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2009.01.07. オススメランチと歴史探訪の日

2009.01.07.

東海道五十三次 十七日目  新年初歩き 後半 飯村〜吉田〜菟足神社(小坂井)

ふわふわオムレツ、みそごまポタージュラーメン、サラダ、小鉢(シェル型パスタのサラダ)、香の物、ご飯、デザート(みかんひとかけら、小さなパンケーキにバタークリームと小倉あん)…これだけあって、700円!

トイレにも駆け込めたし、安くて美味しかったし、大満足。

帰るとき、会計しながら「美味しかったです」と言ったら、「暖まりましたか?」と聞かれました。

「はい、暖まりました」と答えましたが…私は寒かったわけではなく、トイレに行きたかったんです。でも、お店の方には、顔色も悪く、寒そうで、冷えてトイレに駆け込んだように見えたんでしょうね。

とはいえ、暖まったのは本当です。

この店、やまに食堂は飯村付近。東海道五十三次ウォーカーの皆さんにお勧めしたいので、名前を出します。

その先、ファミレスが何軒かあったので、もしあのとき、トイレに行きたくなかったら、小さな店は通りすぎていたことでしょう。

やまに食堂は飯村にありましたが、その先は二軒茶屋。

殿田橋の先で国道1号と合流します。

合流してすぐに、右側に飯村一里塚跡がありました。

今日使っている本のおかげで現在地がわかりやすい。国土地理院二万五千分の一地図を用いているので。講談社「歴史街道ガイド 東海道五十三次を歩く」全五巻の第四巻「白須賀〜桑名」

旧東海道が通る町は伝馬町、瓦町、など昔ながらの町名。昔を偲ばせる建物などはない、と本にあったけれど、昔風の家はたまにありました。

瓦町にりっぱな寺がありました。壽泉禪寺という寺で、三重の塔がありました。

西新町の交差点の先に分岐の標識。旧東海道は東八丁交差点を左折するのですが、すぐ右折するので、東八丁の交差点は歩道橋で向こう側に渡っておくとよいです。

歩道橋から下りたところに東惣門跡がありました。

すぐに右折ですが、「東海道」の道標が指し示してくれています。

小さな道も数に入れて、二つ目の十字路を左折。不安になるけれど、行く手右側に造立稲荷が見えるので道が正しいことを確認できました。二万五千分の一地図はすごい。

造立稲荷の先を右折して暫く行くと、「東海道」の道標があったので、ホッと安心。

二つ目の十字路は大きな道を信号で渡りますが、その大きな道の真ん中の中央分離帯のような公園のようなところに曲尺手(かねんて)門史跡の碑がありました。

その先、最初の角、そば屋のところを左折。すぐ先を右折して広い通りに出ますが、そこにも「東海道」の道標がありました。

豊橋の町を歩いていて思ったことは、書道の文房具(筆、硯、紙など)を売っている店が多いこと。書の盛んな町なのかな。

その先は大手町。

豊橋市電(路面電車)が通る国道259号線を渡る時、すぐ左に市電の札木駅が見えます。

道を渡った先の右に、先日鰻丼を食べた「丸よ」。水曜が定休日らしく、シャッターが下りていて、店の前にある本陣跡の写真、前回とは違うものが撮れました。

その辺りからまたトイレに行きたくなり、左に渡って脇本陣跡の写真を撮ってからは、とにかくトイレを探して右往左往。

花園という商店街があったので、マックかドトールでもないかと行ってみたら、全店水曜が定休日なのか、まだ新年で営業していないのか、シャッター街で、その一列の通りは全滅。ゴーストタウンみたいで怖かった。豊橋は水曜定休の店が多いみたい。

こうなったら、駅の近くの丸栄(たぶんデパート)にでも行こうかと歩いていたら、市電の通る道の中央分離帯にトイレがあるのを発見。しかし、信号が全然変わらない。数分のことと思いますが、何時間にも感じられました。

やっと無事に用をすませ、ありがたい恩のあるこの場所の名を見たら、神明公園でした。

落ち着いたので、チクワの山サ本店にちくわを1本だけ買いに行きました。特選ちくわ1本252円を1本だけ買いました。太くて食べでがありそうです。

12月30日に来た時は、お節の買い物客でごった返して車も列を作っていましたが、今日は客は私一人でした。あの日は紅白の幕も張ってあり、今日とはずいぶんイメージが違いました。

