2009.01.14.の2 東海道ウォーカー憧れの…
2009.01.14. 東海道十九日目 後半 小坂井〜小田渕(吉田)
三重県亀山市の関宿を昼過ぎに出て、愛知県へ移動。
飯田線小坂井(こざかい)駅に降り立ち、前回まで歩いていた東海道の続きを歩きました。
鈴鹿や亀山は雪をまとった高い山が見えていましたが、ここいらの山は低くて、空の感じが全然違います。
小坂井駅着が15:18。駅前で少し迷い、親切な地元の方が声をかけてくれて教えてくれたのに、渡る踏切を間違えて、また少しうろうろしてしまいましたが、なんとか旧東海道に出ました。
左側に伊奈村立場茶屋跡、15:40。
右に太郎太鼓店、15:44。
豊川市に入ったのは15:52。
川を渡り、少し行くと右側に冷泉為村卿の歌碑がありました。
その先で左に曲がり、名鉄の小田渕駅へ。
体力的には、あまり歩いていなくて、まだ明るいし(日が大分伸びてきました)、もう少し先まで歩きたかったのですが、予約してある宿に「17時までに入ってください」と言われていたので、歩いていたら間に合わないため、やむなく小田渕駅から電車に乗りました。小田渕から名電赤坂まで220円。
小田渕駅16:17発に乗り、名電赤坂駅に降り立ったのは、16:25。赤坂宿の大橋屋旅館を目指しました。
大橋屋は芭蕉も泊まった、300年の歴史のある旅館。東海道ウォーカーの憧れの宿です。大橋屋着16:38。
大橋屋は一日に二組しか客をとらないそうで、今夜は私一人きりでした。
江戸時代そのままと聞いていたので、襖で仕切られた隣の部屋とのセキュリティは?…もしや女性同士なら相部屋もあり?…暖房は?…などの疑問がありましたが、襖で仕切られた隣の部屋が空いていても、隣には泊めない、だから一日二組まで、ということなのです。
また、私はトイレが近くにあり、エアコン付きの新館(と言っても十分に古いです)に泊まりましたが、江戸時代からの古い客室は、文化財だからエアコンを取り付けてはいけないそうで、なので、旧館には、夏と冬には客を泊めないそうです。トイレも下まで行かないといけないし。
宿のご主人に、江戸時代からの二階に案内してもらいました。
今は3部屋ですが、昔は向こうにもう4部屋あったそうで、近所の火事の貰い火で4部屋を失いましたが、奇跡的にこちらの3部屋が無事だったそうです。
ここの特徴は、二階の格子が、よくある千本格子或いは連子格子のような細かいものでなく、荒いこと。普通、格子を細かくするのは、外から中が見えないように、なのですが、大橋屋の格子が荒いのは、工夫があるのです。
ひとつは、格子と部屋の障子の間に一段高い幅30センチぐらいの欅材の縁側があり、そのために、外から中が見えにくい。
街道沿いの旅籠は二階がなかったり、一階建てに見せかけた二階屋が多かったそうで、それは外を大名行列が通った時に、上から見下ろすのは失礼なので、二階を作らないところが多かったそうで…大橋屋は、一段高い縁側で奥まった分、外から中が見えない、また、縁側近くの天井が急傾斜で低くなっていて、それは外の軒に繋がっているのですが、軒が急傾斜で深いため、外から中が見えにくい。だから、二階にいて仕事をしたままでも、大名行列をやりすごせたそうです。本来は下に下りて、土下座しなくてはならなかったのに。
その一段高い縁側ですが、実はこれは床の間代わりのもので、そのため、障子が両縁になっています。普通の障子は、片面縁(桟)で、もう片面は障子紙ですが…。外側の縁は取り外せます。そうじゃなければ、障子紙を貼れませんよね。
また、床の間らしい洒落で柱も太く、上がわざと切ってあって、柱と天井の間に柱のない壁の部分があります。でも、それでは柱としての役目を果たしていなくて、天井を支えられないのでは?と思うけれど、実は見えない内側に、三部屋通しの丸太が通っているそうです。
また、部屋が七畳間(縁側の方の二枚の畳が縦半分の半畳のため)という作りだし、その他にも面白いところが何点か。
玄関入ってすぐが二階までの吹き抜けになっていて、横に渡してある大きな木が、わざと曲がりくねった木を渡してある。それがおしゃれで格が高かったらしい。ところが、その変則的な横木のせいで、ひずみが建物の端に現れる。二階の部屋の障子の幅が、狭かったり広かったり、それぞれの障子で大きさが違うのです。
先程の横木から、昔は鎖を吊るして、大きな囲炉裏があったそうで、囲炉裏の煤で、二階の天井もきれいに真っ黒になっています。
二階上がってすぐの天井が低いので、頭を打たないように言われましたが、いくら江戸時代の人は背が低かったとしても、これはあまりに低いのでは?なんだってこんなに低いのか?と質問してみました。
すると、階段上がって正面に、今は物置にしているけれど実は水屋があって、ここでお茶を点ててお客様にお出ししたそうで、茶室の「にじり」の作りで天井が低いのだそうです。
客室の一番奥の部屋も茶室仕立てで、奥行きの狭い床の間、壁障子、欄間の三点を備えています。
廊下は三部屋にしては広く、これは昔は七部屋あったからで、今の一番奥の部屋の壁側辺りが昔は中央で、今は屏風で隠してある壁に扉があって、今で言うリフトで料理を二階に上げて、ここから両方の部屋に料理を運んだため、廊下が広いのだそうです。
一階に下りて見上げると、壁の上の方に二台の籠が壁の棚に嵌め込まれていて、その横に食べ物リフトの箱がありました。
説明のお礼を言って、来た時はまだ宿に明かりが点っていなかったので、明かりがついた大橋屋はきれいだろうと思い、外に撮影に行きました。案の定、すごくきれい。
来たとき、古い大きな提灯に何が書いてあるのか分かりませんでしたが、「御宿所」と書いてありました。
お風呂は檜の丸い桶の風呂で感激。
夕食はとても美味しく、とくに山芋の味噌かけと、ムカゴをふかしたものが美味しかった。
部屋の床の間には、芭蕉の句の掛け軸が掛かっていました。
「夏の月御油より出でて赤坂や 芭蕉」
亀山に比べて、愛知県東部は暖かい。と思ったのは夕方だけ、夜は冷え込みました。
部屋に宿に泊まった人たちが名前や所感を書き記したノートがあり、読んでいたら、共感したり、感動しました。私も長い文章を書いてしまいました。イラストを二枚も入れて。
ついでに下手くそな俳句も書きました。
「唯一の客もてなしを受け寒の宿 ☆紗」
宿泊客、わたし一人、の大橋屋の一夜は静かに更けて行きました…
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