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<title>☆紗の東海道五十三次ウォーキング</title>
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<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-5344.html">
<title>2009.01.08.  人生観が変わる橋</title>
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<description>2009.01.08. 東海道番外編Ⅲ　興津再探訪と島田の蓬莱橋 ♪チャラチャッ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2009.01.08.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東海道番外編Ⅲ　興津再探訪と島田の蓬莱橋&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;♪チャラチャッチャチャッチャ、チャーン&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ホテルクエストでの目覚め。朝の７時20分頃。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;熱いお茶で、昨日買った豊橋の山サ本店の特選ちくわを食べました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;身支度をしながら、コーヒーも飲みたいと思い、また湯を沸かしてコーヒーを飲んでから出発。チェックアウトをして、駅前のマック辺りで朝食を、と思っていたのですが、ちくわとお茶とコーヒーでもうおなかがいっぱいなので、マックには入らず、コンビニでおむすびを２個買いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;清水9:03の電車で隣駅、興津へ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;興津には昨年10月28日にも来ているのですが、もう暗い時間に通ったため何も見えなかったので、今日はもう一度きちんと興津を見るために、やって来ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;興津駅に降り立ったのは9:09。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;興津駅から出て、東海道を左(由比方面)へ少し戻って、一里塚を見ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;再び駅の方へ戻り、駅前を通過して江尻方向へ進み、少し行くと、左に立派な米屋がありました。高山仙吉商店…この店、この前通った時、素敵だと思って写真を撮った店だ。夜の明かりも素敵だったけど、昼間見ても立派な店。今日は逆光なので撮りませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その少し先、右に東本陣跡。今日は暖かいなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道を左側に渡り、水口屋(みなくちや)前の、脇本陣跡の写真を撮っていたら、「おはようございます」と声をかけられました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;水口屋は、旅館業を昭和60年に廃業し、今は企業の研修センターになっていますが、平成11年に敷地内にオープンした「水口屋ギャラリー」に水口屋の資料が展示されています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;水口屋ギャラリーの受付の女性が声をかけてくれて、「10時オープンなんですけど、よかったらどうぞ」…まだ9:25分なのに招き入れてくれました。掃除の最中でした。水口屋ギャラリーは入場無料。靴を脱いで上がり、入り口で記帳して、応接間のソファーに荷物を置かせていただき、資料もいただきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昔の、興津に別荘が沢山あった頃の写真が並んでいて、私はここの展示の中でも、古い写真に一番興味をもちました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私がちょうど眺めていた写真の場所は、今はマックスバリューになっている、と、教えてもらいました。また、西園寺公望の別荘、坐漁荘(ざぎょそう)は、明治村に移転、保存されていますが、二代目坐漁荘が忠実に復元され、公開されているそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;旅館だった頃、泊まった有名人の名が連ねられていました。夏目漱石、志賀直哉、伊藤左千夫、有島生馬…一番最後に、昭和天皇皇后両陛下が書かれていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;展示物の中にも、両陛下が使われた青磁の食器、出された料理の写真もありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;15分ほど滞在し、お礼を言って出ようとしたら、受付の方が、すぐ二、三軒戻ったところに売っている宮様まんじゅうと揚げまんじゅうが美味しい、朝早くから店を開けていますよ、と教えてくれて、また、少し先に坐漁荘があり、そこは９時半から開いている、と教えてくれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;水口屋を出て少し先右側に西本陣跡があり、暫く行くと、右の小高い所に清見寺。これは帰りに見ることにして、先に坐漁荘に行きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨年10月28日に通った時は、閉まっていたけれど、門が明かりに照らし出されているのがきれいでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;受付には誰もいませんでしたが、声をかけたら出てきてくれて、パンフレットをもらいました。ここも入場無料です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;靴を脱いで上がり、受付の方が奥に声をかけてくれて、奥にいるボランティアガイドさんが説明してくれるとのことでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最初に記帳をして、説明を聞きましたが、ガイドさんは新人なのか、あまりよく知らないので、ご自由にどうぞ、と言われ、えっ、と思いましたが、少しだけ、説明してくれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;縁側から見える庭の先、数段低い場所にグラウンドがありますが、昔はグラウンドの所まで海だったそうです。今はグラウンドのさらに先に道路が通り、その向こうに海が見えましたが、埋め立てられてしまったのだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;すぐそこまで海だった頃は、さぞかしこの庭が美しかっただろうなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;庭の向こうは防波堤の石垣になっていて、庭に座って長い釣竿で魚釣りができたことから坐漁荘という名がついたそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二階からの景色がよいこと、一階の縁側の先にサンルームがあること、隣の部屋の棚に並べられている資料は好きなものを自由に取っていいこと、それだけ説明されました。写真は撮っていいそうです。入り口に館内飲食禁止と書いてあったので、本当は持参のおにぎりを食べたかったけれど、我慢しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;サンルームの隣は洋風応接間。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そういえば、さっきの水口屋で、西園寺公望はしょっちゅう興津に来ては水口屋に泊まっていて、やがて自らの別荘を建てて、興津の人になった、と書いてありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;逆にここで聞いた話から、海が埋め立てられて景観が悪くなったことが、水口屋が旅館を廃業するに至った原因のひとつではないかと推察されます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;風呂場は、床も壁も湯船も白木で出来ていて、すごい贅沢、と思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二階に行くと、上がった所の廊下が鶯張りになっていました。それぐらい説明しておいてほしかった。キイキイ言うからドギマギしちゃいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鶯張りは、防犯のために用いられたようで、廊下の床が二重構造で、下側の木材が厚め、上が薄めになっていて、上下の木材をつなぐくさびに遊びをもたせることによってきしむそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二階からは確かに景色はよいけれど、海側の景観は道路に遮られているから、庭が見える一階からの眺めの方が、私は好きです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;外壁に檜皮を使ったり、一見質素に見えますが、贅沢な建物だと思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;庭も見学して、坐漁荘を出ました。20分ほど見学していました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道を渡り、興津駅方面へ少しだけ戻ると、高山樗牛の仮寓跡の碑があり、その後ろに高札がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのすぐ隣に清見寺。まず山門があり、山門と境内は東海道線で分断されているので、右側の興津案内板の方から回って、東海道の踏切を渡って上りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;下から見えた立派な鐘楼がまず見えます。境内からの海の眺め、道路ができる前、さらに埋め立てられる前はどんなに美しかったでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「見学ご希望の方は受付を入って鐘を鳴らしてください」と書いてありましたが、境内を見るだけなら自由に見ていいんだろう、と、見ていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;家康手植えの臥龍梅(がりゅうばい)、芭蕉句碑、与謝野晶子歌碑もありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、山下清の「清見寺スケッチの思い出」よりという文章が立て札になっていて、これが面白い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;山下清「清見寺という名だな　この寺は　古っぽしいけど上等に見えるな　お寺の前庭のところに汽車の東海道線が走ってるのはどうゆうわけなんだろう　お寺より汽車のほうが大事なので　お寺の人はそんしたな　お寺から見える海は　うめたて工事であんまりきれいじゃないな　お寺の人はよその人に自分のお寺がきれいだと思われるのがいいか自分のお寺から見る景色がいい方がいいかどっちだろうな」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;お寺の境内の古ぼけたベンチに座って、今朝清水のコンビニで買ってきたおにぎりを食べました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この寺、好きだな、と思いながら階段を降りましたが、この寺を好きな理由は、山下清の文章のおかげかも。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;帰りがけに、水口屋の受付さんに勧められた宮様まんじゅうを買いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;水口屋から駅側数軒先にある潮屋という店で、宮様まんじゅうはとっても小さくて(１〜２口でパクリッのサイズ)、20個入り525円、宮様まんじゅうを揚げた揚げまんじゅうが９個入りで200いくら、両方で、千円でおつりが来ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;興津発10時56分の島田行きに乗り、終点の島田で降りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;島田に来た目的は、東海道からは外れた寄り道になるのですが、蓬莱橋という「世界一の木造歩道橋」としてギネスに認定された橋、全長897.4メートル、通行幅2.7メートル、大井川にかかる橋で、島田駅の南東、徒歩15分ぐらいのところにある橋にどうしても行ってみたくて。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;島田駅の南口はロータリー工事をしていて、舗装前の整地をしているところで、立ち入り禁止。どうやって町まで出るのか、うろうろしちゃいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;結局裏の方から線路沿いの細い道をたどって行きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;後から知ったのですが、３月に静岡空港が出来るので、それに向けて整備していたみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が蓬莱橋のたもとに着いたのは正午頃。大人は100円の往復渡り賃を払います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;長い、木の温もりもある橋。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;すれ違った女性二人が、かなり込み入った話をしていました。私ももし友人と来ていたら、一生話さないつもりでいた秘密などを、この橋の上でなら話せてしまうかも。人生観が変わってしまいそうな…そんな橋でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;片道、10分ぐらい、かかりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;残念だったのは、晴れてはいたけれど遠くが霞んでいて、いつもなら見える伊豆半島も見えないし、富士山が「あそこにありますよ」と言われないと分からないほどボーッと空に溶け込んで、ほとんど見えなかったこと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;富士山を目を凝らして見てみると、かなり大きく見えるし、橋の上からの富士山は、遮るものがなく、くっきり見える日なら、最高の富士山ヴューポイントになるなあ、と思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また来たいな。