒲原駅から次の由比宿が近いんですね。

東名道を潜って、少し先が分岐で左に入るとすぐに、神沢川正雪酒造の煙突が見えました。

由比は「日本一桜えびの町」なんだそうです。

右に新しい立派な門があり、そこが由比本陣公園。

公園内に広重美術館がありました。疲れていて、展示はザッと流していましたが、映像があって、広重の浮世絵は、四季、四時、天候を描き分けた、という話でした。

蒲原に広重が来たのは夏なのに、広重の描いた蒲原は雪景色でした。

広重美術館の奥に茶室があり、お茶を飲むのを楽しみにしていたのに、ここも休館でした。何度読み直しても月曜休館と書いてあって、今日は火曜なのに。

がっかりして余計疲れて、おなかもすいたので、公園内の交流館のカフェで冷やしぜんざいを食べたら元気になりました。

公園の向かいに由井正雪の生家、正雪紺屋があり、私はハンカチか手拭いを買うつもりで楽しみにしていたら、暖簾が出ているのにガラス戸が開かないので、電話してみたところ、今日はこれから出掛けるから、閉めたそうです。がっかり…

その先、由比宿おもしろ宿場館の門前には、ひょっとこみたいな顔をした弥次喜多がいました。

江戸時代にタイムスリップする、というおもしろ宿場館は入館料400円。う〜ん、面白かったけど、400円は高いかなあ。

2階にレストラン「パノラマテラス海の庭」があり、ここで桜えびかき揚げとせいろ蕎麦とミニ丼(4種類から選べて、私はマグロ漬け丼にしました)を食べました。ボリュームたっぷり。美味しかった。

由比川を渡ると由比宿は終わりですが、その先も宿場町風の家が多く、桜えびの匂いが漂っていると思ったら、由比桜えび通りという名の通りでした。

桜えびの他に、しらすや蒲鉾屋も結構ありました。

今宿の左側には由比港(桜えびの水揚げ量日本一)。

少し行くと由比駅。

由比には、町の駅という緑の旗を出した店が多くあるのですが、普通の店だから、休憩に入るわけにはいかないし…トイレを貸してもらえるのかなあ。

由比駅の先で歩道橋を渡り、静かな町に入ると寺尾宿。

日陰を求めてずっと左側を歩いてきましたが、この辺りは右側が日陰。今まで道は東西に伸びていたのが、ここでは南北に伸びているから、日の位置も変わるみたいです。

倉沢の名家小池邸はお休み処になっているので入ったのですが、緋毛氈のベンチに腰をおろしたものの、ゆっくり休める雰囲気ではなく、すぐ出てしまいました。

その先のあかりの博物館で、思いがけずゆっくり休憩できました。

入館料が500円で、最初は高いと思ったのですが、コーヒーを出してくれて、灯りを消したりつけたりしながらいろいろな灯りの説明をしてくれました。特に小田原提灯や、ろうそくを持ち歩くための道具が面白かった。

火種の付け方がまた面白い。鉄より硬度の高い石で鉄を砕くことによって火花が出て、消し炭の火だねに火がつきました。

私は「防災用にどうぞ」という太い蝋燭を買いました。

もう暫く行くと、望嶽亭。ご自由に見学してください、と書いてあって誰もいないので、座敷に上がっていいのかも分からず、土間から眺めて出てきました。

その斜め前の一里塚には貸し出し用の杖が沢山置いてありました。

一目瞭然、ここから胸付き八丁の急坂。

でも、わりとリズミカルに元気に行けました。

ミカン畑の中を上がっていくのですが、急な坂に一本足のレールが伸びていて、ミカンを運ぶためのモノレール(モノラック)があちこちにあり、私は興味津々で沢山写真を撮りました。

薩た峠(「た」の時は土へんに垂で、変換できません)からの富士山がきれいとのことで、楽しみにしていったところ…ここが薩た峠と書いた場所が5〜6箇所あって、どこがどうなんだろう?

ミカン畑を下りると、一ヶ所真っ暗で怖い所がありました。

墓地に下りてきて、トイレの先、左が興津駅への近道ですが、旧東海道は右に折れてぐるりと遠回りします。

大分夕暮れになってきました。

電話で予約を入れて、今夜は静岡のビジネスホテルに泊まることにしました。

ボロボロで改修工事中の興津川橋を渡り、興津の町はかなり薄暗い中、ぐんぐん歩きました。

清水駅の近くまで来て、西友で、保冷用弁当箱入れと携帯の充電器と下着を買いました。

清水と静岡って、草薙、東静岡、静岡と3駅もあるんですねえ。

今夜の宿は静岡グランドホテル中島屋。

静岡おでんが食べたかったけれど、結局ホテル内で中華料理を食べ、桂花陳酒と貴梅酒を飲みました。

明日は宇津ノ谷峠だ。

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2008.10.29. 鬼除け十団子と宇津ノ谷峠〜幻の笠懸松

2008.10.29.

