ど真ん中を過ぎ、遠州路へ。ふれ合いもあった一日。
2008.12.01.
東海道五十三次十四日目 前半 袋井〜見付〜
朝5:35に家を出て、11月5日に歩き終えた場所、袋井へと向かいます。
普通電車を乗り継いで行きますが、熱海だ、沼津だ、と何回も乗り換えなければならない時間帯は避け、なるべく乗り換えが少ない時間帯で、最初に乗った東海道線が静岡行き、を選んで行きました。
普通電車ですが、特急車両を使っていて、富士山が見える側の窓際に座れました。
おかげで、三島〜富士〜富士川の富士山が最高でした。昨日から、富士山はずいぶん白くなりました。
9:49袋井着。駅前公衆トイレの壁には、袋井のマスコット鳥のフーフー君がいました。
袋井の駅前では、クリスマスイルミネーションの配線をするために、何人かが集まって作業準備をしていました。
私はまず「あるく助け」という足袋型サポートソックスを履き、コンビニでお赤飯おにぎりと温かいお茶を買って、二度目の朝御飯。朝5時過ぎにパン1個食べたきりじゃ、もたないからね。
身支度を整え、歩き始めたのは10:05。
駅前に、レトロな銀行がありました。
和橋を渡って、この前見つからなかった斜めの道を探しにいきました。
この前、どまん中茶屋のおじさんに勧められた木製の常夜灯をまず見ました。
常夜灯の写真を撮った後は、今来た道をさらに進んで、国道からどう分岐したのかを確かめました。迷った分岐に出たのが10:28。これは明るいときでなければ分からないし、暗いと危険かも、この道は。
どまん中茶屋再訪は10:34。
この前はおじさんが一人しかいませんでしたが、今日は3人いて、さらに後から二人来ました。後からの一人は、この前のおじさんでした。
お茶と、袋井のパンフレットをいただき、エビセンを食べていたら、「紅葉を見に身延へ行ってきた」というおばさんが来て、みのぶ饅頭をいただきました。
記念記帳をしていたら、「今朝は夕べ袋井に泊まったという女性3人が来た」とのことで、私の前の書き込みを見たら、我が家とは比較的近くの市の方達なので、会ってみたかったなあ、と思いました。
お茶をもう一杯飲みたかったけれど、出そうもないので出発しました。
前回は暗くて見えなかったけれど、どまん中茶屋は「日本一小さな歩く道の駅」という看板が出ていました。
少し行くと、東海道からはほんのちょっと外れる白髭神社の看板を見付け、見に行きました。
東海道に戻り、この前、真っ暗な中で見た袋井東本陣跡を改めてじっくり見ました。その先、この前はライトアップされていた白壁を道からしか見なかった袋井宿場公園にも行きました。トイレに「東司」と書いてありました。
どまん中茶屋も袋井宿場公園も、前回真っ暗な中に灯りが灯ってとても素敵な所に見え、次回は明るい時にじっくり見ようと思っていたら、今日はこの前ほど「いとをかし」に感じられなくて、ちょっと残念。夜目は何でも美しく見える?灯りに惹き付けられるマジックだったのかな。
袋井の町には、所々に案内板が設置され、広重だけでなく、なんとか版、といういろいろな袋井の版画が展示されていました。
暫く行くと丸凧工房がありましたが、今日は閉館日。月曜はあちこち閉館だらけでした。
さっき見た、某版の袋井の絵に、袋井の丸凧が上がっている絵がありました。
御幸橋の公園には、高札と西見附の杭がありました。ここのトイレには、雪隠と書いてありました。私は雪隠に入りましたが、タバコ臭い。外で吸ってほしい。
左側にレトロな洋館があり、映画「たみおのしあわせ」のロケ地、と書かれていました。「たみおのしあわせ」って映画、知らなかったんだけど、オダギリジョー主演らしい。まだどこかでやっているかなあ。
寺澤屋長屋門という、立派な門を見て、その先、木原一里塚は、土が盛られた塚に木が一本。
矢印が右方向に「木原古戦場」となっているので、右側に探しに行ったのですが、400mのはずが、かなり行ったのにない。
本を取り出して調べたら、木原古戦場は東海道沿いにあり、こんなに外れたところにはないので戻りました。大分無駄をした、と思いましたが、おかげで刈り入れ後の広々した田んぼを見ることが出来ました。遠州は空が広い。
東海道に戻り、もう少し先に進んだ所にある許禰(こね)神社に、「木原畷」(きはらなわて=古戦場)の札がありました。
磐田市に入ったのは11:50。
今日は、飛ばし気味です。どまん中茶屋で聞いた3人の女性に追い付きたい、と思って。時間差はかなりあるみたいだけれど、3人だから、きっとゆっくり、あちこち見て歩いているのでは?と思えるんですよね。
旅は道連れ、とまではいかなくても、挨拶だけでもしたい…やっぱり、一人旅は寂しいのかなあ。
