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2009年2月

2009.01.21. 八丁味噌の郷

2009.01.21. 東海道五十三次 二十一日目 赤坂〜藤川〜岡崎

今朝は、夕べ買っておいたパンで食事をすませて(テレビでアメリカのオバマ大統領の就任式と、ホワイトハウスへのパレードをやっていました)、豊橋のホテルを7時10分過ぎに出て、7:24発の名電に乗って、国府で乗り換え、名電赤坂へ。


名電赤坂駅7:41着。

この時は晴れていて、青空も見えました。

今朝はとても寒く、息が白い。先日泊まった大橋屋を懐かしく見ながら、次の藤川宿を目指します。

赤坂の町外れにある中学では、野球部が始業前の朝練をやっていました。

中学を過ぎると、「通学路、児童の安全のために直進禁止」の看板が立ち、車はみんな迂回してしまうので、車がほとんど来ない旧東海道を楽しめました。ちょうど直進禁止になったところから道幅が狭くなったので、余計に旧東海道の面影を感じます。

暫く行くと今度は小学校があり、校舎に大きくスローガンが張り出されていました。

「進んでかんがえやりぬく子

きたえよう、こころとからだ」

なんだか心に残りました。

そうそう、今日、びっくりしたことがありました。

前回の東海道ウォーキングの時、まだ結構玄関に正月の飾りが付いている家が多かったので、小正月の1月15日に外して焼くのかと思っていたのですが、今日もまだ、飾りをつけた家が多いんです。1月を正月というのだから、1月中はつけておくのかなあ。それとも、行事を旧暦でやっているのかな?

8:17 一里塚跡。

その先、誓林寺坂という、だらだら上りが続きました。

その10分ほど先に、磯丸「みほとけ」歌碑がありました。ちょうど小さな形よい石仏があるので、磯丸がここで詠ったのでしょうか。

糟谷磯丸は愛知県伊良湖崎で漁師の家に生まれ、漁をしながら歌を詠んだ「漁夫歌人」と呼ばれているそうです。

その先に、常夜灯と、少し離れて鞘堂に入れられたお地蔵様が二つあったので、私は大榎橋の二地蔵と名付けました。

道なりに行くと、長沢関屋交差点で国道と合流。

国道1号線の左側を歩いていたら、あれ?と思ったことが。

国道の左側を歩いているので、歩道の右側は車道。しかし、歩道の左側に謎のレーンがあって、歩道がサンドイッチになっている…左側のレーンとは、「農業用車専用道」。なぜ、歩道→農業用車専用道→車道の順じゃないのか?農業用車は畑への出入りが歩道を介さないで直に行けるようにこういう作りなのかな?

8:58に岡崎市に入りました。と言っても、岡崎市と藤川町が合併したのは最近のことなので、本来は藤川町に入ったってことなのかな?

まずは本宿(もとじゅく)入り口。ここは藤川宿へ一里。

赤坂と藤川の間にある元宿は、法蔵寺の門前町として栄え、間の宿的役割をしていたそうです。法蔵寺境内には、新撰組隊長近藤勇の首塚と胸像がありました。また、岡崎市指定文化財天然木のイヌマキがありました。近藤勇の墓へと上っていく坂の下に六角堂がありました。

法蔵寺でトイレを借りました。

本宿陣屋跡(現在は病院)と代官屋敷を見ました。

本宿一里塚9:39。

その5分ほど先に、立派な門と塀があり、宇津野龍碩(りゅうせき)邸跡と長屋門と書いてありました。龍碩は、シーボルトの門人青木百弼から蘭法医を習った医師。

そのすぐ先に松並木があり、そこを抜けると国道。10分ほど国道を歩き、左側へ国道と分かれて、さらに25分ほど歩くと藤川宿入り口。

まずは、広重が描いた東棒鼻。

藤川宿は日本橋から37番目の宿場。京へ四十六里二十七丁、岡崎へ一里半、赤坂へ二里九丁、江戸へ七十八里二十九丁と書いてありました。

藤川駐車場、という所でトイレを借りました。

東棒鼻から20分弱で問屋場跡。

藤川宿も、各家に屋号札が掛かっていました。

3分ほど先、右側に本陣跡。第二資料館の札が出ていましたが、鍵がかかっていました。

すぐ隣に無人の資料館(脇本陣跡)。自由に見学してよく、扉を開けて靴を脱いで、スリッパを借りて、自分で電気のスイッチを入れます。藤川宿の模型と、名物の土産物である、からむし草で作ったハンカチ、材料のからむし草の展示が印象的でした。