東海道五十三次歩き十一日目 前半 丸子〜宇津ノ谷〜岡部入り口

今日の行程を考えると、もっと早起きすべきでしたが、夕べは日記書きに何時間もかかり、寝たのが遅かったので、今朝はなかなか起きられず、朝食のバイキングに降りていったのは8時頃。

バイキングは洋食系を主に取りましたが、和食系からは里芋そぼろだけ1個取り、スタミナカレー(ひき肉入り)も食べました。

ホテルを出たのは8時40分頃。

8:53発のバスに乗り、丸子へ向かい、丸子橋入り口で降りました。

朝、用は足してきたのに、バスを降りた途端にネイチャーコールズミー…

丁子屋や丸子橋近辺に外に設置されたトイレはないか探してみたけれど、ありません。

歩く旅で一番困るのがトイレ。

かなりヤバイヤバイと思いながら歩いていたら、今は閉まっているけれど、トラックドライバー辺りを相手にしていると思われる小さなカレー屋があり、カウンターだけの間取りで、これは駐車場にトイレがあるのでは?と探したら、案の定、駐車場の一番端に仮設トイレ(工事現場にあるような可動式のトイレ)があり、使わせていただきました。紙切れだったので、流せるティッシュを持っていてよかった。

これで心置きなく景色や歩き自体を楽しめます。トイレへ行きたいのを我慢していると、そのことだけで頭がいっぱいになってしまうので。

青空に白い雲と緑の山がきれい。

風が強くて帽子が飛ばされそう。

国道の脇に時々旧東海道があり、脇道を楽しみながら進み、国道では久々に東海ルネサンスの弥次喜多に再会。

道の駅の宇津ノ谷峠が見えてくると、巨大な車道の陸橋がトンネル前を横切っていて、歩行者はどう行けばいいんだろう、と不安になりながら近づいていくと、歩行者は自然に右方向の宇津ノ谷峠への道に入れました。

さっきの国道に比べて車が来なくて静か。風が強くてやや寒いけれど、歩くには快適。

車道と別れて宇津ノ谷の集落への、整備された遊歩道が左側に伸びていて、道の両脇にビッシリ家が建ち並び、一軒一軒大きな屋号の看板をつけていました。宇津ノ谷は間の宿なので宿泊はできないため、屋号を掛けた家々は、軒並み茶屋だったそうで、今でもお互い屋号で呼び合っているそうです。

その中のひとつが御羽織屋。「見学の方は下の門からお入りください」とあるので、坂を少し下って下の門から入ると…

通り側にも、昔のかき氷機や火鉢、ランプが並んでいましたが、門を入ると道の両脇にいろいろな道具類が所せましと並び、中庭に入ると、ちょうど洗濯物を干しに来た奥さんに会ったので、「今、見られますか」と声をかけたら、「はい」と、おばあちゃんを呼んでくれました。

中に上がると、本にもあった秀吉拝領の羽織がガラスケースの中に展示されていて、おばあちゃんが「どうぞ足を崩してください」と言ってくれましたが、きちんと「いらっしゃいませ」と改めてご挨拶されて返礼したまま、とうとう最後まで正座していましたが、せめてリュックは下ろせばよかったな。

おばあちゃんはとても滑らかに分かりやすくいろいろ話してくれて、本で解説を見ただけでは分からない話をしてくれました。

小田原攻めに向かう秀吉が宇津ノ谷に立ち寄った時、秀吉が馬の足の草鞋を所望したそうです。御羽織屋のご先祖様にトンチのきいたおじいさんがいて、秀吉に馬の草鞋を三脚しか渡さなかったので、秀吉が訳を尋ねると、勝利を祈願して、あとの一脚はお預かりしておきます。勝って帰られた時にあとの一脚をお渡しします、と。四脚は四は死に通じるからと、縁起をかついだのでしょう。秀吉はえらく感心して、目の前にある山の名を尋ねました。当時はその山には名がなかったため、「勝山(かちやま)と申します」とお答えし、その山に一本の木が生えていたので、その木の名前も聞かれ、「勝ちの木です」と…。栗の木だったのですが、それ以来、その山の名は勝山になり、栗の木をかちぐりと呼ぶようになったのだそうです。

