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2008年11月

2008,11.04. 強い風の中をゆく〜染め飯、酒小饅頭、とろろそば〜越すに越されぬ大井川

2008.11.04. 晴れ

東海道五十三次歩き十二日目 八幡〜藤枝〜島田〜金谷

朝5時半過ぎに出掛けて、静岡で乗り換えて藤枝へ。

藤枝では喜久屋という弁当屋で名物、瀬戸の染飯(そめいい)を買いました。強飯をクチナシの実で染めた旅の携行食で、疲れた体を元気にする作用があるそうです。

本でもオススメになっていたし、長男も是非買うべきだ。朝の内に電話予約しておくとよい、と言っていました。私は朝の内に買いに行くから電話はしなかったけれど、普通のパックだったので、江戸時代から使われている版木で刷った紙でくるんでもらいたかったら予約すべきなんだろうな。きっと。

また藤枝に戻り、前回見たサッカー犬人形をまた見ました。

9:31のバスに乗り、前回の終点の近く、「従是東巌村領」の木の柱の真ん前のバス停で降りたのが9:51。

この前と同じく歩道橋を渡り、左側の旧道へ。この辺は鬼島という地名なんですね。

葉梨川を渡り、道は二つに分かれていますが、右側の川沿いの道を行きます。

15分ほどで大クスのある須賀神社。

その先で「東海道まわり道」の看板に従って右側に行くと、すぐに史蹟鐙ヶ渕と観音堂があり、観音堂には首をかしげている地蔵がいました。

この辺りは新しく道が作られ始め、旧東海道が分かりづらくなっています。

国道に対して斜めに突っ込む形の旧東海道は、松の木が少しはあって、ここがそうなんだ、と分かりやすいのに、工事のせいで以前のように斜めに国道を突っ切れず、まず国道を向こう側に渡り、左に折れて、少しして、右に入ると静かな道。

領主番所跡の柱を見て、もう少し行った右手に成田山新護寺。昔、宗尊親王が将軍となって鎌倉に行く途中、乗っていた車の左輪が壊れ、修理している間、親王が休息していた所が成田山になり、壊れた左輪を埋めた場所に左車神社が建てられました。

成田山の境内にはベンチがたくさんあったので、染飯を食べました。これは美味いや。10時40分頃です。

ボケ除け像の頭とカボチャを撫でてボケ防止を祈念した後、トイレも借りました。

少し歩いていくと、白子という地名となった由来書がありました。徳川家康を助けた小川孫三(三重県鈴鹿市白子の出身)が住むようになったからで、その小川孫三の子孫でしょうか、小川眼科の入り口近くに由来記碑があります。

その先、蓮生寺には県指定銘木のイブキがありました。

蓮生寺の裏手に蓮華寺池公園があるとのことで池を探しに行きましたが、山の上からぐるりと遠回りしてしまいました。

おかげでズボンの裾にたくさんの細かい草の実がくっついていて、取ろうとしたらひどくネバネバしていて、1回手を洗ったぐらいでは取れない…

蓮華寺池には足漕ぎボートもあり、対面の山の斜面には巨大なローラー滑り台が見えました。

若一王子(にゃくいちおうじ)神社を見て、旧東海道に戻り、西へ。

その先の町内は、店の名前を屋号風に板に書いて掛けてあり、例えば自転車やは「ちゃりんこみせ」。

西木戸に当たるところの正定寺境内の本願の松の素晴らしさに、写真を何枚も撮ってしまいました。境内には他に、ぎっしり隙間なく並べられた石仏群が目を引きました。

12時過ぎに瀬戸川の勝草橋を渡り、渡ったすぐの右手に一里塚。

このあたりから松が点在し始めます。

国道1号を突っ切ったあたりから商店街は終わり、郊外風景。

24時間営業の西友に立ち寄り、トイレを借り、中に清水銀行が入っているのでお金をおろし、甘いものが飲みたくて探したけれど結局オロナミンCを買って飲みました。

その先の風景は、松並木と刈り取られた田んぼと…なぜ青々した田んぼがたくさんあるのか…どうやら、一旦刈り取った株から、青い芽が出てきて伸びているらしい…

左に田中藩領傍示石蹟、六地蔵があり、またその先に古東海道との分岐(追分)がありました。

靴用ロッカーみたいなたまごの…自販機というよりは吊るし売りに近いものがありました。志太のうみたてたまご赤玉の小玉が10個で300円。うみたてじゃなければ200円でした。

東海道線が近くを走るようになりました。

13時過ぎに瀬戸の染飯茶屋跡。

すぐ横に千貫堤。大井川が度々氾濫するので一千貫の労銀をなげうって大工事したことからこの名がついたそうです。

そのすぐ先に酒屋があり、裏の大きな蔵には喜久酔と書かれていました。普通の街道沿いの家風で店らしくないのですが、すぐに酒屋とわかるのは、酒樽がビラミッド型に積んであるのと、酒屋のマークの杉玉がぶら下がっています。今まで見たことのある杉玉は年期が入って渋い茶色をしていますが、ここの杉玉は緑色。作りたてなのかなあ。

栃山川を渡り、左側に上青島の一里塚。

島田市に突入したのは13:38。

暫くは国道1号を歩きましたが、六合駅の近くで旧街道は右に入り、その辺りは阿知ヶ谷。

かなり疲れてきて、休憩したいなあ、と思っていたら和菓子屋があり、ショーウィンドウを覗こうとしたら自動ドアが開いてしまいました。中に入って、島田名物の酒小饅頭はバラ売りしてもらえるか聞いてみたら、3個で105円だそうで、お茶も入れてくれたので、畳敷きのベンチに座ってしばし休憩。酒小饅頭は美味しかった。疲れが癒されて元気が出ました。