できれば３月に、この山の上に空港が出来てしまう前に。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;駅まで戻るのに、さっき来た島田駅南口からの道ではなく、どうせなら橋からまっすぐ北上して旧東海道にぶつかったら、そこから(既に一度通った道ではあるけれど)旧東海道をたどって島田駅まで行こう、と思い立ちました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;蓬莱橋からまっすぐ北上すると、その辺りの町は、宝来町ということが分かりました。同音で違う字を書く、どちらも「ほうらい」。そもそも、蓬莱橋は、時の藩主(1870年、徳川亀千代、後の家達いえさと)が牧之原開拓をしている幕臣を激励し、「ここは宝の山だ」と言ったことが名のいわれと伝えられているそうで、町の名が宝来、橋が蓬莱橋と分かれたらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まっすぐ進んで東海道線の踏切を渡ってその先で旧東海道と出会った左角に、見覚えある店…あっ、疲れて休みたかった時に、ショーウィンドゥを覗いていたら、自動扉が開いてしまい、結局島田名物、酒小饅頭のバラ売りをしてもらえるか聞いたところ、３個で105円で、お茶も出してくれて、休憩できた、あの中村屋。でも、ガイド本で紹介されていた清水屋ではなかったので、今日せっかく島田を再訪したのだから、清水屋の酒小饅頭を食べてみよう、と入ったのですが…なんだか、想像していたのと違う…商売慣れしていないようなおじさんとおばさん、酒小饅頭は１個単位でいくつでも買える、というので、前回の例に倣って３個買いました。95円でした。すぐ食べたい、と言ったのに、白い小さな紙袋に入れてくれて…でも、緋毛氈を敷いた長椅子に座らせてもらってすぐに食べました。お茶のサービスはなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なので、食べ終わって店を出てから、持参のペットボトルのお茶を飲みました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この店の酒小饅頭は、どうやらなんだか、ガイド本お勧めのものとは違うと思い、ガイド本を開けて確かめたら、清水屋違いだったみたいで、本で紹介されていたのは元祖清水屋。本通り２丁目、駅のそば、というので、探しながら行きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この前は道の左側を歩きましたが、今日は右を歩いたら、二ヶ所に本陣後がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;駅前へと曲がる角に、芭蕉句碑がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;曲がってすぐに元祖清水屋があり、ここでもバラ売りができるとのことで、３個で126円。ここもお茶は出ませんでした。元祖清水屋の酒小饅頭はいかにも酒まんらしい風味で美味しかったのですが、歩く旅人としては、お茶を出してくれた、中村屋がよかったかなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;島田駅に着いたら、熱海行きが出るまで時間があったので、売店でおにぎりと温かいお茶を買い、椅子に座ってお握りと元祖清水屋の酒小饅頭を食べました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実はもう一ヶ所今日行きたい場所があったのですが、夜、ダンスレッスンがあるので、もう一ヶ所は諦めて、明るい内に帰りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本日の旅の(夕方、自宅に帰るまでの)総歩数17074歩。歩いた距離は12.26km。時速は4.94km。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>旅行・地域</dc:subject>

<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-01-08T23:36:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/55-bb99.html">
<title>55枚の絵を描こうプロジェクト</title>
<link>http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/55-bb99.html</link>
<description>東海道ブログには、広重の五十三次の絵も載せよう、なんて思ってました。 でも、それ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;東海道ブログには、広重の五十三次の絵も載せよう、なんて思ってました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;でも、それって、たくさんの人がやっていますよね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;なので、とりあえず、広重はやめたのですが…&lt;img title=&quot;090114_193401&quot; alt=&quot;090114_193401&quot; src=&quot;http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/01/17/090114_193401.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px&quot; /&gt; &lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;赤坂宿の大橋屋旅館に泊まった時、泊まった人たちが名前や所感を綴っているノートを眺めて、共感したり、感動したり。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;私もノートにたくさん書いちゃいました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;ついでに下手くそな絵も添えました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;下手だけど、なんだかページが楽しい。下手くそなりに、味わいがある。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;そうだ、私も現代版広重をやろう。（※注；広重になろう、ではありません）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img title=&quot;090114_193403&quot; alt=&quot;090114_193403&quot; src=&quot;http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/01/17/090114_193403.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;下手でも、日本橋から１枚ずつ、見聞きしたことやイメージや…何かを描いてブログに貼ろう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;色はつけよう。絵の題材は広重と かぶらないようにしよう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;ここに決意を描いたのは、公表したからには実行しないと、というカセを自分に課すためです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;紙とクレヨンと、サインペンを買ってこよう。色鉛筆だと薄いよね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;描きやすいところから始めよう。順番に拘らずに。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;待てよ、番外編もあるから、５５枚じゃすまないかな…&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/01/17/090115_213901.jpg&quot;&gt;&lt;img class=&quot;image-full&quot; title=&quot;090115_213901&quot; alt=&quot;090115_213901&quot; src=&quot;http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/01/17/090115_213901.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-01-15T23:42:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090113-74af.html">
<title>2009.01.13.　イレギュラーフライング</title>
<link>http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090113-74af.html</link>
<description>2009.01.13. 東海道五十三次　十八日目　加佐登、能褒野 東海道を順番に...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2009.01.13.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東海道五十三次　十八日目　加佐登、能褒野&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東海道を順番に歩くなら、新春初歩きの１月７日の続きで、吉田宿の先、菟足神社付近の飯田線の小坂井駅からスタートするべきなのですが、本日の☆紗は神出鬼没、イレギュラーフライングして三重県鈴鹿市まで飛んでいっちゃいました。なぜ？順番を無視して？、の理由をまず書きますと…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話は巻き巻き巻き巻き、巻き戻しまして…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宇津ノ谷峠で怖い思いをし、私が楽しく歩いた小夜の中山は、実は夕方行くと怖いと聞いた私は、急にこの先、鈴鹿峠越えが怖くなっちゃいまして…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何とか長女にもう一回一緒に行ってほしい、と頼んでいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;11月に、晴れた日にゆっくり歩くと楽しいよ、キャンペーンをしたおかげか、長女も行ってもいいかなあ、となんとなく思い始めていた、今日この頃…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;正月に次女と里見八犬伝のゆかりの地を歩いた時、そんな話をしたら、「その時は、私も行こうかな」と次女が言い始めました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それで、長女も一緒に行くことが必然的に決定していました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;三人のスケジュール調整、難航しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でもやっと折り合い、日にちが決まり、宿の予約もしました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここでひとつ問題が…次女のスケジュールに合わせたため、私は１日目、仕事を終えてから、新幹線で駆け付けることになり、娘たちは早い時間に関宿入りしますが、私は夜遅くたどり着くことになり、それでは関宿を何も見ないで鈴鹿峠へ向かうことになってしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関宿は昔ながらの町並みが残っている素晴らしい町なんだそうで、その関町の資料館を見なかったら、そんな遠くて行きにくい町に、二度とは行けないかもしれない。ここは青春18きっぷを使って行けるうちに、ひとあし先に関宿を見ておこう、と思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そこで調べてみたら、関宿の少し手前の庄野辺りには、ヤマトタケル関係の遺跡などが多い、と知り、これは行かねば、と思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私の卒業論文は「『古事記』倭建命物語の文学性」というタイトルでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先日、長男に、「よく当時のただの学部生が、古事記が文学だって気付いたねえ」と言われましたが…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は子どもの時、ヤマトタケル(オウスノミコト)のクマソ退治を読んで、非常に感動したんです。これが文学でないはずがない。しちめんどくさい知識ではなく、直感というか感性ですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;青春18きっぷで、三重県鈴鹿市の加佐登(かさど)にある加佐登神社＆白鳥陵と、三重県亀山市の能褒野(のぼの)神社＆日本武尊(やまとたける)の墓に行ってきました。日本武尊の墓には、「能褒野墓」と書いてありました…「のぼのぼ」…？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前者の白鳥陵も、本居宣長や平田篤胤らにヤマトタケルノミコト(倭建命)の墓であると言われた円墳です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と、簡単に書きましたが、歩きました歩きました歩きました。東海道ウォーカーなんだから、歩くのは当たり前、なんですけどね。街道を外れた寄り道に時間をたっぷり使って、一日の行程が第一目的の東海道五十三次歩きよりも、寄り道がメインになっちゃったわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;特に「のぼのぼ」は諦めかけましたが、今、行かなかったら一生行かないだろうと思い、頑張りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「のぼのぼ」を諦めかけた時、私を奮い立たせた？のは、道を聞いた二人のおばあちゃんたちに、「あんた、いい体してはるねえ、羨ましい」「背が高いのになあ」と言われ、なんだか気をよくしてしまった…豚もおだてりゃ木に登るってヤツですかねえ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも…私、普段よく、スラッとしている、とか、スタイルがいい、と言われることが多いので、そんな感じでほめられたのかと思ったんです。しかし、しかしですよ。今日の三重県鈴鹿地方は超超寒くて、私は着ぶくれて、いつもの1.5倍ぐらいの横幅肩幅あったわけで…おばあちゃんは、私のこと、ムキムキウーマン、筋肉ウーマンと思ったんですね、きっと。