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2008.11.10. 雉も鳴かずば撃たれまい〜コイキングレベル100!

2008.11.10.

東海道番外編  補遺の小さな旅Ⅰ 神奈川台の坂〜保土ヶ谷&戸塚益田家〜戸塚駅

今週は休みが多いのですが、毎晩用事が入っていて、東海道五十三次歩きの続きで袋井までは行けないので、今までの東海道ウォーキングで、道を間違えたり、写真を撮らなかったり、心残りだった辺りを再訪する、小さな旅を企てました。

今日行ってきたのは、神奈川駅から保土ヶ谷までと、戸塚の益田家(巨大もちの木がある屋敷)から戸塚駅まで。

曇って11月末〜12月初旬の気温という寒い日でした。

午前中は銀行へ行ったり、やることもいろいろあり、昼をすませて電車に乗り、京急神奈川駅に降り立ったのは12:28。

トイレで身支度(コンタクトレンズを入れたり)を済ませ、歩き始めたのは12:36。

まず青木橋で線路を渡り、少し左へ行ってから、国道1号線及び県道83号線と分かれ、右に曲がって旧東海道を進みます。

この辺りは☆紗的東海道五十三次ウォーキング二日目、9月16日の夕方に歩いています。

すぐに上り坂。広重の絵にも描かれた台の坂。広重の絵だと、坂のすぐ左が海になっていて、当時は京急や東海道線の線路も県道も国道も、海の底だったことが分かります。また、その広重の絵には、台の茶屋と呼ばれる茶屋が建ち並んでいます。当時の面影は薄れ、界隈マンションが建ち並んでいますが、滝川と田中家の二軒が今も料亭として営業しており、滝川の壁には広重の絵のレリーフが埋め込まれ、田中家の前にも説明の看板があります。

前回、滝川の写真は撮ったのですが、田中家は撮らなかったのが心残りだったので、今日はしっかり撮りました。

田中家は広重が描いた当時は「さくらや」という名前でした。建ち並ぶ茶屋の中で、なぜさくらやだけ名前が書かれているかは、由比の広重美術館に行った私には分かります。浮世絵は、広告も兼ねていたのです。つまり、さくらやは広重に広告料を支払って、それで広重は東海道五十三次の絵の茶屋の中で、さくらやだけ名前を書いている、という訳なんです。

田中家の歴史でもうひとつ特筆すべきことがあります。坂本竜馬の妻だったおりょうさんが中居として働いていたのが、この田中家だったそうです。おりょうは客あしらいもうまく(泥酔した客をうまく帰したり)、勉強家で英語にも堪能で、外国人の客にも喜ばれていたそうです。

しかし、おりょうは母も弟も亡くし、天涯孤独の身で、次第に酒に溺れて茶屋の女将も困っていたそうで、そんな折り、横須賀の商人西村なにがしと意気投合し、当時37歳だったおりょうは横須賀へと嫁いでいきました。おりょうが辞めた後も、馴染み客が「今日はおりょうはいないの?」と度々聞くので、中居たちが「なによ!」と嫉妬した、という逸話も残っているそうです。

看板にはおりょうの話しか出ていませんでしたが、田中家は権八茶屋とも呼ばれているそうで、歌舞伎などの鈴ヶ森で有名な白井権八(本名は平井権八)がとろろ汁で飯を十杯も食べたという逸話もあるそうです。

東海道五十三次歩きの初日に通った鈴ヶ森。雲助に絡まれ、正当防衛とはいえ、雲助殺しをした白井権八を髭題目の碑の前で、「お若えの、お待ちなせえ」と呼び止めた江戸の剣客、幡随院長兵衛。白井権八の「雉も鳴かずばうたれまいに」も合わせて名台詞の一場面。実際には、幡随院長兵衛は平井権八が生まれた頃には既に殺されているので、二人が出会った事実はないようです。