右側に島田一里塚、14時半。その先の左に刀匠の碑。一緒に問屋場跡。

一旦島田駅まで行ったのが14時46分。

昔の旅籠だったやぶやがどじょうなどの料理屋をしているというので見に行きましたが、店が開くのは17時でまだまだなので、お3時に食事できるところを探して歩き、よし田という蕎麦屋に入ったのが15時少し前。

とろろせいろ700円を食べました。待ち時間に今夜の宿を考えました。

日坂までは上り坂ばかりで、行っても泊まるところがなさそうなので金谷に泊まることにして、百楽園に予約を入れました。

大井神社は鳥居改修工事のため正面参道からは入れず、脇から入りました。

島田の大井神社の帯祭りは3年に1回しかやらないので、昔、静岡に越してきたばかりの頃に見に来たことがあります。

境内には石の太鼓橋、帯塚、島田祭り大奴の像などがありました。

大善寺では梵鐘を見て、先を急ぎ、大井川の川越遺跡の町並みへ。

博物館は定休日でしたが、番宿、川会所などを見ました。川会所の庭には、芭蕉の句碑「馬方はしらじ時雨の大井川」

番宿には、川越人足の人形や、島田にしかない、人足用の権三わらじが展示されていました。

朝顔の松を見て、大井川川原に入ったのが16時20分過ぎ。日はもう今すぐにでも山の端に隠れそうでした。

江戸時代はこのまま川を越えたのですが(川越人足に輿や梯子や肩車などで渡してもらった)、今は北に行って大井川橋を渡ります。

川原のジョギングロードをそのまま進みました。金谷の方からSLの音が聞こえてきました。

大井川橋の手前で、右上を走る堤防道に上れるようになっていて、いよいよ大井川橋を渡ります。

学校帰りの高校生がビュンビュン自転車で通り、今日も私は高所恐怖症。下を(川を)見ずに、進行方向、終点を見ていくと怖くない。

橋の渡り始め16:33、渡り終わり16:48。15分かかりました。

金谷側にも川越え番宿街は昔は当然あり、絵看板で説明されていました。

茜雲と三日月を見ながら進みました。

大井川鉄道の踏切が閉まったので、SLを期待しましたが、普通の車両でした。

踏切からは、新金谷駅が見えました。

薄暗くなってきた道を金谷駅へと向かいます。

暗くなってきても、佐藤本陣跡、柏屋本陣跡、一里塚はちゃんと見つけました。

金谷駅前着17:21。

百楽園までは山道で最初真っ暗。携帯電話の懐中電灯機能を使おうとしても、普段あまり使わないし暗くて脇のスイッチが見えなくて、フォト機能やら、簡易メモやら、違うところを押してしまったり、マイクロSDカードの蓋を開けてしまい、こんな真っ暗なところでSDカード(それもチビ)をなくしたら大変!と焦りましたが、なんとか懐中電灯機能を使えて、無事山登り。これからは懐中電灯も必要だね。暗くなるのが早いから。

たどり着いても入り口がわからずウロウロ。

やっと着いたのが17時43分。

部屋からは夜景がきれい(金谷の町は暗いからチョボチョボだけど、それでもきれい)でした。

先に風呂に入りましたが、一緒になった若い女の子、学生さん?が座る台を取ってくれたり、シャンプー、リンス、ボディーシャンプーも貸してくれました。

夕食は、値段が安いのに豪華。

つぶ貝、枝豆、肉団子

鮎塩焼き、何かのぬた、牡蠣の貝殻グラタン、笹巻きの物は食後に回して…

刺身は、マグロ赤身、トロ、鮭

天ぷらは、アスパラガス、椎茸、海老、茄子、さつま芋

鍋は、鶏、鱈、筍、舞茸、白菜、昆布

きんぴらごぼう、しば漬け

それにビールを頼んだら、サッポロ大瓶が来ました。

ご飯、味噌汁

ご飯が美味い!金谷駅に「お米の郷」って書いてあったもんね。

食後に回した笹巻きのお菓子は、全体が卵形で黄色っぽく、周りが葛で、中に卵のクリームのような柔らかく甘く滑らかな物が入っていて、とても美味しかった。

お茶も、茎茶で美味しい。

夜、筋肉痛が出てきました。今日の歩きの筋肉痛というよりは、前日にロックソーランの、かなり足腰を使う練習をしたので…。明日、大丈夫かなあ?

今夜の宿賃は、一泊夕食付き、サッポロ大瓶も入れて7,508円でした。

本日の歩数は39,439歩、距離は28kmでした。

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2008.11.05. テーマは茶畑と石畳〜命なりけり「小夜の中山」

2008.11.05.

東海道五十三次歩き十三日目 金谷〜小夜の中山〜日坂

今日のハイライトは、
1、箱根以外はここだけ、の金谷坂と菊川坂の石畳。
2、茶畑の中の道
3、箱根、鈴鹿に次ぐ難所、小夜の中山
4、東海道どまん中、袋井へ

朝は7時に起き、ぐうたらぐうたら支度していたら、結局出立は8時半を回ってしまいました。

百楽園は本日定休日のため、朝食はありません。支払いは夕べ済ませました。

支度して鍵をフロントに置いてカーテンの閉まっている玄関から出ました。

大衆演劇のポスターに見送られながら出発。百楽園は大井川娯楽センターと併設施設で、11月12月はポスターの劇団大川の出し物をやっています。座長の椿なにがしを始め、主な出演者3人のアップは、なかなかイケメンで、京本政樹に似ています。

夕べ真っ暗な中、上ってきた山道、朝見てもすごい道でした。

金谷駅前を通りすぎ、昨夕見た一里塚に戻り、駅横のガードを潜って線路の向こうに出ます。

ここでちょっと寄り道。長光寺の芭蕉句碑を見に行きました。

「道のべの木槿は馬に喰はれけり」

「野ざらし紀行」です。学生時代、旅の文学というゼミをとり、最初にこの「野ざらし」をやったので懐かしく、だからこそ、わざわざ寄り道して見に行きました。でも、大した寄り道ではありませんでした。