暫く行くと左に菜飯田楽の「きく宗」があり、この店も水曜定休ですが、貼り紙によると、丸栄店は営業しているそうです。

きく宗の日本先、松葉公園交差点を右折すると、二つ目の十字路が国道23号線。渡った右側に西惣門がありました。

さらに進んで二つ目の十字路を左折して少し行くと、右側に神明社。天照大御神を祀る神社で、境内の池の中の築島神社に芭蕉句碑がありました。「寒けれど二人旅ねぞたのもしき」という句で、「旅寝塚」と呼ばれているそうです。

道に戻って右折すると豊橋(とよばし)が見えてきます。

今、豊橋と呼ばれている町は、鎌倉時代、この豊川に今橋がかけられ、町の名も今橋となりましたが、戦国時代には今橋は「忌まわしい」を連想させ、演技が悪いということで、縁起のいい「吉」に因んで「吉田」と改名。明治になってから、豊川にかかる豊橋の名をとって、三度改名したのだそうです。

さて、豊橋を渡ると、すぐに左折。暫くは川沿いを歩きます。

右に郵便局があり、その先に幼稚園を併設した大きなお寺があり、聖眼寺という寺で、ここにも芭蕉句碑がありました。

「こを焼て手拭あぶる寒さかな」

「松葉塚」と呼ばれていますが、注意書がしてありました。「昭和二十年戦災にあい、句碑がいたんだので、拓本をとることを禁じます」

歴史的な価値のあるものから拓本をとったりする人がいたんでしょうか。

そこから暫く歩くと、横須賀という町名になりました。先日、藤枝駅前でも横須賀行きのバスがあったので、横須賀という地名は多いのかな。下北半島に横浜があったけど。

その先、旧東海道からは120メートル離れますが、右奥に瓜郷遺跡がありました。弥生式竪穴式住居が復元されていました。公園の隅に、高床式倉庫のミニチュアのようなものがあると思ったら、その中に瓜郷遺跡の説明書が入っていました。

その先、鹿菅橋を渡り、さらに進むと道が上っていき、橋に至るのですが、上り始めるところから歩道がなくなり、その坂と豊川放水路にかかる高橋を渡るのがとても怖かった。暫くの間は、高橋さんという人に会ったらトラウマかも。

高橋を渡る手前に小坂井(こざかい)町の境がありました。

その先右に、「子だが橋」跡の碑と説明がありました。人身御供の慣わしがあった頃、人身御供に奉仕していた世話役が人身御供に決まった女性が我が娘であったのを見て戸惑うけれど、慣わしには逆らえず、「子だが仕方ない」と言ったことからついた名だそうです。

現在の菟足(うたり)神社の祭りでは、十二羽の雀を生け贄として、執り行われているそうです。

国道151号線を渡った先の右側に菟足神社がありますが、大きな神社でした。神社やその辺り一帯が貝塚だったそうで、貝はほとんどアサリかシジミだったそうです。

菟足神社は、仕掛け花火発祥の地だそうで、4月の風まつりには、手筒花火、打ち上げ花火(二尺玉)、建物花火(仕掛け花火)などをやりますが、手筒花火が日本一なんだそうです。

また、菟足神社の宝物館には、国の重要文化財の大般若経585巻が保存されています。

菟足神社のすぐ左先にJR飯田線、小坂井駅があり、16時34分発豊橋行きに乗りました。一両編成で、駅が無人なので、車掌さんが降りる人から切符を集札したり、切符を持っていない人のために車内を巡回していました。私は青春18きっぷなので気楽です。

豊橋で掛川行きに乗り、浜松で熱海行きに乗り換え、今宵の宿泊地、清水に着いたのは19時5分頃。駅前のイルミネーションがきれいでした。

ホテルクエスト清水に泊まるのは二回目。前回は長女と一緒でしたが。あの時は長女と清水駅前に繰り出しましたが、今夜はホテルのレストランで、蝦夷麦酒「ひぐま濃い麦酒」という真っ黒だけど美味いビールで美味いものを食べました。

本日の総歩数は29626歩、歩いた距離は21.2km、時速4.93km。

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