道はこの先、暫く前回の通りで「あ、ここは見覚えある」と楽しく見ながら歩きました。

坂は、前回来た時、きつく感じたのに、東海道を半分まで歩いた今日(こんにち)、幾多の難所を越えてきて、台の坂など屁のカッパ。

実は、東海道の最初の難所が権太坂と聞いた時、台の坂は?と思ったのですが、歩き慣れていた江戸時代の人にとって、台の坂はなんでもない坂だったのでしょう。

道はこの前間違えた立体交差の壁に突き当たります。私は「ここが間違えるポイント」として写真にまで撮ったのですが…

さらにまた危うく間違えかけてしまうという因縁の立体交差!と思ったのですが…

実はその先、浅間神社下で東海道案内地図を見たとき、そもそも、その前から私が間違っていたため、二重三重に間違いを重ねただけで、ちゃんと旧東海道を歩いてくれば、間違えずに来れたはずであるという事実を知り、かなりショックでした。

正しい旧東海道ルートは、台の坂からまっすぐ歩いて来ると、やがて左前方に高速道路の高架が見えてきて、道はやや左前方に向かって県道83号線に合流。県道83号線を暫し歩き、浅間下の交差点を渡った右角に交番があり、その辺りから県道の一本右側の道に入る、というのが正道で

、そこを進めば浅間神社の下の旧東海道案内板に出ることが出来るのです。

私は左前方に高速道路の高架が見えてきた時、敢えて県道を避けて公園沿いの静かな道こそ旧東海道だと思って、一本北側の道を進んだ結果、立体交差の壁に突き当たったのです。

でもきっと、私と同じ間違いをする人は結構多い、と私は思うので、その場合の対処法を書きます。

立体交差に突き当たったら、左側から道を渡ります。

目の前にロウソンがあり、ロウソンの右側の道に入ってはダメ。ロウソンを見ながら左に進み、浅間下交差点の交番があるので、交番の裏手、県道の一本右(北側)の道に入れば正式ルートです。

転んでもただ起きない。私は道を間違えて得したこと、たくさんあります。道を間違えたおかげで食べるところがあったり、トイレがあったり、面白いものを見たり。

浅間神社の階段を上りかけた時、ツツツ、と案内板に寄ってきて写真を撮っている、リュックを背負った若者を見掛けました。東海道ウォーカーに違いない。

番外編を歩いている私は、今日は東海道ウォーカーとは話したくない気分。というより、初日の日本橋や品川辺りでは、東海道ウォーカーと関わり合いたくなかったのを思い出しました。大磯あたりからやっと旅人気分になれたけれど、自分の生活圏だと、ふらりと散歩してます、と言いたかったのかも。京都まではあまりに遠すぎて、東海道を歩いています、とは恥ずかしくて言えなかったのかな。

でも、今日は既にどまん中、袋井まで行っているのだから、いいじゃない。いやいや、袋井まで行った人が、なぜ神奈川にいるのか話すのも面倒くさいし、今、この辺りにいる人、ビギナーに対して先輩風吹かすほど、達人にはなっていない。しょっちゅう道を間違えるし。

浅間神社の境内には幼稚園があって、幼稚園の先生に「こんにちは」と挨拶されたので、私もこんにちは、と返しました。不思議なのは、園庭や境内で遊んでいる子どもたちがほとんどみんなフエルトの園帽を被っていること。夏は日除けとして被ったと思いますが、うちの子達が幼稚園に通っていた頃は、フエルトの冬帽は通園用で、園に着くと脱いで鞄と一緒にロッカーか帽子掛けかに納め、園庭で遊ぶときには被らなかった。庭での泥遊びの激しい幼稚園だったから、フエルト帽を汚さない配慮かな。

でも、ここの幼稚園では、外に出るときは帽子を被りましょう、と指導しているんだね、きっと。

浅間神社を過ぎると、洪福寺松原商店街はすぐでした。

前回道を間違えてすごく遠回りして山越えして来たのに、正しい道ならこんなに近い。

商店街は活気に溢れていました。道までせり出して野菜を売る店に、人だかりがしていました。

この前は夜通った商店街を昼間通ると、また違った印象です。

帷子橋(現在)を渡るとき、川の鯉に餌付けしているおじいさんがいて、ひょいと見ると、全長1メートルはあろうかと思われる巨大な鯉がいてびっくり。怖いぐらいの巨大鯉です。(コイキングレベル100か?)