その先、常夜灯がありましたが、まさに松茸でした。

車道を横切ると、金谷坂の石畳。平成の道普請でよみがえった全長430メートルの石畳。

上り始めてすぐに、右に石畳茶屋。

朝御飯がまだだったので、ここで何か食べよう、と中に入りました。

茶屋はいつもは二人でやっているけれど、今朝は諸事情で一人しかいなくて、支度中でバタバタしていました。

磯部餅と煎茶セットを頼みました。磯部が250円、煎茶セットが二種類の羊羹が一切れのさらに半分ぐらいずつ付いて300円とはいい値段だと思ったら、ここら辺で採れる最高級のお茶を急須に入れてきて、お湯をポット一杯に入れてくれてあり、何杯でもどうぞ、5〜6杯は美味しく飲めます、と。

一煎目はお湯を60度ぐらいに冷ましてぬるめに入れると甘味が出る。二煎目以降は少し高めの温度でもいいようです。

やぶきた深蒸し茶で、確かに4煎目まで美味しかったので、買って帰りました。

湯呑み茶碗も地元の志戸呂焼きで、この風合いはどこかで…と思ったら、志戸呂焼きの前身は瀬戸からこの地に職人が移り住んで始まったそうです。

奥に資料室の展示もあり、興味深いものもたくさんありました。駕籠が前後で高さが違うと思ったら、この辺は急坂が多いので、この方が乗り心地がいいそうです。

話し好きの人で、わたしが夕べは百楽園に泊まった話をしたら、金谷にはいい旅館がなくて、島田に戻って泊まる人も多く、百楽園が一番いいし、急でも断らないそうです。他に二軒ありますが、一軒は商人宿で長逗留の人が多くてフリの客は断られ、もう一軒はおばあちゃんが一人でやっていて、泊まれた状態ではないそうで…

わたしが石畳茶屋を発つ時、「是非またいらしてください。五十三次を完歩した暁にでも」と見送ってくれた時は、鼻の奥がツウンとしてしまいました。また来たくなるよね。

金谷坂の石畳は歩きやすい。滑らない。箱根では雨と雨降りの翌日でツルツルだったからなあ。滑らないから、土踏まずを刺激して気持ちいい。

途中にすべらない地蔵がありました。金谷坂の石畳は滑らないので、受験などの合格祈願によいとか。

急坂を上りきると、地元の方達が(シルバーボランティアと見た)石畳やその上の道の草刈り、草抜きをしていました。

ご苦労様、というのは上から見下した言い方だそうだから、年上の方々には使えないし、いきなり「ありがとうございます」も変なので、「こんにちは」と挨拶しました。

この先、菊川坂石畳でも草取りをしてくださっていて、私たちが東海道を歩けるのも、たくさんの方のおかげなんだな、と改めて思いました。また、快く送り出し、頑張れと言ってくれる子どもたちのおかげでもあります。

さて、金谷坂石畳を上りきり、進行方向は右側ですが、少し左に戻ると、芭蕉句碑があります。「馬に寝て残夢月とおし茶の烟」

進行方向は南東。茶畑の中の道を進みます。

諏訪原城跡に寄り道しました。自然を巧妙に利用した、これだけきちんとした形で大規模に残っている山城の跡は珍しいそうで、国指定史跡となっています。

三日月堀が珍しいそうです。

ちょっと見るつもりが、三の丸、馬場、二の丸、本丸、井戸などなど、結局全部見て回ってしまい、かなりの時間を食った上、写真も撮りまくったため、あとで携帯のバッテリー不足で苦労する羽目になります。

諏訪原城跡を出て、菊川坂石畳に向かう途中、東海道を歩いていると思われる、中年男性とすれ違い、挨拶を交わし合いました。

菊川坂石畳に入る前に、トイレに行きたくて…実は諏訪原城跡を回っているときから行きたかったのですが…

ちょうど「木もれび」というログハウスの珈琲店があり、さっきの石畳茶屋で煎茶を何杯も飲んでお腹タポタポで、コーヒーを飲みたい訳ではなかったのですが、もうたまらず、店に入って「こもれびブレンド」(400円)を注文して、すぐにトイレへ。

木の肌を生かした綺麗なトイレで、ポプリの香りがしました。

コーヒー、飲めないかも、と思ってましたが、美味しくいただきました。ここら辺りの店や工房が書いてある地図のチラシもいただきました。

店を出てからも、暫くはポプリの香りがしていました。

菊川坂石畳は下りのため、歩きづらかったけれど、何か歌いながらリズムをつけて歩きました。

間の宿菊川に入るとすぐに、藤原宗行の詩碑があるという道標を見ましたが、やや遠い。石畳茶屋や諏訪原城跡でのんびりしすぎたからなあ。もう11時を回っていたので、この寄り道は諦めました。

このときのテーマソングは「♪もう恋なんてしないなんて〜言わないよぜったい〜」

菊川の町にも、あの劇団大川のポスターが貼ってありました。

これから道は小夜の中山に向けて上りになります。こわめし坂真っ青の急坂を上り、丘陵の尾根道に出ると、坂は上ってはいるものの、茶畑の中の最高に気持ちいい道。風と日差しを胸一杯に受けて、ちょっと両手を広げてタイタニック風に深呼吸して…

一人旅は気楽。ペースも好きでいい。やたら速く歩くときもあれば、のんびりのびのび、の時もある。

幸せだ。

今日を無駄にしたら、もっと生きたかった人に申し訳ないもの。滝から落ちて命を落としたSちゃんや、既に同級生も何人か亡くなっている。

そう言えば、今日は心配していた筋肉痛、平気みたい。夕べが一番辛かったかな。

とはいえ、歩きには影響はないけど、トイレは洋式が嬉しいです。

さて、いよいよ小夜の中山。西行が「年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」と歌った難所はいかばかり。