10分ほど見学して、電気を消してスリッパを戻して靴を履き、扉を閉め、先に進もうとしかけていたのですが、脇本陣跡の門を違う角度で撮ろうと振り返ったら、本陣石垣が脇本陣裏から見られるらしく、矢印が出ていたので裏に回ってみると、本陣石垣とからむし草の自生地、今は生えていませんが(5月頃見られるらしい)藤川名物のむらさき麦を栽培している場所がありました。

5〜6分行くと、西棒鼻。その先、右側に歌川豊広の歌碑。さらに2分ほど行くと、左側に十王堂と芭蕉句碑がありました。

さらに2分ほど行くと一里塚跡。

また5分ほど行くと左側に吉良道分岐の石碑。

踏切を渡ると藤川松並木。通り抜けるのに7分ほどかかりました。

国道に出て、暫く歩き、また左へ国道からそれると、時々松並木がありました。

高橋を渡り、暫く行くと乙川(おとがわ)にぶつかります。昔はその辺りに橋があったらしいのですが、今は道なりに右へ曲がって国道に出て、国道の橋を渡ります。

橋を渡って、また左側の旧東海道に戻るのですが、特に標示も看板もなく、この道でいいのかと不安に思いながら進むと、大平町東の交差点に出て、この交差点で国道を渡って先に進むと、この道が旧東海道であることを示す案内を見付けてホッとしました。

12時過ぎに西大平陣屋(大岡越前守陣屋)跡に到着。外見は寺のようですが、中は、小さな神社以外建物がない広い空間、公園風でした。

そこから7分ほど先に、大平一里塚跡。

その10分ほど先に松並木。

国道に出てから、ちょっと分かりづらくなりました。歩道がないところがあり、そこも本来なら右端がかなり空いているのに、大型トラックの溜まり場になっていて危ない。

その先、松の中の道を通る公園のようなものが右にあったので、私が早く国道に出すぎたのかな?別の旧東海道ルートがあったのかな?

いずれにせよ、国道に出ます。

ガイド本によると、筋違橋で右に入る、とありましたが、どこか分からないままかなり進んでしまい、地図と町名を照らし合わせたら、やはり来すぎていたので、旧東海道に戻るべく、右に入り、わりとすぐに旧東海道に戻れました。

岡崎に入ると、二十七曲がりがあり、案内の柱を一生懸命探しながら歩きました。

ただし、案内の柱はあったりなかったり。

まず最初に、二十七曲がりの案内の大きな黒っぽい石碑。そこから、まず1本は交差点を曲がらず、次で右に行き、少し先の病院手前(病院はその角からは見えないので、国道に出てしまう手前で左に曲がって少し行くと、右奥に病院を確認出来ます)を左に曲がり、そこから二つ目を右に。国道手前を左。

この辺りから、二十七曲がりの案内の木の標識(てっぺんに草鞋がついています)や、古い石標に出会えるので、それを頼りに、地図も見ながら進みました。

案内の柱から650メートル先まで歩いて左、右、右、と歩き、広い通りで、「これより伝馬町一丁目まで660m↑」という木の柱の写真を撮っていたら、その柱の近くでバンを停めて荷物の積み降ろしをしていた中年男性に、「何を撮っているの?」と聞かれました。

二十七曲がりの標識を撮っていた、と答えると、わざわざ木の柱を見に行って、頭に草鞋が付いた柱に初めて気づいたらしく、驚いていました。

荷物の積み降ろしをしていたということは、仕事で来ただけで地元の人ではないのか、地元の人なのに、最近出来た標識に気付かなかったのか…

「じゃあ、曲がるところが27あるの?」と聞かれましたが、私にも、本当に27あるのか分からない。

今、声を掛けられた所が伝馬通り。ここを暫くまっすぐ行くと、伝馬町交差点にある和菓子舗、備前屋で岡崎名物のあわ雪を買いました。あわ雪は塊になっていて切って食べます。今、ここで少し甘いものを食べたい、と思い、別に「はなびら餅」を1個だけ買って、店内の無料お茶サービスの機械でお茶を入れて休憩。はなびら餅…昔、祖母がお初釜で用意していた、噛むと味噌餡が口中に広がる、あの「はなびら餅」ではない…。かなりがっかりしました。八丁味噌の町だから、白味噌のお菓子は不得手、ということなのかな。私のチョイスが悪かったんでしょう。ねりきりにしておけばよかったかな。

その先、伝馬町一丁目交差点で左に曲がり、すぐ次で右に曲がって少し行くと、右に立派な古い洋館。岡崎信用金庫資料館で、カッコ書きで旧商工会議所とありました。見学無料とのことで、入ってみると、1階で水彩画展をやっていて、二階でお金に関する展示をしていました。

