2009.01.13.の2 遠い寄り道
2009.01.13.の2
車が走る道に出ると、歩道がないので、車が来ると避けながら歩きましたが、車はそれほどは通りませんでした。
日はさしているのに雲が低く多く、独特の凄まじい空模様。
左側に貯水池があるようなので、わざわざ土手の小さな階段を上ってみたら、枯れ草の広がる広場(一部駐車場になっている)で、貯水池はさらに広場の先の土手の向こうらしく、案外遠いので、覗くのはやめて、道路に戻りました。
白鳥橋を渡ると、左に加佐登神社。鳥居を入ってすぐの左側に高宮資料館がありましたが、閉まっているみたいでした。
参道の階段をどんどん上っていくと、りっぱな境内に出ました。
駅にトイレがなかったので、これだけりっぱな神社なら、と思い、探してみましたが、見当たらない。
加佐登神社の祭神は、日本武尊と天照大御神で、ヤマトタケルが亡くなる直前まで持っていた笠と杖が奉納されているとか。
ヤマトタケルが能褒野で亡くなり、白鳥になって飛んでいった、という伝説から、白鳥陵は、琴弾原(御所市)、旧市邑(羽曳野市)など諸説ある中、この加佐登の白鳥陵がヤマトタケルの墓である、と定説になっていたのが、明治になって、能褒野神社の丁子塚がヤマトタケルの墓である、と宮内庁が認定したそうです。
私は、この加佐登の白鳥陵(しらとりのみささぎ)、好きなんだけどなあ。
天皇ではなく、皇子の墓を陵と呼ぶのは、例外的にヤマトタケルの墓だけなんだそうです。
神社の裏手から、白鳥陵への道があり、少し歩きます。
「白鳥陵」の石碑の脇から階段を上ると、1メートルぐらいの石柱が等間隔に並んでぐるりを囲んでいる円墳があり、正面の二本の大きな柱には、しめ縄と紙幣が張られていました。
白鳥陵は、東西78メートル、南北59メートル、高さ13メートル、という規模の円墳。三重県内最大の円墳だそうで、小山という感じです。
神社の由来書から抜粋すると…
ヤマトタケルは東征の帰り、伊吹山の戦いで傷つき病んで、動かぬ体を引きずって能褒野にたどり着き、遥かに大和を望んで、短い生涯を終えたと伝えられている。
大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和しうるはし
来るときは神社の右脇奥から回ってきましたが、下りるときは、陵のまっすぐ下の鳥居をくぐって、参道をそのまま下りてみました。
すると、公園のようなところに出て、金網塀の向こうに車が結構通る道路があり、その向こうに貯水池が逆光で光っていました。
再び加佐登神社の境内に戻った時、今度はトイレを見つけました。助かった。
加佐登駅方面に戻り、民家の間の道を歩いているとき、地図で見ると、実線の細い道を行くと、かなり駅への近道があることがわかり、白鳥中学の脇の道へ行ってみました。細い道だと、民家で行き止まりにならないかと不安になりますが、道は急勾配に下っていき、幼稚園で行き止まりかと思いきや、グルッと折れ曲がって駅方面への道まで下りられました。
下りた地点から、目の前の踏切を渡って工場の脇をまっすぐ進むと、次の交差点が庄野宿の入り口です。庄野宿の入り口には14:35着。(白鳥陵への寄り道は1時間15分もかかったわけです)
宿場の入り口に、連子格子の家が何軒かありました。まだ玄関に正月の飾りをつけている家が多く、この辺りは小正月までつけている風習なのかな。
空は晴れているのに、頬に雪が当たるので、狐の嫁入りなのか、風花なのか…
庄野宿資料館が小林家跡に作られていて、公開されているようですが、今日は休館のようでした。
右に本陣跡。暫く行くと、高札場跡の古い看板。他の案内や碑が、東海道制定400年記念に平成16年に作られた中で、この高札場跡の看板だけが字が読みにくくなるほど古いものでした。
庄野には三つの式内川俣神社がありす。ひとつめの川俣神社には、県指定天然木のスダジイがありました。樹齢300年。立派です。