いえ、絶対。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日の美味しいところを先に書いちゃいましたが、行程をじっくり書きますと…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;普通電車を乗り継いで、神奈川県の我が町から、一気に三重県鈴鹿市加佐登まで行くには、朝５時台に出ても待ち時間ばかりになるらしく、「駅すぱあと」の案内通りに、家を６時過ぎに出ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東海道線には、大船から6:30発沼津行きに乗りましたが、家を５時台に出た時と比べて当然ながら混んでいて、平塚まで座れませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大磯あたりで明るくなってきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;沼津で浜松行きに乗り換えました。8:09発。暫くは立っていました。原で座れました。富士山は前回より白くなっていましたが、案外上の方だけで、雪のない部分が多いと思いました。７合目ぐらいが境かなあ。富士山の右肩辺りに白い雲が少しモワモワッとしていて、きれいでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;田子の浦、吉原、富士からの富士山が最高でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;浜松で豊橋行きに乗り換えたら、みんなが座席の背もたれを動かして進行方向に直すさぎょうであちこちからパタンパタン音がしていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;浜松10:28発。朝、６時前にパンを１個食べましたが、おなかがすいたので、今またパンを１個食べました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;車内でトイレに行きましたが、私の席は４両編成の一番後ろ、トイレは一番前。移動が大変で、トイレをすませて出てきたら、次の駅、高塚に着くところで、降りるお客様の一団が降りてしまうまで、後ろへの移動ができませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;豊橋は案外すぐに着いてしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大垣行きを待っていたら、非常に寒く、大垣行きは今度到着する豊橋止まりが折り返し運転するのですが、雪の影響で遅れているとのことで、寒いのでセーターを着たり、マフラーを巻いて待ちました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今朝、起きた時、三重県の天気を調べたら、雪の予報が出ていたので、アンダーシャツ代わりの半袖Ｔシャツの上に、急遽長袖の黒いハイネックシャツ(去年のダンス公演の衣装)を着てきたのですが、大正解でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;折り返し電車の到着は７分遅れでしたが、豊橋発は２分遅れですみ、11:09発となりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;名古屋着は予定より３分遅れで、12時ちょうど着。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関西本線亀山行きに乗り換え、12:08発。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最初、ボックス席の、進行方向に対して後ろ向きの席に座りましたが、２駅先で正面の席の女性が降りたので私は向かい側に移動して、進行方向を見る席に座れました。疲労感が違うんですよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;持参のおにぎりを２個食べました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;弥富駅で結構みんな降りたので、私は窓際に座りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;車窓から見ると、雨が降った形跡はありましたが、地面がぬれているだけで、今はやんでいて、心配していた雪は大丈夫みたいでした。雪がすごいのは岐阜方面なんでしょうね、きっと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;13:08加佐登(かさど)着。車内放送によると、加佐登は係員のいる駅なのに、降りたら誰もいませんでした。私は青春18きっぷだから、いいけどね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;加佐登駅から、白鳥陵のある加佐登神社までは駅の案内板によると徒歩15分とのこと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が持っているガイド本「東海道五十三次を歩く５ 四日市〜鈴鹿峠 琵琶湖〜三条大橋」(講談社)には、国土地理院２万５千分の１地図の一部(※必要箇所だけ切り取られたもの)が載っているので、国道を避けて裏道、民家の間を抜けるとき、非常に便利です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただし、この「※必要箇所だけ切り取られたもの」のおかげで、あとで大変な目に遇うのですが…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;民家の間の道をうねうね行くと、手作りの飛び出し坊やが小さな交差点ごとに立って今した。クレヨンしんちゃんに似ている…&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-01-20T01:04:02+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090113-8a40.html">
<title>2009.01.13.の２　遠い寄り道</title>
<link>http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090113-8a40.html</link>
<description>2009.01.13.の２ 車が走る道に出ると、歩道がないので、車が来ると避けな...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2009.01.13.の２&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;車が走る道に出ると、歩道がないので、車が来ると避けながら歩きましたが、車はそれほどは通りませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日はさしているのに雲が低く多く、独特の凄まじい空模様。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;左側に貯水池があるようなので、わざわざ土手の小さな階段を上ってみたら、枯れ草の広がる広場(一部駐車場になっている)で、貯水池はさらに広場の先の土手の向こうらしく、案外遠いので、覗くのはやめて、道路に戻りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;白鳥橋を渡ると、左に加佐登神社。鳥居を入ってすぐの左側に高宮資料館がありましたが、閉まっているみたいでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;参道の階段をどんどん上っていくと、りっぱな境内に出ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;駅にトイレがなかったので、これだけりっぱな神社なら、と思い、探してみましたが、見当たらない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;加佐登神社の祭神は、日本武尊と天照大御神で、ヤマトタケルが亡くなる直前まで持っていた笠と杖が奉納されているとか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ヤマトタケルが能褒野で亡くなり、白鳥になって飛んでいった、という伝説から、白鳥陵は、琴弾原(御所市)、旧市邑(羽曳野市)など諸説ある中、この加佐登の白鳥陵がヤマトタケルの墓である、と定説になっていたのが、明治になって、能褒野神社の丁子塚がヤマトタケルの墓である、と宮内庁が認定したそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、この加佐登の白鳥陵(しらとりのみささぎ)、好きなんだけどなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;天皇ではなく、皇子の墓を陵と呼ぶのは、例外的にヤマトタケルの墓だけなんだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神社の裏手から、白鳥陵への道があり、少し歩きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「白鳥陵」の石碑の脇から階段を上ると、１メートルぐらいの石柱が等間隔に並んでぐるりを囲んでいる円墳があり、正面の二本の大きな柱には、しめ縄と紙幣が張られていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;白鳥陵は、東西78メートル、南北59メートル、高さ13メートル、という規模の円墳。三重県内最大の円墳だそうで、小山という感じです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神社の由来書から抜粋すると…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ヤマトタケルは東征の帰り、伊吹山の戦いで傷つき病んで、動かぬ体を引きずって能褒野にたどり着き、遥かに大和を望んで、短い生涯を終えたと伝えられている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和しうるはし&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;来るときは神社の右脇奥から回ってきましたが、下りるときは、陵のまっすぐ下の鳥居をくぐって、参道をそのまま下りてみました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;すると、公園のようなところに出て、金網塀の向こうに車が結構通る道路があり、その向こうに貯水池が逆光で光っていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;再び加佐登神社の境内に戻った時、今度はトイレを見つけました。助かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;加佐登駅方面に戻り、民家の間の道を歩いているとき、地図で見ると、実線の細い道を行くと、かなり駅への近道があることがわかり、白鳥中学の脇の道へ行ってみました。細い道だと、民家で行き止まりにならないかと不安になりますが、道は急勾配に下っていき、幼稚園で行き止まりかと思いきや、グルッと折れ曲がって駅方面への道まで下りられました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;下りた地点から、目の前の踏切を渡って工場の脇をまっすぐ進むと、次の交差点が庄野宿の入り口です。庄野宿の入り口には14:35着。(白鳥陵への寄り道は１時間15分もかかったわけです)&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宿場の入り口に、連子格子の家が何軒かありました。まだ玄関に正月の飾りをつけている家が多く、この辺りは小正月までつけている風習なのかな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;空は晴れているのに、頬に雪が当たるので、狐の嫁入りなのか、風花なのか…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;庄野宿資料館が小林家跡に作られていて、公開されているようですが、今日は休館のようでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;右に本陣跡。暫く行くと、高札場跡の古い看板。他の案内や碑が、東海道制定400年記念に平成16年に作られた中で、この高札場跡の看板だけが字が読みにくくなるほど古いものでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;庄野には三つの式内川俣神社がありす。ひとつめの川俣神社には、県指定天然木のスダジイがありました。樹齢300年。立派です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宿外れまで、15分で来てしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先で国道に出て、前を横切る車道の橋への上り坂の下をくぐり、すぐ右に曲がります。しかし、JUSCOの看板の立つ小さな空き地を巻くようにした、冗談みたいなカーブで国道に戻るみたいで、本当に「何の冗談？」と思いきや、国道をくぐるトンネルに入って、国道の向こう側に出る、という寸法。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;風が冷たいので、帽子を被りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宿外れから14、5分歩くと、左に「従是東神戸領」(これよりひがしかんべりょう)の碑と女人堤防の碑。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もうしばらく歩くと二つ目の川俣神社と中富一里塚跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう12分ほど歩くと三つ目の川俣神社で、その先すぐに安楽川に突き当たり、左へ行くと、右に和泉橋が見えてきて、それを渡るのですが、川風が強くて寒い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;和泉橋を渡るとすぐに右に曲がります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;静かな民家の間の道。大分降ってきたので傘をさしましたが、すぐにやんでしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;旧国道に出て、踏切を渡り、道は左にカーブ。右に並行している国道１号線が見えたので、そっちに曲がってまっすぐ行けば能褒野神社だと思い、寄り道をしたのですが…これが遠い寄り道になりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国道を歩道橋で渡り、さらにまっすぐ進み…私はその先１kmぐらいだと思って行ったのですが、この辺りの筈、と思った辺りにはない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;更に進むと国道にぶつかり、来すぎてしまったので戻りましたが…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;地図によると、中学のある道の反対側辺りなので、とりあえず曲がって見ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先にバス停があり、バス停の路線図を見ると、多分この先らしい。