他に誰かいたら、壱万円札の福沢さんの顔をくりぬいて、自分が顔を出す記念撮影のシャッターを押してもらったんだけどな。二階には他に誰もいませんでした。

岡崎信用金庫資料館が面している通りは総門通り。少し先まで行くと、右に松葉総門跡がありました。

そこを右に曲がって、籠田公園の中を左斜め方向に突っ切って、左折。そこは連尺通り。太い通りをずっと歩き、右折して、少し先で左斜め、T字で右。この辺、材木町というんだな、と思っていたら、木まち通りに出て、木まち通りを左へ。

暫く行くと、伊賀川の柿田橋。橋は渡らずに手前の細い道を左へ。川沿いの、桜並木の素敵な道。松葉通りの三清橋で右折するのですが、岡崎城址に行ってみたいので、ちょっと旧東海道から離れました。

岡崎城址のある岡崎公園には、味噌田楽を食べられる店があるそうで、それを目当てに行ったのですが…

岡崎公園に向かうため、川沿いを歩いていましたが、大きな道を渡るのを避けるために、橋の下の水際の道に下りてみました。道はずっと繋がっていて、信号に煩わされずにずっと行けます。

岡崎城址の公園は広く、私が行きたかった店の場所が分からなかったため、違う茶店に入りました。本当は菜めし田楽が食べたかったのですが、この茶店には白いご飯の味噌田楽定食しかありませんでした。でも、味噌田楽はとても美味しかった。

岡崎公園の北側にある浄瑠璃姫の塚を見て、またさっきの三清橋に戻り、川を渡りました。

その先、左へ入って民家の中の道を進み、国道に出て右。太い道との交差点を渡ってその太い道を少し南下してから右に入ると、愛知環状線の中岡崎の駅の近く、線路の高架下をくぐって、すぐの交差点に八丁味噌史料館の看板が出ていました。看板の案内通りに進んで見学の受付をしました。それがちょうど15時ぐらいで、ぎりぎり15時からの見学に間に合いました。タッチの差で次に回されそうだったのですが、なんとか30分も待たずにすみました。

八丁味噌史料館の見学は素晴らしかった。大きな樽をたくさん見ました。たくさん書きたいことがあった見学でしたが、ここは是非、東海道ウォーカーの皆さんに立ち寄って見学していただきたい場所なので、あえて詳しいことは書きません。14日間で東海道を歩いた長男は、お金や時間がもったいないから、ほとんど寄り道をせずにひたすら歩いたのですが、見学無料ということもあり、八丁味噌史料館は行ったそうで、長男も「ここは是非行った方がいい」と言っていました。

何年か前のNHK朝連「純情きらり」のロケ地でもあり、美山加恋ちゃんの写真が可愛かった!

見学の最後に、八丁味噌の味噌汁、赤だしの味噌汁の試飲、味噌こんにゃくの試食がありました。他のみんなは、赤だしの方が飲みやすいと言っていましたが、私は今は亡き伯父の影響で八丁味噌の味噌汁が好きなので、八丁味噌の方が美味しいと思いました。

外に出ると、ポツポツ雨が降り出していました。

普通に旅をしていたら、時間的には次の宿場を目指せたのですが、明日、京都で見たい展覧会があり、京都まで新幹線を使わずに行くので移動時間が多目に必要なため、今日の行動を早めに終えて、中岡崎15:56発の愛知環状線に乗り、16:15発 岡崎発新快速大垣行きに乗りました。

本日の総歩数(岡崎まで)41,421歩。距離29.72km。時速4.99km。

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2009.01.26. ♪あなたと〜越えたい〜鈴鹿越え〜

2009.01.26. 東海道五十三次 二十二日目 関〜坂下〜鈴鹿峠〜土山

東海道五十三次ウォーキング女ひとり旅にとって、問題はトイレと峠越えの危険度。

箱根越えは長女と越え、ひとりだった宇津ノ谷峠では怖い思いをし、楽しく歩いた小夜の中山は後からあそこは怖いんだよと教えられた私は、鈴鹿越えが怖くて、なんとか一緒に行ってほしいと、「箱根越えでもう懲り懲り」と言っていた長女にラブコールを送り続け、とうとう今日、長女、次女、私と女三人で鈴鹿峠越えをしてきました。

本来は、順番から言うと、私は愛知県の岡崎宿(38番目の宿場)までだったのですが、娘たちとのスケジュール調整の結果、ワープして、三重県の関宿(47番目の宿場)から歩き始めました。