まずは久延寺。掛川城主、山内一豊が、関ヶ原の合戦に向かう家康を接待した茶室跡。家康手植えの五葉松。そして夜泣き石。昔、妊婦が山賊に殺されたが、お腹の子は助かり、久延寺の住職が水飴で育てたそうですが、殺された母の霊が石にこもって毎夜泣くので、読経して慰めたそうです。

寺の前にコミュニティセンターがあり、「命なりけり学舎」と書いてあるのが面白いと思いました。

その斜め前に扇屋。江戸時代創業の茶屋で、子育て飴を売っていますが、今日はお休みでした。

その向かいの小夜の中山公園に、西行の歌碑があります。すごく大きい切り株に見立てた歌碑で、大きいので回りをぐるぐる回らないと読めません。

また暫く行くと、小夜の中山一里塚がありました。

この道沿いには、小夜の中山に関する歌碑があちらにもこちらにもあって、いちいち写真を撮っていたので、かなりの数になったし、携帯のバッテリー残量にも影響が…

小夜の中山は、かなり時間がかかりました。

気持ちよく坂を下っているとき、初老の東海道五十三次歩きの人とすれ違い、挨拶しました。「今日はどこからおいでました?」と聞かれ、金谷から、と答えると、それはすごい、というような反応。「今日はよい天気だで、よかったですね」と言われ、「はい」とにこやかに答えました。あちらは上りだったので、話している間、休憩体勢でしたが、私はちょうど、少しピッチを上げかけていたので、足は止めずに挨拶しました。一旦足を止めると、戻すのが大変なんで、ゆっくりであっても足は止めない。

暫く行くと、プッシュー、シャーッと大きな音。何かと思ったら、茶畑にスプリンクラーで水が撒かれていました。

涼みの松、妊婦の墓、夜泣き石跡などを過ぎ、いよいよ七曲がりに突入。こわめし坂級で、さらに急カーブで。

坂を降りきる頃、国道1号線を見下ろし、どんどん下って、今度は潜り、日坂宿へ。

昔の面影を残した町並みで、屋号を書いた木の札が掛かっています。

本陣跡は幼稚園になっていました。

脇本陣の黒田屋、元旅籠の萬屋、明治になって日本初の郵便局のひとつになったかえで屋などがあり、かえで屋の裏にはトイレや蔵、それに芭蕉が生えていました。

土日祝日には公開されている、元旅籠の川坂屋は、今日はしっかり閉じられていました。

携帯のバッテリーがあと1になったので、小まめに電源を切るようにしました。

町外れの高札所跡は圧巻でした。

国道に出て、歩道橋で反対側に渡ると事任(ことのまま)八幡宮。かなり立派な神社で、巨大なクスノキと大杉がありました。

坂上田村麻呂が興したと伝えられ、願いが「ことのままにかなう」と評判がたって、賑わったそうです。

本殿前に記帳ノートがあったので、旅の記念に書いたら、何を願ったかも書く欄があり…

前のみんなの記入を見たら、大願成就、最善最良、家内安全、世界平和、中には以前願ったことがかなったらしく、ありがとうございました、と書いている人もいました。

わたしは…やはり前に書いている人がいたので、旅の安全、と書きました。

後半へ続く

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2008.11.05. そして、「どまん中」へ

2008.11.05.

東海道五十三次十三日目 後半 (日坂)〜掛川〜袋井

暫くは国道1号を歩き、バイパスをくぐり、自然に旧道に入り、歩いていたら、右側に伊達方一里塚。

ここで挨拶した地元のおじいちゃんが、「連れがいないじゃないか」と聞くので、「大丈夫です」とにこやかに返事しました。

また国道1号線と合流。少し行くと、また自然と旧道に入り、次に国道と合流してからは、当分国道歩き。

お腹がすいた〜。たこ焼き、ハンバーガーショップがあったけれど、座る場所がない。トラックの運転手などが買って車の中で食べていました。

私はやはり座って食べて休憩したい。

その先にとんかつの店があったので、そこに入ることにしました。

ランチタイム2時まで、と書いてあったので、時計を見たら、14時10分。残念。

豚カツよりもチキンカツの方がさっぱりしているかな、と思って、チキンカツ定食を頼みました。

チキンカツが大きくて、ウドンがちょっと付いていて嬉しかったのですが…

油も問題だし、口に合いませんでした。

失敗した。

歩く途中でソイジョイをいつか食べて、パサパサで閉口して、歩くときにはなめらかな物を、と反省したことがありましたが、今回は、こんな油っこいものを途中で食べるべきではない、と反省。この後、胸焼けというより、胃もたれして、歩いていて気分が悪くなりました。

さて、道はその先、成滝で国道と別れてやや静かな道へ。

葛川一里塚を左に見て、その先、新町七曲がりを探したのですが、どこで曲がるのか分からないまま進んでしまいました。

ちょうど分岐ごとに下校の中学生が渡ってきては左に入っていくので、たぶんそれで、見逃したんだな。

これ、絶対来過ぎた、もうこの辺、掛川駅じゃないか、と思う辺りで曲がってみたら、ピッタリ掛川駅に着きました。

この時、15時10分頃。

さあ、ここが運命の分かれ道。今日は掛川までとして、戻って七曲がりをやり直したり、掛川城を見たりするか…

いやいや、足を伸ばして、東海道どまん中、袋井を目指すために、七曲がりは諦めるか…

いっくら旧東海道にこだわっても、今となっては昔の道は歩けなくてずれているところもあります。

それならば、細かいところ、あそこを歩かなかったのだから、いくら京都まで行っても、制覇とは言わない、なんてことは誰も言えませんよね。だって、みんな橋を渡るでしょ。昔は自力で徒(かち)渡りか、人足に渡してもらうかだったし、今の橋と当時の渡し場はズレている。