川崎という地名発見。先日は横須賀がありましたが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こっちの方、と当たりはつけたものの不安だったため、道端で話し込んでいた二人のおばあさんに、「この近くに能褒野神社はありますか」と聞いてみました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「能褒野神社なら、真っ直ぐ行って、橋を渡ったら左にあるよ。すぐ分かる」…この時に前述の筋肉ウーマン事件？がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうして道はわかったものの、何故にこんなに遠かったのか…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;分かりました。能褒野神社は本の地図からはみ出たずっと先だったんです。本の地図には、よく見ると「能褒野神社」の字の横に△マーク。地図からはみ出た△の先にあるよ、という印だったんですね。地図からどれくらいはみ出ていたのか、よく分からないけれど、１キロぐらいと思っていたのに、２倍以上、遠い遠い寄り道になってしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;能褒野神社は昼なお鬱蒼と暗い境内なのに、着いたのは16:27。薄暗くなってきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;せっかく来たんだから、ヤマトタケルの墓を見なくては。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「日本武尊墓参道」という石柱の先にあるのだろうと当たりをつけて曲がってみましたが、森の外に出てしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;森に沿って農道を歩いていたら、上っていく階段があったので、案内もないけれど、とにかく上ってみたら、階段の突き当たりの鉄柵の塀の向こうに白い鳥居があり、その奥の森がヤマトタケルの墓でした。神社に書かれていた名称は「能褒野王塚古墳(景行天皇皇子日本武尊能褒野墓)」でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;階段を下りて見渡すと、さっき渡ってきた橋に戻る近道を見つけたので、少し時間を稼げました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;橋からは、来た道をひたすら戻りましたが、駅すぱあとで調べたら、井田川駅17:09の次は17:30になってしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今夜の宿には17時頃行きます、と言ってあるから、出来れば17:09に乗りたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;頑張って歩きました。本はバッグにしまって、腕を肘から少し曲げていっぱい前後に動かして、競歩体勢で頑張りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;井田川駅には、17:06に着きました。よかった。17:09に乗れました。５分で亀山着。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今夜の宿、坂本旅館は、駅の真ん前でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本日の総歩数は25,695歩。歩いた距離は18.5km。時速5.34km。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-01-20T01:04:45+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090114-a08e.html">
<title>2009.01.14.　連子格子の宿場にて</title>
<link>http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090114-a08e.html</link>
<description>2009.01.14. 東海道五十三次　十九日目　前半　井田川〜亀山〜関　 今日...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2009.01.14.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東海道五十三次　十九日目　前半　井田川〜亀山〜関　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日の午前中は、東海道五十三次の亀山〜関を歩き、午後は愛知県に戻って、吉田宿の先、菟足神社付近から前回の続きを歩きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;亀山駅前の坂本旅館で朝７時半に朝食を食べ、大急ぎで仕度して、亀山駅を7:56に出る電車に乗りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨日までは青春18きっぷがありましたが、今日からは切符を買いながらの旅。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;井田川まで180円は高い！驚き。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;井田川着8:00。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道や歩道橋に霜が降りていて、滑らないか心配でした。寧ろ、朝より、少し溶け出した頃が一番滑ったかも。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;井田川駅前からは、線路を左に見て、線路沿いを歩いている内に、道が自然に右にカーブし、その先、国道に出るので、歩道橋を渡ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;渡ってそのまままっすぐ行くと、左に折れる方向に、「法悦供養塔」の道標。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;川を渡り、国道１号をくぐり、少し歩くと右に法悦供養塔。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;暫く歩くと暑くなってきて、セーターを脱ごうかな、と思ったけれど、日陰はかなり寒いので、結局セーターは着たままでいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;畑には霜柱が立っているのか、キラキラしていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;民家の植木鉢に、みずみずしい赤いベリーが成っていたり、岩壁から生えている木があったり。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;坂を上り始めてすぐに和田一里塚跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大きい道を渡って少し行くと、亀山ロウソクという会社がありました。亀山は全国でも屈指の蝋燭をつくっている町です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先右側に、能褒野神社の一の鳥居がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのすぐ先に露心庵跡の標柱。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だんだん宿場町らしくなってきて、家々の軒先に屋号札がかけられていました。それぞれの町名も書かれていて、それを見ていると、町の名は、茶屋町、鍋町、東新町、東町…と移っていきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;江戸口門跡を右折したのが8:56。現在の商店街の中に入ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのかなり前からトイレに行きたくて困っていたら、左側に立派なトイレがある公園が見えたので、助かった！と思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その公園は高台にあり、亀山駅は、低いところにあるようです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この公園は、旧佐川邸跡でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先に、「宿場にぎわいプロジェクト」と書いた看板があり、町起こし的な企画として、各家に屋号札をかけているそうです。町の名は、横町、万町、西町と移っていきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;左に曲がるように道標が出ていて、角に山形屋という酒屋のあるところで曲がると、その先は道が黄色くなっていて、旧東海道はこの黄色の道をたどっていくみたいでした。升形の道がくねくねと通っていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;左側に遍照寺という寺があり、山門よりも境内が低いのが珍しいと思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;電動車イスの方が、私がかなり速く歩いているのに、悠々と追い越していきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;家々のすぐ後ろがお堀になっている箇所があり、そこに黒っぽい大きな水鳥がいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;西町問屋場跡からは、さっきの遍照寺の屋根が見えました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;京口見付跡から一旦、旧東海道と並行する道を戻る形で歩きました。その道には、加藤内膳家の長屋門と蔵がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し寄り道で歩きました、亀山城址の方に坂を上っていくと、右に石井兄弟仇討ち碑がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;亀山城址は、多聞櫓と石垣ぐらいしか残っていません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先にある亀山神社では、明日のどんと焼きの準備をしていました。境内には、大久保神官邸の門(県指定文化財)と宝篋印塔(ほうきょういんとう)土台部がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神社から坂を下り、京口門跡に戻り、再び旧東海道を進むと、バス停が京口坂だったり、橋が京口坂橋だったり。9:56だったので、ちょうど１時間亀山に滞在したことになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その少し先に、野村一里塚跡。鳩がたくさんいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道標に従って右折したのは10:18。その先、左側に布気皇舘(ふけこうたち)大神社。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先、７分ぐらいで、右に古い蔵があり、写真に撮ろうとその蔵のちょうど前辺りの坂を少し上って、写真を撮った後、坂を下りて国道に出たら、歩道橋で向こう側に渡らねばならず、かなり階段を上っていったら、さっき私が写真を撮るために上りかけていた坂から直に歩道橋に行けたことが判明し、無駄な下りと上りをやってしまってショックでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;線路を渡り、鈴鹿川が見えてきて、暫くは堤防の道を歩きます。広重の描いた東海道みたい。今、遠くに見えている山々の、どれが鈴鹿峠だろう、と想像しながら歩きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この堤防の道には、何故か警備員さんが多い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大岡寺畷(だいこうじなわて)を過ぎると、鈴鹿川を渡る国道の橋の手前下に、小さな歩道橋が見えて、心惹かれて何枚も写真を撮りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;右の方を関西本線が一両編成で走っているのが見えました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道は右にカーブし、線路を渡るとすぐに国道に出ます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;歩道橋で右側に渡るか左の歩道を進むか一瞬迷いましたが、旧東海道はすぐに国道から右に入るので、国道に出た地点で反対側に渡っておかないと大変です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国道に出て反対側に渡ってから国道を左方向に歩いていくと、小野川橋を渡り、そのすぐ先で道は右斜めに入り、入ってすぐの左側に小万のもたれ松があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関宿東追分には11:02着。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関は、昔ながらの町並みが残っている、東海道ウォーカーにはこたえられない素晴らしい町です。町に入ってすぐに、連子格子の家が続きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;江戸時代にタイムスリップしたような町ですが、車は結構通ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;右側に御馳走場跡、その先５分ほどで左側に関まちなみ資料館。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先にある旅籠玉屋と共通の入館券を買い、中へ。民家を公開したもの。蔵や二階も見ました。足裏から冷えてきて、寒い。10分ほど見て、先へ進むと、右側に問屋場跡と祭の山車の倉。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先に川北本陣跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;町中にいくつかお食事処があり、寒いから暖も取りたいし、入りたかったのですが、時間がないので諦めました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;左側に百六里庭があり、その中に眺観亭という市民手作りの展望台があります。