前夜、関の国民宿舎関ロッジに泊まりましたが、前夜の内に、鈴鹿峠には現在雪はないけれど、とにかく寒い、という情報を仕入れてホッと安心。雪がとても心配だったので。

朝食7時半。出発8時半。

防寒対策を考えた服装で出発しました。

関ロッジから、鈴鹿峠方面の国道への近道もあったのですが、娘たちに関宿の町並みを見てもらいたくて、町に下りる道から行きました。下りなので、5分で町に出ました。娘たちも、「わあ、すごい」と言っていました。

5分で西の追分け。

ここからは、暫く国道を歩きます。国道歩きも連れがいると楽しい。

12分で国道から右へ分かれる道。霜がすごくて、みんなそれぞれ携帯で写真を撮っていましたが、霜の降りた感じはうまく写せませんでした。

5分ほど行くと常夜灯がありました。

30分ほど行くと、沓掛の町並み。

その頃から、次女と私はトイレに行きたくなったのですが、今日はなかなかトイレに出会えなくて大変でした。でも、防寒対策でズボンの下にスパッツをはいていたおかげで尻回りが暖かいため、長時間我慢出来ました。

女性の東海道ウォーカーの皆様には、冬場はズボンの下のスパッツをお勧めします。

9:46に鈴鹿馬子唄会館に着きましたが、月曜なので休館日。残念ながらトイレを借りることができませんでした。

鈴鹿馬子唄会館の周囲には、日本橋から、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷…と東海道五十三次の宿場の名前が柱に書かれていて、これらをずっと歩いてきた私ももちろん感慨深く、なんだかはしゃいでしまいましたが、娘たちも盛り上がっていました。京都三条大橋まで、55本の柱が立っていました。

坂下宿では、公園の遊具で遊びました。回転グローブ、ブランコ、ボート型の前後に振幅する乗り物など、楽しい公園でした。しかし、坂下宿ではとうとうトイレに出会えませんでした。

坂下宿は本陣跡が多く、松屋本陣跡、大竹本陣跡、梅屋本陣跡がありました。(松竹梅ってことか…)

坂下宿過ぎるといきなりの急な登りの山道に、まさか、ここを上るんじゃないでしょうね、と驚きましたが、実際上ってみると、雪がもしあったら無理だったとは思いましたが、そして、女ひとり旅もやめた方がいいと思いましたが、箱根に比べると、えっ、もうおしまい?と思うぐらい、わりと楽でした。

山道入り口が10:21。

片山神社という大きな神社に期待していたのですが、トイレはありませんでした。片山神社入り口が10:50。

片山神社の鳥居と、鈴鹿流薙刀術発生之地の碑には10:57。

鈴鹿峠は平坦で、本当にここが峠?と気抜けしてしまうぐらい…

鈴鹿峠着は11:11。

峠のちょっと先に大きな水溜まりがあり、氷が張っていて、厚さが1センチぐらいありました。

そこから2〜3分で境界石。左 伊賀の国 右 近江の国 と書いてありました。

この境界石の近くに、以前降った雪が少し残っていました。

この辺りにはたくさん茶畑があって、土山茶というお茶でした。

その少し先に休憩所があり、待望のトイレがありました。

トイレの横に、物凄く大きな常夜灯がありました。270年前に建てられた万人講常夜灯で、高さは5.44メートルもあるそうです。

鈴鹿峠が県境かと思っていたら、実際の県境はもう少し先にあり、ついに滋賀県甲賀市に入りました。

少し歩いていくと国道に合流します。この時、国道にあった電光掲示情報板によると、気温は4℃でした。

国道と合流してからは、暫く国道を歩いたり、国道からそれたりまた国道と一緒になったり。

山中一里塚跡、鈴鹿馬子唄の碑、猪鼻村の石碑などがありました。

12:46に蟹坂古戦場跡。

12:46に街道橋。

12:49に高札場跡。

そのすぐ先に、田村神社の入り口。鈴鹿峠の山賊を平定した坂上田村麻呂を祀る神社です。

田村神社の参道を通り、歩道橋を渡って、土山宿の入り口の、道の駅「あいの土山」で軽く昼食。長女は茶うどん、次女は山菜うどん、私は山菜そばを食べました。

もう少し歩きたかったのですが、次女が疲れていたので、もうそこのバス停から、13:50発のバスに乗りました。バス運賃は、一律大人250円でした。

貴生川駅までバスで行き、駅でかなり待って、14:51発の草津行きに乗り、草津からは東海道線で京都に出ました。

京都で湯葉尽くしの料理を食べ、私は小生ビールと日本酒を飲みました。

そして、17:32発ののぞみに乗りました。

娘達はまっすぐ帰りましたが、私は前回の東海道五十三次の続きのために、岡崎へと向かいました。

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