宇津ノ谷峠は地滑りで昔の道は歩けないから、今の山道は少しズレている。

歩きたくても工事中で立ち入り禁止の所もあった。

と言うわけで、本日は新町七曲がりは無視して、袋井を目指すことにしました。

連雀沢野屋本陣跡、円満寺の門、常夜灯を見て…残念だったのは、平将門十九首塚を見落としたこと。歩くピッチに拍車をかけて、ターボスイッチ入ってたからなあ。

今日は、昼食前までは、小夜の中山越えで速度が遅かったから、いつもだと時速4.8kmぐらいなのに、今日は時速4.4kmぐらいで、「おそっ」と思っていたのに、掛川から袋井まで頑張って飛ばしたため、袋井に着いてから見た、今日の平均時速は5.05kmで、その前が遅かったことを考えると、かなり速く歩いたことになります。

掛川からの道、逆川を渡り、その先の二瀬川で国道にぶつかり、しばらく国道を歩き、倉真川を大池橋で渡ってすぐ、国道と別れて左へ。

天竜浜名湖鉄道のガードをくぐり(左上に西掛川駅が見えます)、暫く行くと、左に大池一里塚跡。

その先、歩道がなくなり、結構交通量が多くて、注意が必要。

国道1号をくぐると、T字路になってしまい、本の地図は直進になっているので困ったけれど、右はあり得ないので左に曲がって少し歩くと右に入れる道があり、なるほど、この程度なら地図上ではまっすぐ、にかかれちゃうんだな。

その先、今度は東名高速道路をくぐり、ちょっと先に善光寺があり、東海道の真ん中にあることから、仲道寺と呼ばれています。

また、その先、原川の松並木を見ながら突き進みます。

間の宿原川の看板を見て、その先、同心橋を渡る時は、手前の四つ角で向こうに渡りますが、地下道を通って渡るか、道の手前から渡るなら、二回信号を渡ります。

太陽がもうすぐ沈む。昨日も川を渡ったのはこんな時刻でした。

同心橋を渡り、左へ行くと、道がぐるっと回りながら下っていき、すぐ下に、花茣蓙公園があって、トイレがあり、東海道どまん中袋井まで4.2km、と書いてあり、まだまだ遠い。

さらにぐんぐん歩いていき、松並木のあたり、土塁の下の歩道をグイグイ。

ここだと自転車も来ないから、飛ばせました。

17時のチャイムが鳴りました。曲は「家路」。

昨日の金谷の17時のチャイムは「峠の我が家」だったなあ。

暫く行くと、左に妙日寺、その先、東袋井小学校に一里塚。

東袋井小学校の門に、「東海道五十三次 どまんなか東小学校」とあったのを写真に撮ろうとしたら、電源を消したりつけたり、だましだまし使ってきた携帯のバッテリーがいよいよ切れてしまい、まず携帯を電池式の緊急充電器で復活させ、9月13日の東海道五十三次始めの一歩の日に撮って以来リュックにしまいっぱなしだった、使い捨てカメラを取り出してどまんなか東小学校の看板の写真を撮りました。

暫く行くと、国道1号線に出ました。

ここで再び国道と別れて左斜めに入っていくのですが、暗いせいで道が分からなくなりました。

うろうろ迷って、交差点名が「和橋北」だったので、地図を見たら、かなり南に来すぎていたので、北上してうろうろしている内に、どまん中茶屋にたどり着きました。

どまん中茶屋の前を箒で掃いているおじいさんがいて、私が使い捨てカメラでどまん中茶屋の写真を撮っていたら、「撮ってあげましょう」と、私がどまん中茶屋の入り口にいる写真を撮ってくれました。

中に入ってリュックをおろして座ったら、おじいさんがお茶を入れてくれました。

私はてっきり、どまん中茶屋って、団子などを有料で食べる店だと思っていましたが、どこにもメニューがなく、おじいさんは梅干しや漬け物やおつまみ煎餅などをずらりと並べてくれたので、梅干しをいただきました。

おじいさんが、袋井の案内チラシと、東海道400年記念に作られた、袋井今昔の巻物をくれたので、チラシに載っているどまん中茶屋のところを見て、ここは無料休憩所で、地元の方がお茶を出してくださることが分かりました。

テレビで、あの天才作曲家TKが逮捕されて車に乗せられているニュースをやっていました。

おじいさんが小夜の中山は怖くなかったか聞いてきたので、昼間の明るい時間だったから、と答えたら、おじいさんが言うには、金谷から来ると明るい内に小夜の中山を越えられるからいいが、こちらから行くと、小夜の中山で暗くなる。みんな箱根や鈴鹿は難所であることを調べて行くが、小夜の中山が箱根や鈴鹿に匹敵する難所であることを知らないで怖い目に会うのだそうです。

私も小夜の中山は西行が「命なりけり」と歌ったことを知っていただけですが…

そう言えば、私は気持ちよく風と日差しと茶畑を堪能して楽しく歩いたけれど、茶畑の中の道、街灯が一本もなかった。人家も扇茶屋以外何もなかった。暗くなったらさぞかし遠くて怖いだろうなあ。

鈴鹿越え、一人で大丈夫かなあ。

mixiの東海道コミュニティで、女性一人旅は、峠越えは避けて隣接する国道を通る。ブログやmixiに詳しい日程は前もって発表しない方がいい、と書いてありました。

私はいつも急に東海道行きを決めるから、たまたま書いていなかったけど、これからも気を付けよう。鈴鹿はなんとか長女を口説き落として、もう一度二人旅したいなあ。

どまん中茶屋のおじいさんは、私が今日は帰る、と言ったら、「じゃあ、次に来るときは、また袋井に来るのでしょう。木造の常夜灯は是非見てください」と教えてくれました。

記念の記帳をして、おじいさんに駅への行き方を教えてもらって、どまん中茶屋をあとにしました。

旧東海道を進んで本陣前を通って、宿場公園のある信号の所を左に曲がってまっすぐ行けば、15〜16分で袋井駅。

18時29分発の沼津行きに乗り、混んでいたので立っていましたが、掛川で座れたので、簡易充電器で復活した携帯で今日撮った写真の整理をし、日記の下書きを始めました。

静岡で東京行きに乗り換えました。来たときと同じ、特急車両なので気持ちいい。

地元駅に着いたら22時少し過ぎ。

夕飯を食べていなかったので、モスへ行ってずっと日記の下書きを書いていました。

途中までしか書けなかったけれど、23時半に家に帰りました。

本日の総歩数、47,679歩、歩いた距離は34.3km。お疲れ〜♪

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2008.11.10. 雉も鳴かずば撃たれまい〜コイキングレベル100!