上ってみると、関の町の屋根…甍の波と、これから越える鈴鹿峠が見えます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;高い山々には結構雪が積もっていますが、鈴鹿峠は比較的雪は少ないものの、私たちが三人で鈴鹿峠を越えるのは、この先、雪が多い時期になるので、心配です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先左側に伊藤本陣跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;またその先右側に関宿旅籠玉屋歴史資料館。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一番奥に、260年前の蔵。明治時代の自転車の展示もありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;旅籠のタタキの入り口には足洗い桶があり、その上に帳場と宿の主人？の人形。急な階段を上って二階に行くと、江戸時代の布団やお膳が展示してあり、また、旅人の蚤の防ぎ方の知恵が書いてありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;玉屋にも10分ちょっといましたが、足裏から冷えて…今度から旅の必需品に靴下カバーを用意しよう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先に高札場跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関宿はまだ尽きませんが、正午になったので、関駅へ引き返しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;暫く道を戻り、適当に曲がったら、ちょうど関駅に着きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まだ時間があったので、道の駅関宿におにぎりを買いに行ってきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関駅発12:29&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関から豊橋は2310円でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;亀山で名古屋行きに乗り換え、名古屋から豊橋に行き、豊橋から小坂井は180円。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;後半へ続く&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-01-21T00:19:16+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090114-badd.html">
<title>2009.01.14.の２ 東海道ウォーカー憧れの…</title>
<link>http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090114-badd.html</link>
<description>2009.01.14.　東海道十九日目　後半　小坂井〜小田渕(吉田) 三重県亀山...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2009.01.14.　東海道十九日目　後半　小坂井〜小田渕(吉田)&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;三重県亀山市の関宿を昼過ぎに出て、愛知県へ移動。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;飯田線小坂井(こざかい)駅に降り立ち、前回まで歩いていた東海道の続きを歩きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鈴鹿や亀山は雪をまとった高い山が見えていましたが、ここいらの山は低くて、空の感じが全然違います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小坂井駅着が15:18。駅前で少し迷い、親切な地元の方が声をかけてくれて教えてくれたのに、渡る踏切を間違えて、また少しうろうろしてしまいましたが、なんとか旧東海道に出ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;左側に伊奈村立場茶屋跡、15:40。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;右に太郎太鼓店、15:44。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;豊川市に入ったのは15:52。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;川を渡り、少し行くと右側に冷泉為村卿の歌碑がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先で左に曲がり、名鉄の小田渕駅へ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;体力的には、あまり歩いていなくて、まだ明るいし(日が大分伸びてきました)、もう少し先まで歩きたかったのですが、予約してある宿に「17時までに入ってください」と言われていたので、歩いていたら間に合わないため、やむなく小田渕駅から電車に乗りました。小田渕から名電赤坂まで220円。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小田渕駅16:17発に乗り、名電赤坂駅に降り立ったのは、16:25。赤坂宿の大橋屋旅館を目指しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大橋屋は芭蕉も泊まった、300年の歴史のある旅館。東海道ウォーカーの憧れの宿です。大橋屋着16:38。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大橋屋は一日に二組しか客をとらないそうで、今夜は私一人きりでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;江戸時代そのままと聞いていたので、襖で仕切られた隣の部屋とのセキュリティは？…もしや女性同士なら相部屋もあり？…暖房は？…などの疑問がありましたが、襖で仕切られた隣の部屋が空いていても、隣には泊めない、だから一日二組まで、ということなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、私はトイレが近くにあり、エアコン付きの新館(と言っても十分に古いです)に泊まりましたが、江戸時代からの古い客室は、文化財だからエアコンを取り付けてはいけないそうで、なので、旧館には、夏と冬には客を泊めないそうです。トイレも下まで行かないといけないし。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宿のご主人に、江戸時代からの二階に案内してもらいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今は３部屋ですが、昔は向こうにもう４部屋あったそうで、近所の火事の貰い火で４部屋を失いましたが、奇跡的にこちらの３部屋が無事だったそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここの特徴は、二階の格子が、よくある千本格子或いは連子格子のような細かいものでなく、荒いこと。普通、格子を細かくするのは、外から中が見えないように、なのですが、大橋屋の格子が荒いのは、工夫があるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ひとつは、格子と部屋の障子の間に一段高い幅30センチぐらいの欅材の縁側があり、そのために、外から中が見えにくい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;街道沿いの旅籠は二階がなかったり、一階建てに見せかけた二階屋が多かったそうで、それは外を大名行列が通った時に、上から見下ろすのは失礼なので、二階を作らないところが多かったそうで…大橋屋は、一段高い縁側で奥まった分、外から中が見えない、また、縁側近くの天井が急傾斜で低くなっていて、それは外の軒に繋がっているのですが、軒が急傾斜で深いため、外から中が見えにくい。だから、二階にいて仕事をしたままでも、大名行列をやりすごせたそうです。本来は下に下りて、土下座しなくてはならなかったのに。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その一段高い縁側ですが、実はこれは床の間代わりのもので、そのため、障子が両縁になっています。普通の障子は、片面縁(桟)で、もう片面は障子紙ですが…。外側の縁は取り外せます。そうじゃなければ、障子紙を貼れませんよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、床の間らしい洒落で柱も太く、上がわざと切ってあって、柱と天井の間に柱のない壁の部分があります。でも、それでは柱としての役目を果たしていなくて、天井を支えられないのでは？と思うけれど、実は見えない内側に、三部屋通しの丸太が通っているそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、部屋が七畳間(縁側の方の二枚の畳が縦半分の半畳のため)という作りだし、その他にも面白いところが何点か。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;玄関入ってすぐが二階までの吹き抜けになっていて、横に渡してある大きな木が、わざと曲がりくねった木を渡してある。それがおしゃれで格が高かったらしい。ところが、その変則的な横木のせいで、ひずみが建物の端に現れる。二階の部屋の障子の幅が、狭かったり広かったり、それぞれの障子で大きさが違うのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先程の横木から、昔は鎖を吊るして、大きな囲炉裏があったそうで、囲炉裏の煤で、二階の天井もきれいに真っ黒になっています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二階上がってすぐの天井が低いので、頭を打たないように言われましたが、いくら江戸時代の人は背が低かったとしても、これはあまりに低いのでは？なんだってこんなに低いのか？と質問してみました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;すると、階段上がって正面に、今は物置にしているけれど実は水屋があって、ここでお茶を点ててお客様にお出ししたそうで、茶室の「にじり」の作りで天井が低いのだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;客室の一番奥の部屋も茶室仕立てで、奥行きの狭い床の間、壁障子、欄間の三点を備えています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;廊下は三部屋にしては広く、これは昔は七部屋あったからで、今の一番奥の部屋の壁側辺りが昔は中央で、今は屏風で隠してある壁に扉があって、今で言うリフトで料理を二階に上げて、ここから両方の部屋に料理を運んだため、廊下が広いのだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一階に下りて見上げると、壁の上の方に二台の籠が壁の棚に嵌め込まれていて、その横に食べ物リフトの箱がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;説明のお礼を言って、来た時はまだ宿に明かりが点っていなかったので、明かりがついた大橋屋はきれいだろうと思い、外に撮影に行きました。案の定、すごくきれい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;来たとき、古い大きな提灯に何が書いてあるのか分かりませんでしたが、「御宿所」と書いてありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;お風呂は檜の丸い桶の風呂で感激。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夕食はとても美味しく、とくに山芋の味噌かけと、ムカゴをふかしたものが美味しかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;部屋の床の間には、芭蕉の句の掛け軸が掛かっていました。&lt;br /&gt;
「夏の月御油より出でて赤坂や　芭蕉」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;亀山に比べて、愛知県東部は暖かい。と思ったのは夕方だけ、夜は冷え込みました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;部屋に宿に泊まった人たちが名前や所感を書き記したノートがあり、読んでいたら、共感したり、感動しました。私も長い文章を書いてしまいました。イラストを二枚も入れて。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ついでに下手くそな俳句も書きました。&lt;br /&gt;
「唯一の客もてなしを受け寒の宿　☆紗」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宿泊客、わたし一人、の大橋屋の一夜は静かに更けて行きました…&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-01-21T00:19:50+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090115-b082.html">
<title>2009.01.15.　タイムスリップ松並木と大蘇鉄</title>
<link>http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090115-b082.html</link>