秀吉は大喜びで出立し、小田原攻めに勝った帰り道に、「勝ったぞ」と、鎧の上から羽織っていた羽織をおじいさんにくださったのだそうです。

それは3月のことで、まだ寒かったので、防寒着だったのですが、軽くて暖かな素材で、裏や袖口、襟元は絹、綿も軽くて暖かい絹綿、表は軽くて雨に濡れても丈夫な紙子で出来ていて、当時は紙子が真っ白、襟や袖口が真っ赤でとても派手なものだったそうです。今、全体的に灰色なのは、その後ここを通る大名が、縁起がいいからとこの羽織を撫でに来たため、大名たちの手垢で灰色になってしまい、中には紙子を破いてお守りに持っていってしまう人もいて、昭和の戦後になってから、東京の国立博物館でこの羽織を1年かけて復元してくれたそうで、下の方だけ真っ白なのは、同じ素材のものを継ぎ足し、襟や袖口の黄色い絹の布地は、一緒に保管されていた物を用い、足りない所は当時真っ赤だったということから、赤い絹の布で復元してくれたそうです。

拝領の羽織の他に、この羽織を見に来た大名が置いていった抹茶茶碗や鉄扇など、たくさんのものが展示されていました。

宇津ノ谷峠というと、「蔦紅葉宇津谷峠」という歌舞伎が有名で、幸四郎と富十郎が演じている写真付きの新聞記事も展示されていたし、片岡鶴太郎など、有名人の色紙もたくさんありました。

鬼除けの十団子(とおだんご)も買いました。

中庭にある、旅人のために開放しているトイレもお借りし、おばあちゃんに見送られながら出発しました。

すぐに階段があり、その上の坂道を上っていくと、やはり一人で東海道を歩いているのではないかと思われる女性とすれ違い、挨拶しました。

その上の坂道に出て…旧東海道は右と出ていましたが、明治のトンネルというのが気になって、左に行ってみました。

伊豆の踊り子の映画に出てきたトンネルと似ているかなあ。見に来てよかった。

また戻って、案内板を見ていたら、宇津ノ谷の町から来た女性に声をかけられました。

その人は、今日は東海道を歩いているわけではなく、なにかのウォーキング中のようでしたが、以前に東海道を日本橋から京都、さらに大阪城まで、5年何ヵ月かかけて歩いたのだそうです。

その人と別れ、急な山道へと突入。振り返る宇津ノ谷の瓦屋根の町並みは、なかなか趣がありました。

かなりの山道。箱根を思い出します。

石垣が見えてきたと思ったら、宇津ノ谷峠の地蔵堂跡だそうです。

最高地点には特に峠の表示はありませんでしたが、ちょうど「し」の字を裏返したような木がニョキッと生えていて、私はその木に宇津ノ谷峠のネッシーと名付けました。

下り斜面に入った途端に風が強くなり、ひどく心細くなりました。上り坂はぐいぐい上れましたが、急な下りとなると足元もおぼつかない。斜滑降みたいにジグザグで下りたり、膝に付加が行かないように体重のかけ方を工夫しながら下りました。

これだけ心細いと、御羽織屋で買った十団子が心の支えになります。

おばあちゃんが、「鬼除け、魔除けだけではなく、今の世の中、怖い事件がたくさんあるから、このお団子を持って歩くと、旅の安全を守ってくれますよ」と言ってくれたのを心の支えに…。

暫く下りていくと、反対側の林道の終点、ここまでは車が入れるところに、1台の車が停まっていて、PUFFYの「亜細亜の純情」を大音量で流していました。そのわりに車内に人の気配がない…

私が下りてきた山道のすぐ脇の林の中で、誰かが何かをしていました。山菜採りの時期ではないし、林業従事者ではなさそう。

何をしているのか確かめるのは怖いし見ないフリをしてグングン下り、その場を離れて大分立ってからも、あとをつけてこないかとか、後ろを気にしていました。

暫くして人里が見えてきてホッとして、「♪お団子お団子嬉しいな〜」と歌いながら下りました。鬼除け団子を持っていてよかった。お守りって、心の支えなんですね。また、十団子が本来の意味の鬼除けとしか思っていなかったら、挙動不審人物と山道で行き会った時、心のお守りの役をなしませんが、御羽織屋のおばあちゃんが、「怖い事件がたくさんあるから、旅の安全のお守り」と言ってくれたから、団子が私の心細さを支えてくれたのです。