2008.11.10.

東海道番外編  補遺の小さな旅Ⅰ 神奈川台の坂〜保土ヶ谷&戸塚益田家〜戸塚駅

今週は休みが多いのですが、毎晩用事が入っていて、東海道五十三次歩きの続きで袋井までは行けないので、今までの東海道ウォーキングで、道を間違えたり、写真を撮らなかったり、心残りだった辺りを再訪する、小さな旅を企てました。

今日行ってきたのは、神奈川駅から保土ヶ谷までと、戸塚の益田家(巨大もちの木がある屋敷)から戸塚駅まで。

曇って11月末〜12月初旬の気温という寒い日でした。

午前中は銀行へ行ったり、やることもいろいろあり、昼をすませて電車に乗り、京急神奈川駅に降り立ったのは12:28。

トイレで身支度(コンタクトレンズを入れたり)を済ませ、歩き始めたのは12:36。

まず青木橋で線路を渡り、少し左へ行ってから、国道1号線及び県道83号線と分かれ、右に曲がって旧東海道を進みます。

この辺りは☆紗的東海道五十三次ウォーキング二日目、9月16日の夕方に歩いています。

すぐに上り坂。広重の絵にも描かれた台の坂。広重の絵だと、坂のすぐ左が海になっていて、当時は京急や東海道線の線路も県道も国道も、海の底だったことが分かります。また、その広重の絵には、台の茶屋と呼ばれる茶屋が建ち並んでいます。当時の面影は薄れ、界隈マンションが建ち並んでいますが、滝川と田中家の二軒が今も料亭として営業しており、滝川の壁には広重の絵のレリーフが埋め込まれ、田中家の前にも説明の看板があります。

前回、滝川の写真は撮ったのですが、田中家は撮らなかったのが心残りだったので、今日はしっかり撮りました。

田中家は広重が描いた当時は「さくらや」という名前でした。建ち並ぶ茶屋の中で、なぜさくらやだけ名前が書かれているかは、由比の広重美術館に行った私には分かります。浮世絵は、広告も兼ねていたのです。つまり、さくらやは広重に広告料を支払って、それで広重は東海道五十三次の絵の茶屋の中で、さくらやだけ名前を書いている、という訳なんです。

田中家の歴史でもうひとつ特筆すべきことがあります。坂本竜馬の妻だったおりょうさんが中居として働いていたのが、この田中家だったそうです。おりょうは客あしらいもうまく(泥酔した客をうまく帰したり)、勉強家で英語にも堪能で、外国人の客にも喜ばれていたそうです。

しかし、おりょうは母も弟も亡くし、天涯孤独の身で、次第に酒に溺れて茶屋の女将も困っていたそうで、そんな折り、横須賀の商人西村なにがしと意気投合し、当時37歳だったおりょうは横須賀へと嫁いでいきました。おりょうが辞めた後も、馴染み客が「今日はおりょうはいないの?」と度々聞くので、中居たちが「なによ!」と嫉妬した、という逸話も残っているそうです。

看板にはおりょうの話しか出ていませんでしたが、田中家は権八茶屋とも呼ばれているそうで、歌舞伎などの鈴ヶ森で有名な白井権八(本名は平井権八)がとろろ汁で飯を十杯も食べたという逸話もあるそうです。

東海道五十三次歩きの初日に通った鈴ヶ森。雲助に絡まれ、正当防衛とはいえ、雲助殺しをした白井権八を髭題目の碑の前で、「お若えの、お待ちなせえ」と呼び止めた江戸の剣客、幡随院長兵衛。白井権八の「雉も鳴かずばうたれまいに」も合わせて名台詞の一場面。実際には、幡随院長兵衛は平井権八が生まれた頃には既に殺されているので、二人が出会った事実はないようです。

道はこの先、暫く前回の通りで「あ、ここは見覚えある」と楽しく見ながら歩きました。

坂は、前回来た時、きつく感じたのに、東海道を半分まで歩いた今日(こんにち)、幾多の難所を越えてきて、台の坂など屁のカッパ。

実は、東海道の最初の難所が権太坂と聞いた時、台の坂は?と思ったのですが、歩き慣れていた江戸時代の人にとって、台の坂はなんでもない坂だったのでしょう。

道はこの前間違えた立体交差の壁に突き当たります。私は「ここが間違えるポイント」として写真にまで撮ったのですが…

さらにまた危うく間違えかけてしまうという因縁の立体交差!と思ったのですが…

実はその先、浅間神社下で東海道案内地図を見たとき、そもそも、その前から私が間違っていたため、二重三重に間違いを重ねただけで、ちゃんと旧東海道を歩いてくれば、間違えずに来れたはずであるという事実を知り、かなりショックでした。

正しい旧東海道ルートは、台の坂からまっすぐ歩いて来ると、やがて左前方に高速道路の高架が見えてきて、道はやや左前方に向かって県道83号線に合流。県道83号線を暫し歩き、浅間下の交差点を渡った右角に交番があり、その辺りから県道の一本右側の道に入る、というのが正道で

、そこを進めば浅間神社の下の旧東海道案内板に出ることが出来るのです。

私は左前方に高速道路の高架が見えてきた時、敢えて県道を避けて公園沿いの静かな道こそ旧東海道だと思って、一本北側の道を進んだ結果、立体交差の壁に突き当たったのです。