<description>2009.01.15. 東海道五十三次　二十日目　小田渕〜御油〜赤坂 今日は、昨...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2009.01.15.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東海道五十三次　二十日目　小田渕〜御油〜赤坂&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日は、昨日の続きで、小田渕から歩き始めました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大橋屋の朝食は、一番早くても７時半。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;寒かったので、温かい味噌汁と、温かい玉子豆腐に温かい甘味噌かけが美味しかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おかみさんに見送られて、８時過ぎに出ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;朝の白い月が山の上に見えました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;名電赤坂駅は、名古屋方面行きと豊橋方面行きに別れていて、豊橋方面に行くには、踏切を渡らねばなりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;名電赤坂から小田渕は220円。名電赤坂駅8:22発に乗り、小田渕着は8:30。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;駅にはトイレがなかったので、稲荷神社後ろの公園のトイレでコンタクトレンズを入れました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨日の夕方歩いてきた旧東海道に戻って、続きを歩き始めました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;川を二つ渡り、その先、モノレール？と思う、高い位置の橋のようなもので東海道は分断され、右側の少し離れた国道まで迂回して歩行者用信号を渡って、また旧東海道に戻ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;モノレール？と思った橋のようなものは道路(国道を越える立体交差道)を建設中のようでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;暫く進むと、さっき右を走っていた国道にぶつかります。信号待ちして国道を渡り、地図では斜め左に道が進んでいるのですが、斜めの道は存在しないので、畑の中の農道をとりあえずまっすぐ進み、ひとつめを左に折れてみました。その先で、国道から右へ折れてくる車の流れから道の関係を推測すると、今の私の道の選び方は合っていたようです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;冬枯れた畑のずっと向こうを名電(名鉄豊川線)が走っていたのに、いつの間にか線路が近づいてきて、踏切を渡りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;踏切を渡ってすぐに左に折れるのですが、ガイド本の地図の旧東海道を示す赤線がその先、破線になってしまいます。昔の道は失われ、農道を適宜辿るしかないのだそうで…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;右に森が迫ってきた辺りで、トイレに行きたくてたまらなくなりました。こういう田園地帯には、公園はないので、戸外のトイレは望めません。森の薮にうまい具合の隠れ場所がないかチラチラ探しながら行きましたが、ここは！と思った場所に大きい石があったのに気づき、ひょっとして昔の誰かの墓の可能性がある。としたら、そんな場所に入り込んだ上に、汚す(けがす)ような行為に及んだら、祟られそうで(学生時代、お地蔵様の脇で立ち〇〇〇した男子の大事な所が腫れたことがあるのです)、ここでの不謹慎は避けることにしました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;地図の線は破線なので、適当に左折した所にあった踏切を渡り、トイレに行きたい、ヤバい、と思いながら歩いていると再び国道に突き当たり、IHOという会社の横のしらとり地下道を通って国道を渡り、その先の道が旧東海道と信じて先に進んだのですが、これは間違いでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;進んでいくと学校が右にあり、川に出てしまい、これは地図で確かめると明らかにおかしい。地図で見当をつけて、右折して川沿いを行き、次の橋のところを右折して、多分これが旧東海道ではないかと思われる道をあえて突っ切って、国道に出て、旧東海道は国道からこちら側に渡った左横に交番があるので、交番を求めながら、国道を戻りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;交番を見付け、国道から斜め左に入る旧東海道に戻れました。交番があるその交差点名は、「国府町藪下」です。破線の道の後なのだから、そういう情報をガイド本に書いておいてほしいものだなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国府町秋葉山常夜灯が説明板とともに右側にあり、その少し先に薬師堂。小さな境内で、一見トイレなどなさそうでしたが、右後ろに公会堂があったので、ひょっとしてトイレを借りられるかも、と奥まで行ってみると、公会堂の左前、薬師堂の裏に狭くて分かりにくいけれどトイレがあったので、ありがたく使わせていただきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;30分ぐらいトイレを求めていて、もう絶対ヤバい、という時に巡り会えたので、これは元日に日向薬師に初詣したので、同じ薬師如来のご縁で助けられたのだろうと(この話をすると、何教だよ！と突っ込まれますが、私は天地神明、聖なるものは繋がっている宇宙の真理と思っています)&lt;br /&gt;
お礼に５円賽銭しました。初詣の梯子はいけない、と聞いていたので、１月中は日向薬師以来、訪れても手を合わせたり賽銭したりはしていなかったのですが、縁結びの日向薬師に御縁に因んで５円お賽銭したので、今日のトイレとの出会いで、５円の効果は切れたろうと思い、お礼に５円入れました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;10数分歩くと、大社神社という石垣が立派な神社があり、ちょうど保育園のお散歩の一団と出会いました。泣いてしまった子を保育士さんがだっこして、神社の境内に連れていっていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;10時少し前に、御油(ごゆ)一里塚跡。日本橋から76番目の一里塚だそうで、順調なら、私は一里塚跡の写真を今までに76枚撮ったはずだけれど、見逃したり分からなかったりも結構あったし、一里塚跡の案内がいっぱい出ていて、一ヶ所に何枚も費やした一里塚跡もありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先に、姫街道の分岐がありました。見付宿で別れて以来(新居関所を回避する道)、久々の再会です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また数分後に、旧御油橋を渡りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここから御油宿だそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;５分ほど行くと、ベルツ夫人所縁の地の案内板。ベルツ博士は明治初期、日本の内科医学発展に多大の功績を残したドイツ人。妻の花(はな)の実家が御油にあったそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ベルツ夫人所縁の地の案内の斜め先に高札場跡。高札場跡の後ろの方に幼稚園が見えました。高札場跡の角を右に折れると郵便局の前に出て、旧東海道はここを左折するのですが、左折せずにまっすぐ行くと御油松並木資料館があるとのことで、入っていってみると、右に公民館があり、公民館に沿って右に曲がり、さらに右に曲がったところに御油松並木資料館がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;入り口脇に太い松の幹の一部が展示されていました。樹齢280年の切り株。慶長９(604)年に家康が東海道に松を植えた最初のものだそうです。松の木肌の亀甲型が、三河黒松の特徴だそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;資料館の中は無料で見学できます。入り口で記帳して入っていくと、先客が４名。私より５〜10歳上かな、と思いました。みんな熱心に東海道関連の展示を見ていましたが、私は東海道関連の展示は今までにたくさん見てきたので、適当に見て回りました。先を急ぎたい気持ちもあったし。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;松並木資料館を出て、来た道を戻らずに、前方に見えている橋を目指すと、さっき渡った旧御油橋と並行してかかっている御油橋に出て、橋を渡らずに右に曲がると、さっきの郵便局に出て、旧東海道に戻ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;10:21 本陣跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そしてその先、いよいよ憧れていた、御油の松並木。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;とにかく素晴らしい松並木です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ガイド本に載っていた写真の松並木とはイメージが違うのは、幸か不幸か舗装をやり直す工事中で、アスファルトがはがされ、砂利道になっていたこと。今なら暴れん坊将軍や、水戸黄門のロケ、録り放題！さらに工事車以外は通行止めなので、ひとりの世界を満喫。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、問題点もありまして、埃っぽいこと、赤いカラーコーンや、場所によってはトラックやショベルカーもいるので、写真を撮るのに少しでも東海道らしい写真を撮ろうと苦心しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;松並木を通り抜けるのに、６分ぐらいかかりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その数分後には赤坂宿の見附(これが本当の赤坂見附！)に着いたので、御油と赤坂はくっついているような印象を受けました。距離も短いのですが、多くの人が御油と赤坂をワンセットで話す理由が分かりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;見附からまた数分後に、関川神社。芭蕉の句碑がありました。大橋屋にあった句です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「夏の月御油より出て赤坂や　芭蕉」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこからまた５、６分で、高札場(レプリカ)のある公園。ここは名電赤坂駅から来た道が旧東海道と合流する、赤坂紅里交差点の脇の公園です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;右側に、曲げ物と民芸品の尾崎屋、左奥に浄泉寺。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;浄泉寺境内には、赤坂薬師、百観音、広重が描いた大蘇鉄がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;浄泉寺を出てきたところが、夕べの宿、大橋屋旅館。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し先にお休み処があり、「よらまいかん」と書いてありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中に入ると、椅子とテーブルと自動販売機と洗面所と…でもトイレがない。壁に手作りの行灯がいくつかかけられ、屋号とあけびなどの絵が描いてありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;外は整地された広場で、年輩の方たちがゲートボールをしていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また数分先に陣屋跡(代官所跡)。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;11:03に杉森八幡宮。夫婦楠が立派でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日はそろそろ時間切れ。ここで引き返して今日は帰ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;戻って、尾崎屋で土産を買いました。娘たちに風車。自分には桜材の箸(咳、アレルギー防止の効果があるそうです)と耳掻き。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さっきからトイレに行きたかったのですが、駅へ向かっていくと国道があり、国道を左に行ったところにコンビニがあったので、トイレを借りて、おにぎりとお茶を買いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうそう、赤坂は家康の出身地の岡崎に近く、赤坂宿は家康のお膝元として栄え、各大名も、赤坂宿で泊まるのを遠慮したとか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;家康は、赤坂という地名を江戸にもっていったそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在の東京の、あの赤坂は、実はこの赤坂宿からとったのだそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;名電赤坂11:42発。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;帰りは普通電車を乗り継いで帰りました。５時間半の電車旅でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本日の総歩数、20,306歩。歩いた距離14.6km。時速5.13km。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-01-25T20:36:51+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090120-9220.html">
<title>2009.01.20.　東海道番外編４ 水の町、三島</title>
<link>http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/20090120-9220.html</link>
<description>職場のの慰安旅行があり、伊豆の大室山と稲取へ行った後、三嶋大社の参詣、御殿場アウ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;職場のの慰安旅行があり、伊豆の大室山と稲取へ行った後、三嶋大社の参詣、御殿場アウトレットショッピングという行程でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は三嶋大社で皆さんとはお別れして、一人旅に出ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;三島駅へ向かう道で迷ってしまい、川の中の道を通ったり、面白い体験でした。三島は水の豊富な町で、水辺には三島の水辺に関する文学碑が並んでいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;三島駅から豊橋へ向かいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;稲取での豪華昼食が効いていたので、豊橋駅の地下でローストビーフサラダを買って、夜はそのサラダとビールで十分でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;翌日は東海道五十三次ウォーキングの続きを歩きます。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-01-25T20:43:15+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/20090121-5417.html">