団子を持っていようがいまいが、危険度は変わらないと言ってしまえばそれまでですが、風の吹く足元がおぼつかない急な山道に一人きりだった私の心細さを団子が支えてくれたのは本当です。そして、本当に一人きりならそんなに怖くはなかったのです。誰かがそこにいたから怖かったのです。あとで長男にこの様子を話したら、「それは確かに怖いね」と言ってました。臆病になっていた私だけの自意識過剰的反応ではなかったようです。

峠道を下りきると、右側から明治のトンネルからの道と合流し、左側から蔦の細道からの道と合流し、その先の右に鼻取地蔵堂がありました。

国道が見えてきて、宇津ノ谷トンネルのこちら側にも道の駅がありました。

大きな歩道橋を渡って右側に行くと、国道から右に入って静かな旧東海道があります。

柿を干してある家をよく見掛けました。風船カズラも見ました。お茶畑もありました。岡部は玉露の里なんだそうです。

枝豆を筵の上に広げて干してあったので、写真に撮っていたら、おばあちゃんが現れたので、照れ隠しに「こんにちは」と挨拶したら、おばあちゃんも温かい感じで「こんにちは」と返してくれました。

国道とまた合流し、少し行くと右に十石地蔵堂があったので、ひしゃげた古い石段を上って十石地蔵堂を見に行きました。お堂の右手に小さな石仏群が整然と隊列を組んで立っていました。

その先、お茶屋さん(茶店ではなく、玉露販売店)がたくさんありました。

本にはガソリンスタンドの先を右に曲がる、とあったので、ガソリンスタンドを探して歩いていたら、右に入る道を先に見付け、振り返るとその角が廃墟となった元ガソリンスタンドでした。

その曲がり角でちょうど正午。町に流れる正午を告げる音楽は、「恋は水色」でした。正午は「野ばら」が多いと勝手に思っていたのですが…それにしても「恋は水色」とは珍しい。

午後の部へ続く

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2008.10.29. 岡部おでん〜遠いバス停

2009.10.29.

東海道五十三次十一日目 午後の部 岡部〜横内 

岡部宿入り口を曲がってすぐに、笠懸の松の標識があり、ちょっと脇道に入ってみましたが、どうやらかなり上らなければならないみたいなので、時間が気になる私はパスしました。

今夜は江古田までお芝居を見に行くので、14時12分藤枝発に乗りたいのですが、岡部入り口で正午ということは、かなりヤバいので、寄り道で山に上っている時間はありません。案内板には昭和49年当時の松の写真がありましたが、その後、松喰い虫の害で枯れてしまったそうです。謡曲にもなった「西行西住」所縁の地。悲しい話です。

西行と西住は伴に修行した仲間なのですが、どこの時点からそうなったのか、西住は西行の弟子になっていました。

天竜川の渡し舟で西行はある武士に杖で叩かれるという仕打ちに合いますが、後に西住が武士に仕返しをしたところ、西行はそれを出家の身にあるまじき行為として西住を破門します。その時、西行は別れの形見として、笠と筆跡を西住に渡したのですが…

西住は西行の後を追い岡部で倒れて亡くなりました。

東国からの帰り道、西行は岡部で西住の死を知り、嘆き悲しんで、「笠はありそのみはいかになりならんあはれはかなき天の下かな」の歌を笠に書き付け、松に掛けて立ち去ったのだそうです。

岡部川を渡り、右に西行座像が保存されているという専称寺。公開していないみたいでした。

その先すぐに、つた街道(国道1号線)に戻り、道の左側に柏屋歴史資料館がありました。昔の大旅籠が最近まで住居として残っていて、90何歳のおばあさんが9年前?に亡くなってから岡部町が買い取り、補修して一般公開されています。

リュックを預かってくれて、1階部分の主な説明をしてくれました。

入って右が身分の高い人が泊まる部屋で、奥の間、次の間、中の間があり、縁付きの畳を使っていました。

向かって左が庶民が泊まる部屋で、野郎畳という縁もなく荒くガサガサの畳でしたが、今は復元のために作られた野郎畳は目が細かくて、却って普通の畳より高級になってしまったそうです。二階などは詰められるだけ詰める雑魚寝状態。二階への階段は二ヶ所あり、今は見学者のために手すりを付けてありますが、往時は手すりもなく急で段も狭く、この階段をお運びさんは着物を着て料理を持って上がり下がりしていたそうで…日本料理屋で中居をしている私は、着物を着て料理を持って階段を…とリアルに想像できて驚きました。入り口でリュックを預かってくれたわけだ。すごい階段です。