でもきっと、私と同じ間違いをする人は結構多い、と私は思うので、その場合の対処法を書きます。

立体交差に突き当たったら、左側から道を渡ります。

目の前にロウソンがあり、ロウソンの右側の道に入ってはダメ。ロウソンを見ながら左に進み、浅間下交差点の交番があるので、交番の裏手、県道の一本右(北側)の道に入れば正式ルートです。

転んでもただ起きない。私は道を間違えて得したこと、たくさんあります。道を間違えたおかげで食べるところがあったり、トイレがあったり、面白いものを見たり。

浅間神社の階段を上りかけた時、ツツツ、と案内板に寄ってきて写真を撮っている、リュックを背負った若者を見掛けました。東海道ウォーカーに違いない。

番外編を歩いている私は、今日は東海道ウォーカーとは話したくない気分。というより、初日の日本橋や品川辺りでは、東海道ウォーカーと関わり合いたくなかったのを思い出しました。大磯あたりからやっと旅人気分になれたけれど、自分の生活圏だと、ふらりと散歩してます、と言いたかったのかも。京都まではあまりに遠すぎて、東海道を歩いています、とは恥ずかしくて言えなかったのかな。

でも、今日は既にどまん中、袋井まで行っているのだから、いいじゃない。いやいや、袋井まで行った人が、なぜ神奈川にいるのか話すのも面倒くさいし、今、この辺りにいる人、ビギナーに対して先輩風吹かすほど、達人にはなっていない。しょっちゅう道を間違えるし。

浅間神社の境内には幼稚園があって、幼稚園の先生に「こんにちは」と挨拶されたので、私もこんにちは、と返しました。不思議なのは、園庭や境内で遊んでいる子どもたちがほとんどみんなフエルトの園帽を被っていること。夏は日除けとして被ったと思いますが、うちの子達が幼稚園に通っていた頃は、フエルトの冬帽は通園用で、園に着くと脱いで鞄と一緒にロッカーか帽子掛けかに納め、園庭で遊ぶときには被らなかった。庭での泥遊びの激しい幼稚園だったから、フエルト帽を汚さない配慮かな。

でも、ここの幼稚園では、外に出るときは帽子を被りましょう、と指導しているんだね、きっと。

浅間神社を過ぎると、洪福寺松原商店街はすぐでした。

前回道を間違えてすごく遠回りして山越えして来たのに、正しい道ならこんなに近い。

商店街は活気に溢れていました。道までせり出して野菜を売る店に、人だかりがしていました。

この前は夜通った商店街を昼間通ると、また違った印象です。

帷子橋(現在)を渡るとき、川の鯉に餌付けしているおじいさんがいて、ひょいと見ると、全長1メートルはあろうかと思われる巨大な鯉がいてびっくり。怖いぐらいの巨大鯉です。(コイキングレベル100か?)

天王町駅を通り抜け、昔の帷子橋が公園にあるのを見て、この前は暗い道をビシバシ歩いた道をのんびり歩いて保土ヶ谷へ。

今日は万歩計も忘れてきたし、靴もスニーカーに履き替えるのを忘れて普段の靴を履いてきてしまったので、足に負担がかからないようにあまり速くは歩けませんでした。

保土ヶ谷に着いたのは14時11分。電車で戸塚に移動したのですが、戸塚から保土ヶ谷行きのバスに乗ったので、逆に保土ヶ谷から戸塚行きのバスに乗ればよかったな。

戸塚駅ではバス待ち時間が長く、寒かった。

ポーラ前で降りたのは15時頃。道を渡って左側を歩きました。

この前、(9月18日)ソイジョイを買ったコンビニ。そのすぐ横が、広い土地の真ん中にポツンと蔵だけある不思議なところ。

もう暫く進むと巨大なもちの木がある益田家のお屋敷。

その先を左に曲がって国道1号線と分かれて旧東海道を歩きます。

右側に斎藤家の赤レンガの蔵。隣が斎藤家の土蔵と家、その隣が斎藤肉店で、その隣がミートショップさいとう。

少し進むと、前回道を間違えた橋に出ます。

今回は道を間違えないぞ、と橋の手前で右に曲がって国道1号線に戻りましたが、歩道が狭くて歩きづらかったので、橋を渡ってから川沿いの道を右に進んで国道と合流した方がよかったと思いました。

道を渡って右側を歩きました。右にはブリジストン横浜工場。その先に、ダイエーがあり、その隣のステーキファミレス、フォルクス前に江戸方見附跡がありました。

道を渡って左を進み、寄り道になりますが、妙秀寺へ。

妙秀寺の境内に、広重が戸塚宿の絵に描いた「左りかまくら道」の碑が保存されているとのことで、見に行きました。

写真にも撮りましたが、石の上半分が欠けていて、「くらみち」が読めます。

広重の戸塚の版画では、右にかかる橋は吉田橋。そのたもとに「左りかまくら道」の碑。絵では「かまくら道」残っている碑は「くらみち」…本当にこれなのかなあ?それとも広重が絵の中の構図の問題で「みち」を「道」と脚色したのかなあ。

東海道に戻り、少し先に戸塚一里塚跡。

その先、今の吉田橋を渡ると、橋の途中、三ヶ所橋の壁がくの字に窪んでいて、真ん中を除く二ヶ所に戸塚に関係する絵が描かれていました。道の反対側はまた違う絵なのかどうかは確認しませんでした。

また暫く歩くと、戸塚駅方面へ曲がる角の一軒隣の矢部の湯…前回、夕暮れに明かりが浮かび、東海道歩きの最後に銭湯に入りたい、と思いながら、あの日はその後ダンスレッスンで時間の制限があったために断念しましたが、今日こそ入ろうと思っていたのに、今日は定休日なのか、鉄扉で閉ざされていました。残念。

曲がると戸塚駅ですが、そうだ、前回の三日目で戸塚駅まで歩き、四日目で戸塚駅から歩き始めたけれど、実は矢部の湯付近から戸塚駅北の大踏切までは歩いていないことを思いだし、せっかくの補遺の旅なんだから、大踏切を渡ることにしました。

大踏切は開かずの踏切?かなり待たされました。

そして、この前も思ったけれど、再開発中の戸塚駅周辺は訳が分からない。買い物をしたかったので、駅ビルをうろうろしてから、家路へとつきました。

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2008.11.17. 「二人旅は楽しいよ」熱烈アピールキャンペーン

2008.11.17.