<title>2009.01.21.  八丁味噌の郷</title>
<link>http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/20090121-5417.html</link>
<description>2009.01.21.　東海道五十三次　二十一日目　赤坂〜藤川〜岡崎 今朝は、夕...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2009.01.21.　東海道五十三次　二十一日目　赤坂〜藤川〜岡崎&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今朝は、夕べ買っておいたパンで食事をすませて(テレビでアメリカのオバマ大統領の就任式と、ホワイトハウスへのパレードをやっていました)、豊橋のホテルを７時10分過ぎに出て、7:24発の名電に乗って、国府で乗り換え、名電赤坂へ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
名電赤坂駅7:41着。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この時は晴れていて、青空も見えました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今朝はとても寒く、息が白い。先日泊まった大橋屋を懐かしく見ながら、次の藤川宿を目指します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;赤坂の町外れにある中学では、野球部が始業前の朝練をやっていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中学を過ぎると、「通学路、児童の安全のために直進禁止」の看板が立ち、車はみんな迂回してしまうので、車がほとんど来ない旧東海道を楽しめました。ちょうど直進禁止になったところから道幅が狭くなったので、余計に旧東海道の面影を感じます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;暫く行くと今度は小学校があり、校舎に大きくスローガンが張り出されていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「進んでかんがえやりぬく子&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;きたえよう、こころとからだ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なんだか心に残りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうそう、今日、びっくりしたことがありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前回の東海道ウォーキングの時、まだ結構玄関に正月の飾りが付いている家が多かったので、小正月の１月15日に外して焼くのかと思っていたのですが、今日もまだ、飾りをつけた家が多いんです。１月を正月というのだから、１月中はつけておくのかなあ。それとも、行事を旧暦でやっているのかな？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;8:17　一里塚跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先、誓林寺坂という、だらだら上りが続きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その10分ほど先に、磯丸「みほとけ」歌碑がありました。ちょうど小さな形よい石仏があるので、磯丸がここで詠ったのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;糟谷磯丸は愛知県伊良湖崎で漁師の家に生まれ、漁をしながら歌を詠んだ「漁夫歌人」と呼ばれているそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先に、常夜灯と、少し離れて鞘堂に入れられたお地蔵様が二つあったので、私は大榎橋の二地蔵と名付けました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道なりに行くと、長沢関屋交差点で国道と合流。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国道１号線の左側を歩いていたら、あれ？と思ったことが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国道の左側を歩いているので、歩道の右側は車道。しかし、歩道の左側に謎のレーンがあって、歩道がサンドイッチになっている…左側のレーンとは、「農業用車専用道」。なぜ、歩道→農業用車専用道→車道の順じゃないのか？農業用車は畑への出入りが歩道を介さないで直に行けるようにこういう作りなのかな？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;8:58に岡崎市に入りました。と言っても、岡崎市と藤川町が合併したのは最近のことなので、本来は藤川町に入ったってことなのかな？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まずは本宿(もとじゅく)入り口。ここは藤川宿へ一里。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;赤坂と藤川の間にある元宿は、法蔵寺の門前町として栄え、間の宿的役割をしていたそうです。法蔵寺境内には、新撰組隊長近藤勇の首塚と胸像がありました。また、岡崎市指定文化財天然木のイヌマキがありました。近藤勇の墓へと上っていく坂の下に六角堂がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;法蔵寺でトイレを借りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本宿陣屋跡(現在は病院)と代官屋敷を見ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本宿一里塚9:39。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その５分ほど先に、立派な門と塀があり、宇津野龍碩(りゅうせき)邸跡と長屋門と書いてありました。龍碩は、シーボルトの門人青木百弼から蘭法医を習った医師。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのすぐ先に松並木があり、そこを抜けると国道。10分ほど国道を歩き、左側へ国道と分かれて、さらに25分ほど歩くと藤川宿入り口。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まずは、広重が描いた東棒鼻。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;藤川宿は日本橋から37番目の宿場。京へ四十六里二十七丁、岡崎へ一里半、赤坂へ二里九丁、江戸へ七十八里二十九丁と書いてありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;藤川駐車場、という所でトイレを借りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東棒鼻から20分弱で問屋場跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;藤川宿も、各家に屋号札が掛かっていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;３分ほど先、右側に本陣跡。第二資料館の札が出ていましたが、鍵がかかっていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;すぐ隣に無人の資料館(脇本陣跡)。自由に見学してよく、扉を開けて靴を脱いで、スリッパを借りて、自分で電気のスイッチを入れます。藤川宿の模型と、名物の土産物である、からむし草で作ったハンカチ、材料のからむし草の展示が印象的でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;10分ほど見学して、電気を消してスリッパを戻して靴を履き、扉を閉め、先に進もうとしかけていたのですが、脇本陣跡の門を違う角度で撮ろうと振り返ったら、本陣石垣が脇本陣裏から見られるらしく、矢印が出ていたので裏に回ってみると、本陣石垣とからむし草の自生地、今は生えていませんが(５月頃見られるらしい)藤川名物のむらさき麦を栽培している場所がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;５〜６分行くと、西棒鼻。その先、右側に歌川豊広の歌碑。さらに２分ほど行くと、左側に十王堂と芭蕉句碑がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに２分ほど行くと一里塚跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また５分ほど行くと左側に吉良道分岐の石碑。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;踏切を渡ると藤川松並木。通り抜けるのに７分ほどかかりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国道に出て、暫く歩き、また左へ国道からそれると、時々松並木がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;高橋を渡り、暫く行くと乙川(おとがわ)にぶつかります。昔はその辺りに橋があったらしいのですが、今は道なりに右へ曲がって国道に出て、国道の橋を渡ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;橋を渡って、また左側の旧東海道に戻るのですが、特に標示も看板もなく、この道でいいのかと不安に思いながら進むと、大平町東の交差点に出て、この交差点で国道を渡って先に進むと、この道が旧東海道であることを示す案内を見付けてホッとしました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;12時過ぎに西大平陣屋(大岡越前守陣屋)跡に到着。外見は寺のようですが、中は、小さな神社以外建物がない広い空間、公園風でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこから７分ほど先に、大平一里塚跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その10分ほど先に松並木。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国道に出てから、ちょっと分かりづらくなりました。歩道がないところがあり、そこも本来なら右端がかなり空いているのに、大型トラックの溜まり場になっていて危ない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先、松の中の道を通る公園のようなものが右にあったので、私が早く国道に出すぎたのかな？別の旧東海道ルートがあったのかな？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにせよ、国道に出ます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ガイド本によると、筋違橋で右に入る、とありましたが、どこか分からないままかなり進んでしまい、地図と町名を照らし合わせたら、やはり来すぎていたので、旧東海道に戻るべく、右に入り、わりとすぐに旧東海道に戻れました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;岡崎に入ると、二十七曲がりがあり、案内の柱を一生懸命探しながら歩きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただし、案内の柱はあったりなかったり。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まず最初に、二十七曲がりの案内の大きな黒っぽい石碑。そこから、まず１本は交差点を曲がらず、次で右に行き、少し先の病院手前(病院はその角からは見えないので、国道に出てしまう手前で左に曲がって少し行くと、右奥に病院を確認出来ます)を左に曲がり、そこから二つ目を右に。国道手前を左。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この辺りから、二十七曲がりの案内の木の標識(てっぺんに草鞋がついています)や、古い石標に出会えるので、それを頼りに、地図も見ながら進みました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;案内の柱から650メートル先まで歩いて左、右、右、と歩き、広い通りで、「これより伝馬町一丁目まで660m↑」という木の柱の写真を撮っていたら、その柱の近くでバンを停めて荷物の積み降ろしをしていた中年男性に、「何を撮っているの？」と聞かれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二十七曲がりの標識を撮っていた、と答えると、わざわざ木の柱を見に行って、頭に草鞋が付いた柱に初めて気づいたらしく、驚いていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;荷物の積み降ろしをしていたということは、仕事で来ただけで地元の人ではないのか、地元の人なのに、最近出来た標識に気付かなかったのか…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「じゃあ、曲がるところが27あるの？」と聞かれましたが、私にも、本当に27あるのか分からない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今、声を掛けられた所が伝馬通り。ここを暫くまっすぐ行くと、伝馬町交差点にある和菓子舗、備前屋で岡崎名物のあわ雪を買いました。あわ雪は塊になっていて切って食べます。今、ここで少し甘いものを食べたい、と思い、別に「はなびら餅」を１個だけ買って、店内の無料お茶サービスの機械でお茶を入れて休憩。はなびら餅…昔、祖母がお初釜で用意していた、噛むと味噌餡が口中に広がる、あの「はなびら餅」ではない…。かなりがっかりしました。八丁味噌の町だから、白味噌のお菓子は不得手、ということなのかな。私のチョイスが悪かったんでしょう。ねりきりにしておけばよかったかな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先、伝馬町一丁目交差点で左に曲がり、すぐ次で右に曲がって少し行くと、右に立派な古い洋館。岡崎信用金庫資料館で、カッコ書きで旧商工会議所とありました。見学無料とのことで、入ってみると、１階で水彩画展をやっていて、二階でお金に関する展示をしていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;他に誰かいたら、壱万円札の福沢さんの顔をくりぬいて、自分が顔を出す記念撮影のシャッターを押してもらったんだけどな。