飛ばし気味のせいか、やや左膝が痛い。なにもそんなに急がなくても…でも、追い付きたい。
太田川を渡った先で、道は静かな左の道へと別れます。
三ヶ野の松並木を過ぎると、大正の道と明治の道に分かれます。
私は明治の道、緑のトンネルを選びました。
この道が、昼なお鬱蒼と暗く、小夜の中山なんて目じゃなく怖い、と思いました。
やっと明治の道を抜けて、人家の多いところまで来ると、左手に車井戸の碑。ちょうどここで、三人の女性と邂逅。私は「袋井からいらっしゃいましたか?どまん中茶屋に寄りましたか?」と聞きました。
思った通り、今朝、どまん中茶屋のおじさんに教えてもらった三人の方でした。
「あちこち寄り道してるから、進まなくて」と言っていました。
明治の道も出ている優れ物の地図を持った方たち。
その地図欲しい…どうやって手に入れたんだろう。
三人は「では」と、行ってしまいました。
私は自分なりに道に当たりをつけたら、三人が行った方向。ついついガムシャラに歩いて三人を追い越し、さらに差をつけて…
どまん中茶屋で三人の女性と聞いた時、私はもう少し若い方を想像していました。でも、会ってみたら、60代前半ってところかな。
あちこち迷いながらの珍道中みたいなので、同行したら大変そう、私はもう少し速めに歩きたいし…という訳で、必要以上には絡まないことに決めました。
道は松並木の上り坂になり、かなり三人を引き離しました。
国道と合流したところで紅葉の写真を撮っていたら、手押し車(掴まりタイプのカート)を押しながらやって来たおばあさんに、「雨が降りだしそうね」と声をかけられました。「そうですね」と、どこかで聞いた返事をしました。
今日は晴れのはずなのに、思っていたより雲が多く、それも、グレーの重そうな、雨が落ちてきそうな雲。
国道を歩道橋で渡って、右側を少し行くと、小高いところに「遠州鈴ヶ森」の看板。本に「急な階段を上る」とあったけれど、実際その急傾斜、半端じゃない。段の幅が狭くて足が乗りにくい上、手摺に掴まらないと危険。
急な階段を上ると、歌舞伎でお馴染みの大盗賊、日本駄右衛門の墓がありました。
道は国道を離れて右へ。
三本松の常夜灯の写真を撮っていたら、近所の人に「頑張るねえ」と声をかけられました。
「坂を下ると階段を上った上に一里塚と常夜灯がある」と教えてくれました。
坂を下ると、右に遠州見付木戸跡の看板。
左側には急な階段があり、最初のひとかたまりの段を上ると右に常夜灯。
さらに次のひとかたまりの段を上ると、愛宕神社の本殿の改築工事をしていて、その工事のせいか、一里塚はどれか分かりませんでした。
境内から見付宿の町並みがよく見えました。
遠州を歩いてきて、ここで初めて富士山が見えるので、見付という名がついたそうです。
階段の下で、先ほどの三人の女性とまた会いました。お互いの無事の挨拶を交わして別れました。その後は、その三人にはもう会うことはありませんでした。
問屋場跡、朱印屋敷冷酒清兵衛邸などを見て歩きました。
随分晴れてきて、青空も広がってきたし、上着が暑い。
見付学校は松本の開智学校を彷彿とさせる、白い洋館。今日は休館日で、外からしか見られませんでした。
見付学校を意識した、白いきれいなトイレに入りました。
脇本陣三河屋門、木戸型モニュメントを見て、遠江国分寺跡へ。
国分寺自体は、もう跡地や礎石しか残っていませんが、焔魔堂がありました。その横の浄水石は、当時のままのものが残っているそうです。
国分寺跡はだだっ広い起伏のある、きれいに刈られた草地で、礎石や階段が残っています。
国分寺跡の斜向かいに府八幡宮があり、立派な鳥居と社域が道のこちら側からよく見えましたが、道を渡らず、こちら側から見るに留めました。
お腹がすいて、昼食にありつきたかったので。
磐田駅まで行けば、何か店があるだろうと思っていたら、そこまでは行かずに蕎麦屋を見つけ、天ぷらせいろ蕎麦を食べました。13時半頃でした。
食後はジャケットを脱いで、リュックに着せて歩きました。
駅までの歩道には、ジュビロ磐田のマスコットキャラクターが立っていたり、ジュビロ磐田の選手の足形のタイルがいくつも貼ってありました。手形の人もいました。
さて、磐田駅の北側、3本ぐらい北側の道を右折し、いかにも旧東海道らしい道を歩いて暫く行くと(途中でタイムスリップしたかのような駄菓子屋がありました)やがて国道とぶつかり、広い道の歩道を歩き…
貼付右下の恐竜に出くわしました。もうびっくりです。私の調査によると、この恐竜はジュラ紀のブラキオサウルスだと思うのですが、恐竜に詳しい方、ご意見を。
後半に続く
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