今日は東海道番外編補遺の小さな旅の二回目。

長女も誘って、箱根板橋から箱根湯本までを歩きました。

私が小田原から箱根湯本まで歩いた日は雨だった上、もう夕方で真っ暗。

旧東海道の入り口も分からず、ひたすら国道を歩きました。

そこで今日は、あの日は歩かなかった旧東海道をたどり、また、暗くて何も見えなかったところを、いろいろ見てきました。

さらに、せっかく箱根へ行くのだから、オプションとして強羅まで足を伸ばして紅葉を見て、日帰り温泉に入ってきました。これは長女を誘うための、プラスのお楽しみです。

実は、長女は10月の6〜8日、2泊3日、一緒に東海道を歩いたのですが、もうこりごり、と今後の同行を断られてしまったのです。

でも、箱根越えは二人だからよかったけれど、宇津ノ谷峠は怖かったし、小夜の中山は明るい時間に通ったからよかったけれど、夕方は怖いそうで、この先、鈴鹿峠に一人で行くのは怖くて、なんとか長女に同行してもらおうと思い、今日は晴れた日にゆっくり歩くと楽しいよ、ということをアピールし、さらにお楽しみの時間も作って、なんとか鈴鹿峠に一緒に行ってもらうための心の準備会をやってみたわけです。

長女も、「鈴鹿峠は一人では怖いから、一緒に来てほしい」と話すと、必要とされたことに悪い気はしないらしく、やや行く方向に傾きつつあります。

そんなわけで…今朝は、7時35分頃家を出ました。

曇りと思っていましたが、晴れて気温も結構上がってきました。

大船からは普通電車ですが、踊り子号の車両に乗れるてラッキー。

小田原に着いて、駅構内のカフェで朝食。

それから箱根湯本行きの電車に乗って、ひとつめの箱根板橋で降りました。

コンタクトレンズを入れたり、身支度を整えて歩き始めたのは9時半過ぎ。

箱根板橋辺りの旧東海道はこの前も歩いたのですが、暗くてほとんど見えていなかったので、素敵な蔵や、宿場町らしい格子の家などを見ることができました。

板橋地蔵尊は、この前は暗い中、ここに板橋地蔵尊があるな、と認識しただけに終わってしまいましたが、今日は境内に上がって、まだ黄葉していない銀杏を見てきました。

一旦国道と合流して…

この後、前回は真っ暗だったので、私はずっと国道を歩いていったのですが、今日は板橋から国道と合流して暫くは国道を歩き、小田原厚木道路をくぐったらすぐに踏み切りを右に渡ると旧東海道。

踏み切りを渡ってすぐの右角に、日蓮上人の史蹟がありました。

旧東海道を歩いている内に、右側に長興山紹太寺の入り口。昔は巨大な伽藍と寺域を誇る大寺院だったそうです。春日局(三代将軍家光の乳母)所縁の寺、と書いてありました。また、稲葉氏歴代藩主の墓や樹齢300年の垂れ桜などがあるそうです。

長女がトイレに行きたいと言うので、入生田駅に寄って、駅構内にしかトイレがないので、駅員さんにお願いして長女だけトイレに行かせてもらいました。

待っている間、待合室に飾ってある、箱根登山鉄道の四季折々の絵を眺めていました。

また、強羅公園の割引券があったのでもらってきました。

入生田駅の少し先で線路を渡り、国道に出ます。歩道が階段を上がって車道を見下ろす高台にあり、面白いなあと思いました。

その先、ENEOSの裏を通りますが、ここはこの前、雨の中、暗い国道を歩いてきたら、ついに歩道がなくなり、このガソリンスタンドで道を聞いて、ガソリンスタンドの裏に旧東海道があるのを教えてもらった、あの場所でした。

あの日は街灯もほとんどない真っ暗な道で怖かったのですが、そして、すごく長く感じた裏道でしたが、今日はすぐに再び国道に出ました。

国道に出たところの草むらの中に、山崎古戦場の碑がありました。

この前は、そのまま国道の右端…元は車道だったのを、工事中で暫定的に歩道になっているところを歩きましたが、今日は山道の入り口みたいな歩道の入り口から坂を上り、またもや車道を見下ろす歩道を歩きました。

この歩道、長女と一緒だったからよかったものの、一人だったらかなり怖かったかも。

以前はこれが正規の歩道だったと思われますが、今は車道の一部を歩道として開放してあるため、この夏、上の歩道を通る人がいなかったせいで、薄やら、何やら草ぼうぼう。

この先どうなってしまうのか心細くなってしまう歩道でした。

長女と二人だから楽しかったけれど。

このエキストラ歩道の終点は左側に渡る歩道橋にも繋がっていて、もう暫く右側を歩いていってもいいけれど、結局は三枚橋の先で右側には歩道がなくなるのを知っていたので、歩道橋を渡って左側に行き、石畳を意識した歩道を歩いていきました。

やがて左に早川が見えてきて、この前渡った三枚橋を通りすぎて箱根湯本に向かいました。

前回暗くてよくみえなかった「箱根町へようこそ」の寄せ木細工のモニュメントがきれいでした。

この後、ちょうど紅葉が見頃の強羅公園へ足を伸ばし、温泉にも入ってきました。

長女は、鈴鹿峠越え、一緒に来てくれるかなあ?

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