天王町駅を通り抜け、昔の帷子橋が公園にあるのを見て、この前は暗い道をビシバシ歩いた道をのんびり歩いて保土ヶ谷へ。

今日は万歩計も忘れてきたし、靴もスニーカーに履き替えるのを忘れて普段の靴を履いてきてしまったので、足に負担がかからないようにあまり速くは歩けませんでした。

保土ヶ谷に着いたのは14時11分。電車で戸塚に移動したのですが、戸塚から保土ヶ谷行きのバスに乗ったので、逆に保土ヶ谷から戸塚行きのバスに乗ればよかったな。

戸塚駅ではバス待ち時間が長く、寒かった。

ポーラ前で降りたのは15時頃。道を渡って左側を歩きました。

この前、(9月18日)ソイジョイを買ったコンビニ。そのすぐ横が、広い土地の真ん中にポツンと蔵だけある不思議なところ。

もう暫く進むと巨大なもちの木がある益田家のお屋敷。

その先を左に曲がって国道1号線と分かれて旧東海道を歩きます。

右側に斎藤家の赤レンガの蔵。隣が斎藤家の土蔵と家、その隣が斎藤肉店で、その隣がミートショップさいとう。

少し進むと、前回道を間違えた橋に出ます。

今回は道を間違えないぞ、と橋の手前で右に曲がって国道1号線に戻りましたが、歩道が狭くて歩きづらかったので、橋を渡ってから川沿いの道を右に進んで国道と合流した方がよかったと思いました。

道を渡って右側を歩きました。右にはブリジストン横浜工場。その先に、ダイエーがあり、その隣のステーキファミレス、フォルクス前に江戸方見附跡がありました。

道を渡って左を進み、寄り道になりますが、妙秀寺へ。

妙秀寺の境内に、広重が戸塚宿の絵に描いた「左りかまくら道」の碑が保存されているとのことで、見に行きました。

写真にも撮りましたが、石の上半分が欠けていて、「くらみち」が読めます。

広重の戸塚の版画では、右にかかる橋は吉田橋。そのたもとに「左りかまくら道」の碑。絵では「かまくら道」残っている碑は「くらみち」…本当にこれなのかなあ?それとも広重が絵の中の構図の問題で「みち」を「道」と脚色したのかなあ。

東海道に戻り、少し先に戸塚一里塚跡。

その先、今の吉田橋を渡ると、橋の途中、三ヶ所橋の壁がくの字に窪んでいて、真ん中を除く二ヶ所に戸塚に関係する絵が描かれていました。道の反対側はまた違う絵なのかどうかは確認しませんでした。

また暫く歩くと、戸塚駅方面へ曲がる角の一軒隣の矢部の湯…前回、夕暮れに明かりが浮かび、東海道歩きの最後に銭湯に入りたい、と思いながら、あの日はその後ダンスレッスンで時間の制限があったために断念しましたが、今日こそ入ろうと思っていたのに、今日は定休日なのか、鉄扉で閉ざされていました。残念。

曲がると戸塚駅ですが、そうだ、前回の三日目で戸塚駅まで歩き、四日目で戸塚駅から歩き始めたけれど、実は矢部の湯付近から戸塚駅北の大踏切までは歩いていないことを思いだし、せっかくの補遺の旅なんだから、大踏切を渡ることにしました。

大踏切は開かずの踏切?かなり待たされました。

そして、この前も思ったけれど、再開発中の戸塚駅周辺は訳が分からない。買い物をしたかったので、駅ビルをうろうろしてから、家路へとつきました。

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