二階には他に誰もいませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;岡崎信用金庫資料館が面している通りは総門通り。少し先まで行くと、右に松葉総門跡がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこを右に曲がって、籠田公園の中を左斜め方向に突っ切って、左折。そこは連尺通り。太い通りをずっと歩き、右折して、少し先で左斜め、Ｔ字で右。この辺、材木町というんだな、と思っていたら、木まち通りに出て、木まち通りを左へ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;暫く行くと、伊賀川の柿田橋。橋は渡らずに手前の細い道を左へ。川沿いの、桜並木の素敵な道。松葉通りの三清橋で右折するのですが、岡崎城址に行ってみたいので、ちょっと旧東海道から離れました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;岡崎城址のある岡崎公園には、味噌田楽を食べられる店があるそうで、それを目当てに行ったのですが…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;岡崎公園に向かうため、川沿いを歩いていましたが、大きな道を渡るのを避けるために、橋の下の水際の道に下りてみました。道はずっと繋がっていて、信号に煩わされずにずっと行けます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;岡崎城址の公園は広く、私が行きたかった店の場所が分からなかったため、違う茶店に入りました。本当は菜めし田楽が食べたかったのですが、この茶店には白いご飯の味噌田楽定食しかありませんでした。でも、味噌田楽はとても美味しかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;岡崎公園の北側にある浄瑠璃姫の塚を見て、またさっきの三清橋に戻り、川を渡りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その先、左へ入って民家の中の道を進み、国道に出て右。太い道との交差点を渡ってその太い道を少し南下してから右に入ると、愛知環状線の中岡崎の駅の近く、線路の高架下をくぐって、すぐの交差点に八丁味噌史料館の看板が出ていました。看板の案内通りに進んで見学の受付をしました。それがちょうど15時ぐらいで、ぎりぎり15時からの見学に間に合いました。タッチの差で次に回されそうだったのですが、なんとか30分も待たずにすみました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;八丁味噌史料館の見学は素晴らしかった。大きな樽をたくさん見ました。たくさん書きたいことがあった見学でしたが、ここは是非、東海道ウォーカーの皆さんに立ち寄って見学していただきたい場所なので、あえて詳しいことは書きません。14日間で東海道を歩いた長男は、お金や時間がもったいないから、ほとんど寄り道をせずにひたすら歩いたのですが、見学無料ということもあり、八丁味噌史料館は行ったそうで、長男も「ここは是非行った方がいい」と言っていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何年か前のNHK朝連「純情きらり」のロケ地でもあり、美山加恋ちゃんの写真が可愛かった！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;見学の最後に、八丁味噌の味噌汁、赤だしの味噌汁の試飲、味噌こんにゃくの試食がありました。他のみんなは、赤だしの方が飲みやすいと言っていましたが、私は今は亡き伯父の影響で八丁味噌の味噌汁が好きなので、八丁味噌の方が美味しいと思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;外に出ると、ポツポツ雨が降り出していました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;普通に旅をしていたら、時間的には次の宿場を目指せたのですが、明日、京都で見たい展覧会があり、京都まで新幹線を使わずに行くので移動時間が多目に必要なため、今日の行動を早めに終えて、中岡崎15:56発の愛知環状線に乗り、16:15発 岡崎発新快速大垣行きに乗りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本日の総歩数(岡崎まで)41,421歩。距離29.72km。時速4.99km。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-02-03T17:03:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://asiandream0804.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/20090126-3b83.html">
<title>2009.01.26.　♪あなたと〜越えたい〜鈴鹿越え〜</title>
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<description>2009.01.26.　東海道五十三次　二十二日目　関〜坂下〜鈴鹿峠〜土山 東海...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2009.01.26.　東海道五十三次　二十二日目　関〜坂下〜鈴鹿峠〜土山&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東海道五十三次ウォーキング女ひとり旅にとって、問題はトイレと峠越えの危険度。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;箱根越えは長女と越え、ひとりだった宇津ノ谷峠では怖い思いをし、楽しく歩いた小夜の中山は後からあそこは怖いんだよと教えられた私は、鈴鹿越えが怖くて、なんとか一緒に行ってほしいと、「箱根越えでもう懲り懲り」と言っていた長女にラブコールを送り続け、とうとう今日、長女、次女、私と女三人で鈴鹿峠越えをしてきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本来は、順番から言うと、私は愛知県の岡崎宿(38番目の宿場)までだったのですが、娘たちとのスケジュール調整の結果、ワープして、三重県の関宿(47番目の宿場)から歩き始めました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前夜、関の国民宿舎関ロッジに泊まりましたが、前夜の内に、鈴鹿峠には現在雪はないけれど、とにかく寒い、という情報を仕入れてホッと安心。雪がとても心配だったので。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;朝食７時半。出発８時半。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;防寒対策を考えた服装で出発しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関ロッジから、鈴鹿峠方面の国道への近道もあったのですが、娘たちに関宿の町並みを見てもらいたくて、町に下りる道から行きました。下りなので、５分で町に出ました。娘たちも、「わあ、すごい」と言っていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;５分で西の追分け。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここからは、暫く国道を歩きます。国道歩きも連れがいると楽しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;12分で国道から右へ分かれる道。霜がすごくて、みんなそれぞれ携帯で写真を撮っていましたが、霜の降りた感じはうまく写せませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;５分ほど行くと常夜灯がありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;30分ほど行くと、沓掛の町並み。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その頃から、次女と私はトイレに行きたくなったのですが、今日はなかなかトイレに出会えなくて大変でした。でも、防寒対策でズボンの下にスパッツをはいていたおかげで尻回りが暖かいため、長時間我慢出来ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;女性の東海道ウォーカーの皆様には、冬場はズボンの下のスパッツをお勧めします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;9:46に鈴鹿馬子唄会館に着きましたが、月曜なので休館日。残念ながらトイレを借りることができませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鈴鹿馬子唄会館の周囲には、日本橋から、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷…と東海道五十三次の宿場の名前が柱に書かれていて、これらをずっと歩いてきた私ももちろん感慨深く、なんだかはしゃいでしまいましたが、娘たちも盛り上がっていました。京都三条大橋まで、55本の柱が立っていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;坂下宿では、公園の遊具で遊びました。回転グローブ、ブランコ、ボート型の前後に振幅する乗り物など、楽しい公園でした。しかし、坂下宿ではとうとうトイレに出会えませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;坂下宿は本陣跡が多く、松屋本陣跡、大竹本陣跡、梅屋本陣跡がありました。(松竹梅ってことか…)&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;坂下宿過ぎるといきなりの急な登りの山道に、まさか、ここを上るんじゃないでしょうね、と驚きましたが、実際上ってみると、雪がもしあったら無理だったとは思いましたが、そして、女ひとり旅もやめた方がいいと思いましたが、箱根に比べると、えっ、もうおしまい？と思うぐらい、わりと楽でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;山道入り口が10:21。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;片山神社という大きな神社に期待していたのですが、トイレはありませんでした。片山神社入り口が10:50。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;片山神社の鳥居と、鈴鹿流薙刀術発生之地の碑には10:57。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鈴鹿峠は平坦で、本当にここが峠？と気抜けしてしまうぐらい…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鈴鹿峠着は11:11。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;峠のちょっと先に大きな水溜まりがあり、氷が張っていて、厚さが１センチぐらいありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこから２〜３分で境界石。左 伊賀の国　右 近江の国　と書いてありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この境界石の近くに、以前降った雪が少し残っていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この辺りにはたくさん茶畑があって、土山茶というお茶でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その少し先に休憩所があり、待望のトイレがありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;トイレの横に、物凄く大きな常夜灯がありました。270年前に建てられた万人講常夜灯で、高さは5.44メートルもあるそうです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鈴鹿峠が県境かと思っていたら、実際の県境はもう少し先にあり、ついに滋賀県甲賀市に入りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;少し歩いていくと国道に合流します。この時、国道にあった電光掲示情報板によると、気温は４℃でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国道と合流してからは、暫く国道を歩いたり、国道からそれたりまた国道と一緒になったり。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;山中一里塚跡、鈴鹿馬子唄の碑、猪鼻村の石碑などがありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;12:46に蟹坂古戦場跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;12:46に街道橋。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;12:49に高札場跡。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのすぐ先に、田村神社の入り口。鈴鹿峠の山賊を平定した坂上田村麻呂を祀る神社です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;田村神社の参道を通り、歩道橋を渡って、土山宿の入り口の、道の駅「あいの土山」で軽く昼食。長女は茶うどん、次女は山菜うどん、私は山菜そばを食べました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう少し歩きたかったのですが、次女が疲れていたので、もうそこのバス停から、13:50発のバスに乗りました。バス運賃は、一律大人250円でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;貴生川駅までバスで行き、駅でかなり待って、14:51発の草津行きに乗り、草津からは東海道線で京都に出ました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;京都で湯葉尽くしの料理を食べ、私は小生ビールと日本酒を飲みました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、17:32発ののぞみに乗りました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;娘達はまっすぐ帰りましたが、私は前回の東海道五十三次の続きのために、岡崎へと向かいました。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>☆紗</dc:creator>
<dc:date>2009-02-07T12:36:55+09:00</dc:date>
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