宿外れまで、15分で来てしまいました。
その先で国道に出て、前を横切る車道の橋への上り坂の下をくぐり、すぐ右に曲がります。しかし、JUSCOの看板の立つ小さな空き地を巻くようにした、冗談みたいなカーブで国道に戻るみたいで、本当に「何の冗談?」と思いきや、国道をくぐるトンネルに入って、国道の向こう側に出る、という寸法。
風が冷たいので、帽子を被りました。
宿外れから14、5分歩くと、左に「従是東神戸領」(これよりひがしかんべりょう)の碑と女人堤防の碑。
もうしばらく歩くと二つ目の川俣神社と中富一里塚跡。
もう12分ほど歩くと三つ目の川俣神社で、その先すぐに安楽川に突き当たり、左へ行くと、右に和泉橋が見えてきて、それを渡るのですが、川風が強くて寒い。
和泉橋を渡るとすぐに右に曲がります。
静かな民家の間の道。大分降ってきたので傘をさしましたが、すぐにやんでしまいました。
旧国道に出て、踏切を渡り、道は左にカーブ。右に並行している国道1号線が見えたので、そっちに曲がってまっすぐ行けば能褒野神社だと思い、寄り道をしたのですが…これが遠い寄り道になりました。
国道を歩道橋で渡り、さらにまっすぐ進み…私はその先1kmぐらいだと思って行ったのですが、この辺りの筈、と思った辺りにはない。
更に進むと国道にぶつかり、来すぎてしまったので戻りましたが…
地図によると、中学のある道の反対側辺りなので、とりあえず曲がって見ました。
その先にバス停があり、バス停の路線図を見ると、多分この先らしい。川崎という地名発見。先日は横須賀がありましたが。
こっちの方、と当たりはつけたものの不安だったため、道端で話し込んでいた二人のおばあさんに、「この近くに能褒野神社はありますか」と聞いてみました。
「能褒野神社なら、真っ直ぐ行って、橋を渡ったら左にあるよ。すぐ分かる」…この時に前述の筋肉ウーマン事件?がありました。
こうして道はわかったものの、何故にこんなに遠かったのか…
分かりました。能褒野神社は本の地図からはみ出たずっと先だったんです。本の地図には、よく見ると「能褒野神社」の字の横に△マーク。地図からはみ出た△の先にあるよ、という印だったんですね。地図からどれくらいはみ出ていたのか、よく分からないけれど、1キロぐらいと思っていたのに、2倍以上、遠い遠い寄り道になってしまいました。
能褒野神社は昼なお鬱蒼と暗い境内なのに、着いたのは16:27。薄暗くなってきました。
せっかく来たんだから、ヤマトタケルの墓を見なくては。
「日本武尊墓参道」という石柱の先にあるのだろうと当たりをつけて曲がってみましたが、森の外に出てしまいました。
森に沿って農道を歩いていたら、上っていく階段があったので、案内もないけれど、とにかく上ってみたら、階段の突き当たりの鉄柵の塀の向こうに白い鳥居があり、その奥の森がヤマトタケルの墓でした。神社に書かれていた名称は「能褒野王塚古墳(景行天皇皇子日本武尊能褒野墓)」でした。
階段を下りて見渡すと、さっき渡ってきた橋に戻る近道を見つけたので、少し時間を稼げました。
橋からは、来た道をひたすら戻りましたが、駅すぱあとで調べたら、井田川駅17:09の次は17:30になってしまう。
今夜の宿には17時頃行きます、と言ってあるから、出来れば17:09に乗りたい。
頑張って歩きました。本はバッグにしまって、腕を肘から少し曲げていっぱい前後に動かして、競歩体勢で頑張りました。
井田川駅には、17:06に着きました。よかった。17:09に乗れました。5分で亀山着。
今夜の宿、坂本旅館は、駅の真ん前でした。
本日の総歩数は25,695歩。歩いた距離は18.5km。時速5.34km。
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