旅の七つ道具や柳こおりも展示されていて、興味深いです。弁当箱、小田原提灯、旅用燭台、算盤、書くための道具など。

台所の土間の中に井戸があって珍しいと思ったら、補修前は庭にあった井戸で、建物が道路側、歩道まで出ていたため、全体を庭側に引いたため、井戸が建物内に入ってしまったのだそうです。

旅籠をやめてからは質屋をしていたため、庭には大きな蔵が二つあり、左側はギャラリー、右側は和食処になっています。

中庭に出るとすぐ右に水琴窟があり、きれいな音色をたてていました。

左手前にトイレ、その奥が土産物売店、正面左の蔵のギャラリーでは、浦田周社(かねたか)展をやっていました。浦田周社は六代目版隈。江戸時代の浮世絵の技術を受け継いで、シュールな赤富士などが展示されていました。右の蔵の和食処の前まで行ってみましたが、松花堂弁当や特別膳などかなり高めで、自然薯のとろろ御膳は11〜4月の季節限定のようです。そばなど、手軽に食べられるものもありましたが、それなら売店のところで売っている岡部おでんを食べることにしました。

おでん、諸事情で結構待たされました。帰りの電車の時間が気になるんだけど…。

もう普通列車は諦めて、新幹線に乗ろうかな。それだと藤枝15時22分に乗って静岡でこだまに乗り換えて…

岡部おでんは普通に煮てあるおでんに味噌ダレをかけて、細かい鰹節をかけたもので、私はかなり好きです。けっこうたくさん入っていて、おなかも満たされました。

庭の右側、私がおでんを食べている売店の正面側は何かの体験工房。その手前の左角に、昔の身分の高い人用の駕籠が置いてありました。

柏屋を出て、すぐ先、左側に本陣跡がありました。その横は公園になっていました。

少し歩くと、右側に素敵な酒造があり、初亀という銘柄を売っているようでした。酒造のすぐ先を左に入り、静かな宿場の町並みを進むと、小さな流れの小さな橋に、「小野小町姿見の橋」がありました。歌人であり美女として有名な小野小町が晩年旅の途中で岡部宿に泊まったそうです。この橋を通りかかった時、夕日に映える西山の美しさに目を止め、ふと足元の水に自分の姿が映っているのをみて、長旅で疲れ、かつての面影の失われた自分の老いた姿に嘆いた、という話が残っています。

本には、小町は絶世の美女だったからこそ嘆きが強かったのだろうと書いてありましたが…それは男性の意見だと思いました。それなりの女性でも、疲れてボロボロの自分と対面するとショックなもんですよ。針の先で突いた小さな傷だって痛いのと同じです。

その先左側に光泰寺入り口の案内があり、聖徳太子立像がある、と書いてありましたが、時間もないし、西行座像みたいに見られないかもしれないのでパス。

道が突き当たり、少し右に行くとつた街道に出ます。岡部町役場や五智如来像が右にありました。

少し進んだところにバス停があったので、乗って藤枝に行こうと思いましたが、まだ時間はありそうなので、タイムリミットぎりぎりまで歩こう、と思いました。

つた街道を行くと、松並木があり、右に渡ると、これより岡部宿の石碑。つまり岡部の京方見附ですね。

バイパスをくぐり、右斜めに入る旧道を行くと、家々にまた屋号を大きく書いた看板がでていました。間の宿の横内。

朝比奈川を渡り、暫く行くと、またつた街道に出て、歩道橋で左側に渡り、左斜めに入っていくと大きな松ノ木と標柱がありました。

そろそろバス通りに出ないとまずいので、つた街道(国道1号線)に出て、バス停を求めて歩いたのですが、道の反対側にはバス停があるのにこちら側にない。なぜ?

バスが1台私を追い越して行きました。今が13時45分だから、14時にはバスに乗らないと。

右側に黄色い稲穂が見えたと思ったら、「神撰米」の札が立っていました。

歩けども歩けどもバス停がない。町中は小刻みにバス停があるけれど、人家のない場所はバス停の間隔が広いんだよね。

やっとありました。見付けました。八幡宮前バス停。13時54分。57分のバスがある。よかった。

バスは3分ほど遅れて来ました。

次回東海道五十三次歩きに来た時に通るであろう藤枝の町中を通り、駅前にはサッカーのユニフォームを着た犬の人形が3匹いました。

藤枝着が14時15分。さっき私を追い越していったバスに乗れていれば…近くにバス停があれば…新幹線を使わなくても普通列車でお芝居に間に合ったのに…

藤枝から静岡に行き、新幹線に乗る前にお土産に静岡銘菓「こっこ」と駅弁「特別鯛飯弁当」を買い、ひかり号に乗りました。

富士川から富士山がよく見えました。

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